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物語『トキのフィルム』

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突然わたしの前に現れた天使が教えてくれた『トキのフィルム』という物語です。リリはわたしのようで、わたしではない。読んでいるあなたも一緒に物語の中に出たり入ったりする、静かで美しい… もっと読む
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記事一覧

第12章 地球ガラス玉✴︎物語 『トキのフィルム』

12.  トキがいないことにだんだんと慣れて、その気持ちと反比例してわたしは涙を流すことが多くなった。本を読んでは泣いて、坂道を登りながら泣いて、喫茶店でもこっそり泣いて、文章を書きながらまた泣いた。そんな秋を過ごした。  涙も枯れ果てたかという頃、ボケボケしていたわたしの頭は急に「現実」を感知し始めたようで、目の前の現象が一気にリアルに見えるようになった。キラキラしていたあの人も、ふんわりと優しい雰囲気だったあのカフェも、まるで別のもののように感じてしまう。誰かと話し

第11章 偽物の世界✴︎物語 『トキのフィルム』

11.  金木犀の香りが風に乗ってくる季節、わたしは相変わらずトキと一緒に散歩をしたり本を読んだりして暮らしていた。執筆中の本はどんどんページを増やし、その中にはいくつかの詩が混ざっていた。わたしとトキはよくそれを朗読し、ギターの音に乗せて歌ったりした。わたしが知っている少ないコードを使って適当に歌を歌いそれを録音した。わたしはよくトキの美しさを褒めた。キラキラした髪の毛が目にかかって、わたしが小さい時に恋した漫画の中の王子様にそっくり。その声を聞けたことが、手に触れたこと

第10章 触れる一瞬の点✴︎物語 『トキのフィルム』

10.  夢を叶えることはいいことです。それはかつての自分とつながることであります。部屋中に、メールのやり取りに、日記に、散りばめられたたくさんの「わたし」が叫んでいて、その自分を救うために夢を叶えるのです。あまりに太陽が眩しくて、長い時間きらめいている。今日は綺麗な夕焼けが見られるだろうか。夏の始まりはいつも明るすぎて、すみずみまで照らされたわたしは逃げることができなくなる。忘れてしまった小さな思い出も、傷も、大切に箱にしまっておいた記憶も、全てが同じ光で照らされる。花の

第9章 紅茶の夢✴︎物語 『トキのフィルム』

9.  ある夜、現実のような夢を見た。現実から夢にかけてグラデーションのように濃さが変化していると仮定すると、その夢は限りなく真ん中の色をしていた。体に触れる感覚があり、ヴィジョンと体の反応は時差なく連動していて、目覚めてすぐにわたしは今見たものが夢だったのかどうかわからず、しばらくそのまま鼓動がおさまるのを待っていた。夢の中で、ゆきこさんがお茶を淹れている。パーティの時に教えてくれた赤くて甘い紅茶だ。彼女はレースのような細工が入ったガラスのポットを手に取り「わたしが触れる

第8章 ばらばらの言葉✴︎物語 『トキのフィルム』

8.  目が覚めると、またわたしはリリだった。体がベッドに押し付けられるように重たい。窓のサイズにあっていないカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。上の階の住人が掃除機をかける音が聞こえる。わたしの体以外のすべてがわたしに「起きろ」と言っているみたいでイライラした。やりたいことも、やらなければならないことも山積みだったけれど、それをこなすにはわたしの体が小さすぎる。わたしは向きを変えた体を丸めてもう一度目を閉じた。トキは本を読んでいるようだ。悲しみや怒りはわたしの許可なく

第7章 涙と時空の橋✴︎物語 『トキのフィルム』

7.  その数ヶ月後に、ベルちゃんは結婚した。わたしはなんとなく彼に会いづらくなった。たましいのかけらを失ったわたしは少しだけ泣いて、もう思い出すことをやめた。それに、わたしはもうすでにベルちゃんと離れることを思って泣いていた。トキはそんなわたしを見て「とても人間らしい」と言った。わたしは人間だから、それでいい。わたしは心の中でベルちゃんに話しかける。彼はたましいのかけらだから、この声が聞こえるかもしれない。わたしたちがおじいちゃんとおばあちゃんになって、もう誰も性欲とか、

第6章 たましいの共鳴✴︎物語 『トキのフィルム』

6. ショートカットの毛先を パチパチと切っていく 目にかかる 髪の毛と 窓から漏れる光 少しあいた口が綺麗 毒が溢れ出す 昨日食べたプリンのことを思い出して 痛い言葉は甘いカラメルの味になる だから大丈夫 ぼくはこの子が好きだ 頭の体操をしよう ちゃんと考えれば ぼくときみは幸せでいられる 人生なんて大きなことを言う気は無いんだけど 今 この時 きみはぼくのすべて 消えてしまうなんて 想像できないよ 明日にはいなくなるなんてさ 小さかったきみはすっかり大人になって 美しく

第5章 ゆきこさん✴︎物語 『トキのフィルム』

5.  トキとの生活にすっかり慣れて、彼は天使や宇宙人なんかじゃなくてただの変わった男の子なのではないかと思うことが多くなった。きちんとご飯を食べ、眠り、わたし以外の人たちにもしっかり姿が見えている。時々わたしはトキがふざけてわたしをからかっているのではないかと思うことがあった。テレパシーのように会話ができるのだって、特別な能力を持っているだけかもしれない。だからといって別に困ることはないし、わたしにとってトキが一緒にいてくれることは嬉しいことだった。いつか突然消えてしまう

第4章 トーンファーマシー✴︎物語 『トキのフィルム』

4.  わたしのアパートの近くには古本屋がたくさんある。わたしは夕方に散歩がてらその何軒かを巡るのが好きだった。雑誌にしても小説にしても画集にしても、古本屋にはいつも新しい発見がある。その時目に留まったものをパラパラとめくり、続きをゆっくり読みたいと思った本を買う。本屋によってコンセプトが様々で、わたしは流行や時期に左右されない本のセレクトはとても魅了的だと思う。新刊を扱う本屋にはエネルギーがない。新しい本の匂いにわたしは気分が悪くなる。そこには「みんなの興味がある本」と「

第3章 「本当」を繰り返す✴︎物語 『トキのフィルム』

3.  ラブラドライトの閃光は、宇宙の光だと言われている。濃いブルーとラメがかかったグレー、黄色、オレンジ、ゴールド。深い海のような、遠い空のような、そんな色をしてメタリックに光っている。大昔、空には月がなかったのかもしれない。もしくは月は複数あったのかもしれない。この石はそういう光り方をしている。だから、わたしたちが愛について話し始めたのはごく最近のことだ。引力が、なかったんだから。引力がない時代には、愛も、距離も、時間も、存在しない。そこにはただの「言葉」があるだけだ。

第2章 ベルちゃん✴︎物語 『トキのフィルム』

2.  この体はとても重い。見える景色が綺麗な瞬間はあるけれど、ほとんどは雑多でうるさすぎる。料理も、掃除も、作品を作ることも、手や口を動かし働かなければならない。どうせできるのに、とても不自由だ。言葉は特に不自由で、あんなに美しかった光がただの石ころになってしまうのが悲しい。人はそれを間違えて受け取り都合よく解釈する。この文章を書くのにも莫大な時間がかかる。滑稽だと思わない?だけどそれが面白いんだって、あの子も、あなたたちも、思っているんでしょう?  トキが我が家に来

第1章 わたしの大切な天使✴︎物語 『トキのフィルム』

 明け方、窓を開けるとさっきまで降っていた雨の匂いが風に乗って吹き込んできた。四階のこの部屋の窓から真正面に薄い月が見える。半分の月はこれから昇ってくる太陽にばれて少し気まずそうにしていた。体は眠くだるかったけれど、わたしは外に出て散歩をすることにした。朝の街は、夜の間にあふれた苦しみが道路にばらまかれているようで苦手だった。それらは雹のような姿で地面の隙間を埋め尽くしている。気味の悪いゼリーのような芯がまわりの冷たい透明に照らされている。わたしはそれをみるのが怖かった。小さ