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私たちは価値観に囚われて生きている

自分が囚われていた価値観とは?

COTENラジオ・みんラボを聴き、「歴史思考(https://amzn.to/3VkEeZ1)」を読んでから、ある特定の価値観にとらわれていたのだと認識させられた。

自分が囚われていた価値観は、

・”人生の目的”を持って仕事をしなければならない、
・”やりたいこと”を見つけないといけない
・お金を多く稼ぐ人が偉い、すごい
・肉体労働より、知的労働のほうが価値がある   

などである。(もっとあると思う)

「歴史思考」の中で語られていたと思うが(違ってたらごめんなさい)、例えば江戸時代は、”お金を稼ぐ商人より、武士のほうが偉い”という価値観だったそう。
現代の言葉でいうと、”頭が良いお金持ちよりも、運動ができる人のほうが偉い”と言い換えることができる。

何をモチベーションにしていきていけばいい?

しかし、ここで困ったことが起きた。

”価値観”は働いたり、行動を起こす人間のモチベーションであるため、それが無くなってしまうと何に対してもやる気がなくなってしまう。

「自分は何をモチベーションにして生きていけばいいんだろう。。」
と人生の路頭に迷ってしまった。

そんな時に出会ったのが仏教であり、その中の”慈悲喜捨”の考え方である。
慈悲喜捨とは、

慈:人の幸せを願う心。
悲:人の悲しみを理解し、寄り添う心。
喜:人の喜びを願う心。
捨:執着や囚われを捨て去る心。

この”慈悲喜捨”の心を拠り所にしつつ、今後の人生を歩んでいきたいと思う。


価値観に囚われていい場合もある

最後に、これらの価値観がすべていけないことなのかというと、そうではないように思う。価値観に囚われながら生きてくのも許される場合はあると思う。

では、どんなときか?それは「苦しみが発生しないとき」である。
その価値観の中で生きる上で、自分や他者に苦しみが発生しない場合は、その価値観の中で生きていっても良いと思う。

しかし、苦しみが発生するならその価値観は手放すべきである。

例を挙げると、”お金をより多く稼ぐ人が偉い”という価値観の中で生きている人がいるとすると、その価値観の中でより多くのお金を得ようと努力し、周囲にも良い影響を与えらえていればそのままの価値観で生きていけばよい。
しかし、その価値観の中で、自分よりも多く稼いでいる周りの人と比較してしまい、”自分はあの人に負けている…”と劣等感を感じてしまったり、仕事のし過ぎで体調を壊したり、家族に悪影響を及ぼすことはあってはならないと思う。

このような苦しみが発生しないうちは、価値観に囚われながら生きることも悪いことではないと思う。


参考にした書籍、ラジオなど


・COTENラジオ(
https://coten.co.jp/services/cotenradio/
・みんラボ(
https://www.min-lab.space/
・世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考(
https://amzn.to/40PX0sz
・反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」(
https://amzn.to/3VdIObz


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