自分史2


キヨちゃんの自分史2


前回はうまれた街のことと
私の基本情報にも触れました。

福祉関係のしごとをしているので
基本情報なんていっちゃいます。

今日は
家族のこと
名前の由来
家族の職業のこと


○厳格だけどユーモアも持ち合わせる父
○仕事大好き、料理も裁縫も得意な母
○礼儀正しくきれい好き、止まらない多趣味な祖母
○二つ上の足が速い兄
とわたしの5人家族

中学卒業15歳まで
一緒に暮らしていました。

両親は公立学校の教員で
祖母は元役場職員
堅実なお家です🏠


言葉遣いや食事のマナーなどに
厳しい家庭だったと思います。

小学生の頃
丁寧語と尊敬語と謙譲語について
食事中に議論されていて
正直めんどくさいなーと思っていたり。
歴史や政治の話もよくされる家だったと思います。
殆どは、つまらかったけれど
というより理解できてなかったけれど

父の話す
シルクロードの話は面白かった🐫
父の名付けた、わたしの下の名前は中国由来です。

敏江と言います。
響きが地味で
一昔前二昔前?ぽいくて
幼いころは嫌いでした。

けど父の思いを聞いてからは
お気に入りの名前です。

「敏」
時代の流れや世界の動きに敏感に
世界へ羽ばたいて欲しい。

「江」
揚子江(長江)の江から
広く逞しく生きて欲しい。

こんな想いが込められています。

小学校2年生の冬、寒い中国へ
家族で行ったことがあります。
揚子江をみてびっくり。
逞しい!濁った濁流!!
父ももう少し穏やかな川だと
思っていたらしいです。


両親が教員だったことを
友人へ話したときに

「両親が先生だと寂しくなかった?」

と聞かれて

「寂しくはなかったよ」

と答えたけれど
そう言ったときになんだか心の中で
寂しい気持ちを感じて
寂しい思いもしていたのだと思います。

母は運動会に来られないことがほとんだった。
同じ町で先生をしていたので
同じ日に運動会があって
来られなかった。

多分寂しかったけれど
それを、打ち消すほどに
家族も近所の人も総出で
運転会に来てくれていましたウインク
当時は大人は運動会で酔っ払って
まーーすっごい騒いでいたなぁ🍺
幸せね けどさみしかったのかなー


祖母は、戦中戦後を生きた人
自分にも他人にも厳しく
特に

「人と比べる」

ということについては

「意味がない」
「そんなことを考えるのは時間の無駄だ」

とキッパリバサッと言われていました笑い泣き

そんな家庭で育ったわたしは
近所の人や先生からも

「まじめでしっかりしてる」

と言われることが多くて

自分のことを
「まじめでしっかりしてる人」

だとずっと思い込んでいました。
全然しっかり者ではないのよ笑

何度も同じ言葉をかけられると
そう思ってしまう。
「言葉の力」大きですよね。

しかも、まじめ=おもしろくない人 
だと思っていたので
あまり褒められている気がしませんでした。
まじめちゃんの名札をつけて生きていた
中学生くらいまでかなぁ
息苦しくもあったと思うけど

実はそんなイメージとは裏腹に
イタズラ好きで
好奇心旺盛
楽しいことに敏感✨✨
なところがあって。。
未だに
両親に知られてないことが
ある🤣

自分史3でイタズラなキヨについて書きます。




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