私がやっていたのは、うさぎ跳びだった

先日、スピ講座(個人セッション)で。夫と喧嘩したときに、いちいち反論せず、だまって受け流すこと、夫を無視することができました、と先生に報告。ほめてもらえるかなぁと思いきや、むしろ逆。。。
なぜ。

確かに私はとっても努力しているけど、その努力の仕方、効果がなかなかでない努力の仕方なんだと。

努力は、自分を大切にすることに使うことが必要。私がやったことは、大切な自分を、夫による言葉の暴力にさらしたまま放置。そうではなく、そんなことをする人からは逃げる、距離を置く、それが取るべき行動だそうだ。

とはいえ、夜、娘にご飯を食べさせていた時だし、そとに逃げても夫は余裕で外でも大声で罵声を浴びせながら追いかけてくる(前科あり)からそんなことできないよ、と思った。そしてここでまた怒られる。

外で罵声を浴びせて恥ずかしい思いをするのはそもそも夫だし、そんな世間体と自分とどちらが大事か。娘のごはんが少し遅れることと自分とどちらが大事か(そもそも娘にその言葉を聞かせたいか)。

そういわれれば、そうだが、「自分を大事にする」ってそんなに難しいのか。夫が騒ぎ出したときに、「逃げる」なんて選択し、みじんも頭に浮かばなかった。

もともと、幼少期の家庭環境の影響で、私は「人に合わせる」「私が我慢すればいいこと」というのが当たり前になりすぎて、「自分を大切にする」というのが、ピンとこない。「やりたいこと・やりたくないこと」よりも「やるべきこと、やらざるべきこと」が判断軸。
こういう場合には、どういう行動が「自分を大事にする行動」なの?を一つ一つ教えてもらわなといけないな。

どうやらいままで私がやってきた努力は、もはやスポーツ科学の観点で抹消されている「うさぎ跳び」だったらしい。小学校の時、やったよ、昭和世代だもの。まぁ、多少筋肉つくけど、効率悪いし、膝壊すよ、ってやつだ。

こうやって娘が寝た後に時間をとって、noteを書くこと。申し訳ないけど、読者目線で読みやすい文章なんてことはあまり気にせず、思うままに。

数か月後か、数年後か。読み返したときに「あぁ、私こんなことでつまずいてたんだな」と笑える自分がそこにいますように。それを想像してなんだか涙が出るけど、少し気持ちを軽くしてねよーっと。

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