無職転生

小説家になろうで「無職転生」の本編を読了した。読んでて、泣いた、笑った、目頭が熱くなった。長い旅路から漸く帰還した感じ。読んでいる間、ずっと殆ど家の事を何も手もつけれなかった。

あの描写が耐えられないという意見も多いようだが、あのエロもキモさも、全部に意味があり必然がある。主人公の前世は30代で人生を積んでしまったキモいオッサンでなければならないのだし、親の葬式にさえも出ず、姪の入浴を録画してオナニーするような頭を抱えるレベルの屑でなければならない。流石にアニメでは姪の入浴シーンで自慰するというのはあんまりなんで、手心を加えて変更されていたけど、それでも余談だが中国では配信停止になってしまう位だ。

所がそれらのすべてが、主人公の成長と共に、生きる事への讃歌、愛する人々と人生を生きる事への讃歌、家族愛に感動的なまでに昇華されていく。その手腕は本当に見事としか言いようがない。

私自身、あそこまで拗らせてしまってはいないものの、転生前のルーデウスの境遇に近い。そして、同じような境遇は、仮に引きこもりでなかろうと、ニートでなかろうと、多かれ少なかれ、誰しも気付かないうちに、ああいう苦境や絶望を抱えているのではないだろうか?

多分、私には転生したルーデウスのように、あそこまで無双した生き方は出来ないが、それでも、あの家の敷地の外から一歩を踏み出す事、そしてその一歩を手伝う人間にはささやかながらなりたいと思っている。ロキシーの染みつきパンツを本尊にし続けるのだって、勿論、ルーデウスがロキシーに欲情してるというのはあるが、それだけではない。おそらくは彼女が意図しない形であったとしても、前世では出来なかった敷地の外を踏み出す勇気を与えてくれた事への感謝と祈りだったのではないだろうか?そして本当の所、誰かが誰かに欲情するという事は愛への希求の裏返しなのでは無かったのだろうか?

いくつかなろう系を読んでいて、どの作品にも共通する願望が見え隠れする事があって、それは人を愛する事を知る事で他者との共同性を取り戻す話が多い事だ。

そして、現代の日本ではそれらは徹底的に剥奪されている。我々は人として生きる為に、再び本当の意味で社会の中にエロスを、喪失した共同性を取り返さなければならない。愛する人と手をとりあって助け合って生きていける世界をこの地上に実現させなければならない。

私にはあのルーデウス・グレイラットという稀有なキャラクターを産み出す資質など持ち合わせてはいないが、私は私なりのやり方で、この世界に、エロスを、愛を実現させる戦いを始める。それは必ずしも平和をもたらすとは限らないであろう。私はそれでも剣を投げ入れるものにならなければならない。


それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙一 13:13 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/1co.13.13.新共同訳







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読書感想文

右や左の旦那様、人生オワコンの中年ニートのキモいオッサンにも、お恵みを.... 愛の手を... と書いてみたけど、こんな糞ニートをサポートする奇特な方などおりますまいが、それでも人生オワコンの引きこもりの糞ニート、出来るだけ面白い記事を書くように頑張ります....