ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーを見ての所感

ハヤブサさんがマリオの映画を見たというツイートを見て、そういや5/1なら映画安いなと思い立ち、調べたら3D版があるというのでこいつは見てみたいな、と予約したらメチャクチャ朝早かった、という感じで見てきました。

なおシネマイレージ会員だと、火曜日ならファーストデーと同じ値段で見れたことがわかったのは、マリオを見終わった後でしたとさ。

※まず、内容に関しては一部ネタバレを含む上に、多分見てしまうと面白くなくなる可能性があるので、見るときは十分注意をしてください。

・総論:マリオとは?

全編を通じて描かれるのは「マリオとは?」に対する、任天堂からのアンサーである。以下、ワタシが受け取ったアンサーと共に、この映画を紹介していこうと思う

・ヒーローである。

まあマリオはヒーローである。なにを分かりきったことを…と思った人は多分見てないなww いいのかい?言っちゃうよ?
とにかくこのマリオ、気が弱い。会社を辞めて独立したばかりだし、仕事は失敗してばかり。同僚のスパイク(旧ブラッキー)からも馬鹿にされ、家族からもやや突き放され、慕うのは弟ルイージのみ。これがヒーロー?あのマリオ?最初はそんなことを思う人もいるかもしれない。

だが、ヒーローとは超人ではない。何度も言ってるが、ヒーローとは「諦めない心」だ。信念と、情熱と、勇気と、ほんの少しの運と、その運に賭ける覚悟がある人間を、人はヒーローと呼ぶのだ。

劇中で「ヒーロー」(あの「スクールウォーズ」でおなじみのヒーローである)がかかる中、ピーチの出した宿題をこなすマリオの、あの「覚悟」こそが、マリオをヒーローたらしめているのだ。
まさかあの無限の「残機」が、折れない心であったとはおもいもよらなかった解釈だった。1UPキノコは「次頑張る活力」であり、無限1UPはおそらく「続けていく自信」なんじゃないか…と考えるぐらいの「よい解釈」だとワタシは思う。
そしてそれを、本編ではなく宣伝で「任天堂のCM」で書くのもすばらしい。そうだよ。失敗なんて怖くない。何度も何度も繰り返して進歩して成功する。それを教えてくれたのは、いつだってマリオだったじゃないか!

・現代の縮図である。

そんな弱気な配管工が活躍するこの映画、クッパが出てきてさらわれるのは…ピーチ姫ではない。ルイージだ。え?ルイージなの?
そう。もはや「囚われの姫」なんてのは昭和レトロなのだ。ピーチはアクティブに、チャーミングに、そして力いっぱい頑張る「プリンセス」なのだ。

一時期封切りの際に「全米の評論家の評価が低く、逆に一般のお客様の評価が高いのは、ポリコレに一切配慮していないからだ」なんて噂が流れたが、もちろん日本のバカオタが何も見てなくてそんなこと言ったに決まってるんだけど、これほどまでに「プリンセス」を全面に出す作品に、ポリコネらしさがないなんて良くも言えたものだな、と。

「プリンセス」ピーチ「ヒーロー」マリオ「理解者で救出を待つ」ルイージ「マリオを親友だという」ピノキオ隊長。そしてそこにまた「現代らしい解釈」で接するのが「クッパ」である。

クッパは本編のラスボスだが、彼が持っている属性は「悪」ではなく「悪役」なのである。ストーリーを通じてクッパは「プリンセスピーチへの恋心」で動いていて、「暴力」こそ見せつけるものの、それは「思い通りにいくように力を振るっている」に過ぎず、その思い通りが動かないためにより強い力を発揮し、結果それが他の人の迷惑になるというサイクルになっているのだ。彼自身に「悪意」はなく、純粋に「わがまま」で「癇癪持ち」なだけなのだ。彼も裏を返せば非常に一途なキャラクターである。この絶対悪でないところも、とても現代的ではないだろうか

逆に言えば、そこまでポリコレを毛嫌いする日本のバカオタに、この映画が正しく評価されるのかがめちゃくちゃ気になる。こんなアクティブで活躍する「プリンセス」ピーチを是とし、「ピーチ姫」という概念が古いということを理解できる脳髄が備わっているのか、ワタシはそこがとても気になるのだが…。

・任天堂の看板キャラである。

マリオは「任天堂」の看板キャラである。スーパーマリオという看板を外してみた時に無限に広がるマリオワールドドンキーコングJr.も出る。キノピオ隊長も出る。カートだってお手の物。ジャングルをつっきり、虹を走り、レインボーロードだってひとっ飛び。マリオはいつだってワタシのワクワクを刺激し、「スリルと冒険」を教えてくれた
この映画、とにかくディテールが凄いクッパ城は怖いし、土管はわけのわかんない技術でかっ飛ぶし、動く床ハテナブロックもある。そう、「存在する」んだよ。「作り物」や「空想」ではなく、存在する。それはワタシが、ワタシ達が「マリオワールド」を知っているからだ。

・音楽である。

そして、スーパーマリオと切っても切り離せないのが「音楽」である。まあこの音楽がすばらしい!誰もが知るあの曲やこの曲をきれいに編曲して、美しいメドレーにして、流れるたびに「そうだよね!ここはこの曲だよね!!」が刺激される気持ちよさ。これはもう、マリオにしかできない芸当であろう。特に最後に流れたメドレーは、おそらくこれから先にわたって「スーパーマリオの曲のメドレー」として定番化されていくに違いないと思わせる名曲になっている。見てない方も是非聞いていただきたい。

・さいごに

「ヒーローとは、諦めない心である」

ワタシがウルトラマン、仮面ライダー、その他の映画や特撮から教わった、究極にして至高の定義である。マリオも決して例外ではなく、ごくごく普通のブルックリン地区の住人が、諦めない心で成功を求めるという、一見どこにでもあるサクセスストーリー(※恐らくだが、そのどこにでもあるっぷりが映画評論家には見向きもされなかったのではないかと思う)なのだが、それが「世界で一番成功したキャラクターであるマリオがやる」という意味が、どれだけ大きいのか、ということである。ワタシの冒険心に火をつけ、チャレンジすることの偉大さを教えてくれたこの映画こそ、今、我々がもっとも見るべき映画ではないだろうか

・余談

ディズニーの予告編を見て、がっかりした人もいるかもしれない。アリエルだけじゃなく、ティンカーベルまで褐色肌になってしまった。しかし、もうこれは「ハリウッドがそうすると決めた」ルールである。前にツイッターで書いたが、「普通の椅子」に「優先座席に座るべき人間」が座ることができない(※普通の椅子は、優先座席に座れない人のためにある椅子なのだから)のがアメリカの、ハリウッドの過去のルールだったのだ。それを本気で変えようとしているハリウッドの取り組みを、ワタシは「平等」だと思う。
プリンセスは気高く、待っているだけのお姫様だった時代が終わりを告げ、アリエルやティンカーベルが褐色になる時代を我々は生きている。大事なのはそれを「受け入れる」ということではないだろうか

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