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ルッキズムについて思ふ

先日、ふと何の気無しに数年前に撮影して頂いた写真を見ていたら、自分の病的な痩せ具合に今更ながら衝撃を受けた。

髪の毛は栄養が行き届いておらずスカスカ状態、目の下には広範囲に渡りくまが広がり、痩せこけた頬に土気色した肌からは覇気を感じない。
そして、筋肉の「き」の字もないマッチ棒のようにただただ伸びた張りのない手脚。

当時の自分を一言で表すと「異質」

この言葉がしっくりくるほど、私はカリカリに痩せ細っていたのだ。

当時の私は、身長158cm、体重は40〜41kgくらい。

BMIは16しかなく病院の医師から食事指導書をもらうほどだった。

しかし、そのスラリとしたカリカリの体が何より自慢だった私にとって、その指導書はゴミでしかなく「胸骨や肋骨、腰骨か浮き出る表現が素敵!!」と公言するほど細ければ細い自分の体に惚れ惚れしていたのだ。

当時お付き合いしていた彼からも「もう少しふっくらした方が魅力的になると思うよ」と幾度となく「異質」な私を傷付けないように優しく忠告を受けていたが、そんな言葉すら耳障りでしかなく、全くもって聞く耳をもたなかった。


何故、私はそこまで「痩せた自分」にこだわっていたのか

それはきっと「モデル」という仕事の意味を全くもって勘違いしていたからだ。

写真は使用するレンズの特性によって、被写体の表現を変化させる。

当時の私は、そんなレンズの特性を100%理解していなかったため、写真によってスラリと細く見えたり、ズドンと太く見える自分の姿に一喜一憂し頭を悩ませていた。


モデルとして写真を撮って頂けることへのプライドや責任感、また元来の生真面目な性格が合わさり、私のその悩みは「痩せれば痩せるほど写真映えする、細い体こそ究極の美」という歪んだルッキズムへと変化していったのだ。



すぐさま一日の食事回数、食事量を極端に減らし、米やパンなどの炭水化物は絶食、肉や魚に含まれる脂質も気になるものだから、食べることそのものが怖くなっていった。


そんな偏った食生活を続けていくうちに、日中、突然ものすごい睡魔に襲われるようになった。

電車だろうが車だろうが所かまわず寝落ちするようになり、横になれる環境があれば、気を失うように寝てしまう。

今思えば、これらの症状は栄養失調からくる低血糖によるものだと理解できるが、当時の私は知る由もなかった。

睡魔に襲われれば襲われるほど、日に日に痩せ細っていく体。

『寝る=空腹を満たせる=痩せて美しくなる』

寝返りを打つたびに腰の骨がベッドに触れ鈍痛が走る。

しかし、その鈍痛こそ美の証であり、その痛みを実感できることで自分はモデルでいて良いのだとホッとする日々。


こうして私は、あれよあれよとカリカリに痩せていったのだ。


ある日のこと、カメラマンさんからあるモデルさんが私の体調をひどく心配していると言われた。

「体調?体調は良いですけど???何がですか???」

質問の意図がわからなかった私に、いつもは笑顔のカメラマンさんが少し真剣な面持ちで口を開いた。

「ひかりさん、ずっと思っていましたが...ハッキリ言いますね。最近のひかりさんは拒食症に近い状態にあると思います。僕は今までのひかりさんも十分過ぎるほど綺麗だと思っています。それなのに最近のひかりさんは病気かと思うほど痩せてしまった。しかも痩せた体を自慢するような発言が増えていて不安になります。お願いですから元の元気なひかりさんに戻って下さい!!」

いつもは優しいカメラマンさんが珍しく感情的になり、その瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。

え、私が拒食症!?え、私は細いから綺麗じゃないの?えええええ???


このあと、そのカメラマンさんと何を話しどうやって帰宅したか記憶は定かではないが、帰り道にフラッと寄ったカフェのウィンドウに映る自分の病的な細さに、初めて違和感を感じ、ドキッとしたことだけは鮮明に覚えている。

この日の出来事をきっかけに、少しずつ自分と向き合うことをはじめた。

本当にゆっくりゆっくではあったし、食べることが怖く一進一退、リハビリのような日々ではあったが周りのサポートもあり、ようやく過度な食事制限やカリカリに細い体にこだわることを手放すことができたのだ。

そして今、規則正しい食事、睡眠、そして運動を取り入れた生活を無理なくマイルーティンとして心の底から楽しめている。

結果、程よく筋肉の付いたしなやかな体を手に入れ、栄養の行き届かなかったパサパサの髪の毛も良質なタンパク質を摂取することで、艶々な黒髪へと戻ることができたのだ。


そして、何より極端に偏ったルッキズムが消滅したおかげで、今の等身大の自分を心から愛せるようになった。


今なおSNSではスペック自慢や、痩せる漢方の情報が飛び交っている。

憧れのアイドルやキャバ嬢、インフルエンサーに近付きたい気持ちもすごくよくわかる。
しかし、過度なダイエットや細ければ美しいという極端なルッキズムは健康な肉体、健全な精神を蝕んでいく。

私自身、偏ったルッキズムに執着し続け、心身ともにボロボロになる手前のところまで経験したからこそ、今現在苦しんでいる人をはじめ、家族や友人、恋人がその渦中に在る人たちの気持ちが痛いほどわかる。

美の定義は人それぞれ。

しかし、それよりも大切なものは健康な身体であり、健康であるということは、ありのままの美しさを十分兼ね備えているということを忘れないで欲しい。








私は教育者、またポートレートモデルの視点から、忖度ない素直な思いを自身の言葉で綴っております。思いを言語化し誰かに伝えていくことは、私にとって人を愛すること同様、とても尊く大切なことなのです。皆様からサポートして頂いたお気持ちは表現活動費とし大切に使わせて頂きます。