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記憶を泳ぐ魚 「金魚絵師 深堀隆介」展

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金魚絵師伝説

深堀隆介展、と〜ても良い個展でした。現代作家展の良い形という感じ。
「だまし絵の人でしょ」と思ってふらりと立ち寄る程度だと、思いがけぬ掘り出し物にほくほくして帰れますよ!

もしかして色々できる?

おっ?と思ったのは六本木で開催されていたサンリオの展覧会。

ソーキュート

どう見ても金魚絵師のひとの技法だけど、どう見ても作風が違って、めためたに可愛くないか!?え!?と。
この日正直これが一番見れて良かったくらいのポップな良さがあり、以来俄然気になっていました。

お人柄全開!ごあいさつ

「個展」とひと口に言っても、古い作家の場合は歴史や来歴も解説に入ってくる。一方、現代美術であっても解説がつくとは限らない。その点、この展覧会は全てのコメントが作家個人によるもので、さながら集英社の原画展のようなお得な楽しみがあった。「これができた時はかなり嬉しかった」とか「実は後ろに自分の記憶を描いてから重ね塗りしていてほとんど見えません」とか「これは売れない時代に結構家計の助けになった」とか。
良い意味で作家の個性を強く感じることができる仕掛けは、展覧会冒頭で「『地球鉢』とは僕の造語です」と始まる挨拶文から全開。「こういう距離感ね!」とはじめに印象付けられて良いなと思った。

まずはお目当て!冒頭パレード

潔いほど目当ての作品が初めから見れる展覧会だった。つまり初めから升に入った金魚、金魚、金魚がずらり。いいんですかいきなりメインからで〜みたいな感じ。
よくよく見ると同じ升に入った金魚(シリーズとしては「金魚酒」という作品名、それぞれにも固有のタイトルがある)だけど、何年もかけてどんどん立体感が上がっている。昔なんて今から比べれば「ああ、絵の具の層が挟まってるな」くらい。今日に近づくに連れて、「えっ入れた?もう生の金魚入れちゃった?」というくらいの完成度になる。
イリュージョンのポイントは「鱗の厚み」と「ヒレの透け感」、そして「影や葉っぱなどの小道具」にあると私は感じた。ぜひご自身で確かめてみてくださいね。

一部撮影可能だよ

描いているところの動画も投影され、樹脂が固まる日数や筆入の工程を理解することができる。
もう安心、というかもう見せるものないとかあったりして!?という一抹の不安が過ぎりながら次の部屋へーー

なるほどね!今明かされる誕生秘話

1階後半にくると「なるほど〜これは展覧会やろうってなるな〜」と納得。
深堀さんが、どん底から一匹の金魚をミューズに見立て、そこから、大きな平面・張り子や和紙のコラージュ・半紙のドローイング・アパレルTシャツのデザインなどなど、とにかく色々な支持体で金魚を描き続けた歴史を垣間見ることができる。
中でも壁に貼り付けた段ボールの各面に、それぞれ真上や真正面から見た水槽の絵を描いた作品群は面白くて、錯視的なところに興味が向いていることが伺える。

ある日、透明な樹脂に金魚を描いた紙を入れ、翌日、どうせ絵の具が溶け出しているだろうと様子を見ると、見事にそこに金魚が「泳いでいた」ーーという回想文には感動した。プロジェクトXですかこれは。
樹脂を選んだ経緯として、ご自身に特定のジャンルのアートの技術があるわけでもなく、支持体や技法などでオリジナリティを出さないとアーティストとしてやっていけないだろうと思ったとも書いてあり(正確な表現を失念しましたごめんなさい)、試行錯誤するなかで考えた客観的な視点での模索を感じた。そんなことまで教えてくださるなんて…心が純な方である。

これは想像以上…!飛翔する金魚たち

個人的にはこの展覧会、2階に上がってからが興奮する。
それまで見ていたのは、和風の木や竹でできた綺麗な器に描かれた金魚たち。でもここからは、「何にだって金魚入れられますけど?あれ言ってなかったですか俺?」という感じでガラリと方向性を転換するのだ。
深堀さんが愛用して金継ぎされまくっている欠けたお茶碗、ロンドンの蚤の市で買った古いブリキ缶、古代遺跡から出土した器ーー思い入れのエピソードがたっぷり詰まったさまざまなものに金魚たちが悠々と泳ぐ。

さっきまであんなに「写実一本!」というところを押していたはずのリアル志向作品から、同じ技術でも、到底金魚が泳ぐはずのないものを使用することで、一気にファンタジーが生まれていた。
まあ良く考えれば1階にも箪笥や和傘の中の金魚とかあったけど、どれもその作品のためにわざわざ見繕われた形だったので、意味合いが全然違ってくる。

どうしてこんな驚きが生まれるのか。謎を解く鍵は、「記憶を泳ぐ金魚がいたっていいじゃないかと思いました」という深堀さんの言葉だ。
それまでが言わば「ここに生身の金魚がいたら面白いけど、実際無理なので、超リアルに描いてみました」というところだったとすると、そこからどんどん金魚が現実の魚の身体性から離れていく
日本人にとってどこか懐かしい記憶に紐づいた存在でもある金魚は、記号として、アイコンとして、センチメンタルにゆらゆらと動く心の分身となって、世界という大海原に泳ぎ出でていくのだ。

とはいえ、いるはずのない場所にいる金魚の説得力を強めるのはやはり現実の延長にも思えるリアルさや写実性であることに変わりはない。
1階では見なかったような、が発生して深緑のふわふわで濁った水や、線状のフンが浮いている作品があれば、水を張ったたらいに雪が積もって凍っていたり、人の接近を察知したように水槽の片側に急に集まる魚群など、色々なリアリティが楽しめる。

絵画の定義を超えてゆけ!?

「もっと深堀りしてほしいな〜深堀さん〜」と思ったのは、絵画の定義に関する文章。サラッと掲示されていたけど、結構すごいことが書いてあった。
曰く、近代になって定められた「絵画」とは「平面の支持体に描かれたもの」らしいのだけれど、深堀さんの金魚は透明なアクリルに乗っており、それが重なっていて、まさにご自身も言われている通り「2.5次元」。
物質として存在している絵画表現=金魚のみの部分を見るのであれば、もはや金魚は宙に浮いている。実際に作品名の器の底面に落ちている影は、絵の具で光が遮られて生まれているものであり、本物の影。そうなると新たな存在として支持されない金魚の絵だけが浮いているのだという考えも分からなくはない。
面白いパネルだったけど、その場で理解するには結構難しかったので、ぜひ深堀りを願いたい。

深堀金魚、上から見るか横から見るか

面白いことに、そして当たり前なことに、この作品たちは皆、もしも真横から見ることができた場合、金魚は1匹もいない
実際、透明な金魚鉢に入った作品など数点で試してみると、うっすらと樹脂の階層の境目が視認できる程度で、さっきまで泳いでいたはずの金魚たちは忽然と姿を消してしまう
元々金魚の主要な楽しみ方は「上見」なのだと解説されていたが、その性質が極限まで行って、「上から見た時しか魚が見えない」ということになったかと思うと、なかなかパンチが効いていて良い感じだ。

最後はインスタレーションも!

サンリオの時の画風だ!やっぱり可愛い
金魚の集まるところを撮るから、結果人に寄ってきているみたいになるの天才??

これは「いや今1月〜」とは思ったけど、ポップ金魚とリアル金魚が一つの作品に同居していて面白かったです。
このセンチメンタリズム、きっと海外の人にはいまいちピンと来ないのだろうなと思うと切ないですね。いやどうなんだろう。

勝手に妄想コラボレーション

余計なお世話だと思うけれど、見ているうちにどうしても心の中のちいちゃいPがわちゃわちゃ考えてしまっていた。
まずはアート作品同士で、レアンドロ・エルリッヒ。プールの作品もかなり著名だし、水&錯視繋がりでポップなコラボが出来そう。
そして舞台美術。かなり大掛かりでチャレンジングになるだろうけど、舞台背景が大きな透明のブロックで、そこに何かしらが閉じ込められたようなセットとかがあったらめちゃくちゃ綺麗だと思う。素人が想像すると氷の中の冷凍マンモスみたいなのしか思い浮かばないけど、演出家の方とのタッグは話題になりそう。
制作が大変で時間がかかって高いのかもしれないけど、デパートや老舗ホテルの夏の催しの目玉にもなりそうだなあ〜とか思っていたら浮かんだのが、超高級懐石料理を出す料亭での非売品作品。
連想があかんから刺身はダメとして、美しい漆のお椀とか、涼やかで繊細な生菓子とかを出す時に作品が出てきて、蓋を開けたお客さんは魚が泳いでいてびっくり。なんだ絵なのねとひとしきり盛り上がったら、実は一番上の層は樹脂じゃなくて寒天とかになっていたりして、貴重なアート作品をなんと食せてしまう!?的な楽しみもあり、コースによってはそのお椀はお土産として包んでくれるとか。
すみません…だんだん野暮になってきましたね。
でも底に深堀金魚がいる硝子のお猪口で日本酒飲むとかでもだいぶ海外の要人とかもてなせそう。そんな妄想捗る展示室でした。

最後に

やはり迂闊に行くべきですね展覧会は。いつ心動くものに出会うかわからないから。

話は若干逸れますが、「金魚」というモチーフが記憶を象徴したり、時空を旅できるようなイメージ、大好きな漫画「九龍ジェネリックロマンス」でも頻発します。
そういうアイデア面白いなと思った方はこちらもおすすめです。

おわりϵ( 'Θ' )϶

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