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【小説/一話完結】落ちる

ふと目を開けると、僕は、落ちていた。
頭を動かして周りを見回すが、どこを見ても、ただ闇が広がっている。
頭を下にして落下しているようだが、落ちていく先を見ても、ただただ暗く、底が見えない。

いつ自分が地面に叩きつけられるのか、どこかに抜け出すのか、全く分からない。
でも、不思議と、怖くない。
むしろ、全身が風を切って、どこかに向かって落ちていく感覚に、心地よさを感じる。
まるで、自分の意思で飛んでいるような気分だ。

しかし、確実に体は奈落の底に向かっている。
周りが真っ暗で、どんな速さで落ちているのかは分からない。
でも、ただ気持ちがいい。

そんな”気持ちいい奈落”の感覚を、今はただ楽しんでいたい。

もう自分がどんな名前だったのか、どんな人生を送っていたのかは、思い出せない。
どんな人と出会って、どんな人と別れ、どんなことをしてきたのか、思い出せない。
頭がスッキリしているのに、それは真っ白な霧がかかったように、僕の頭の中を漂っているだけだ。

これから僕は、どこに向かうんだろう。
頭を動かして、落ちていく先をまた見てみた。
でも、やっぱり底は見えない。
自分が目を開けているのかさえ、分からなくなってくる。

恐る恐る両腕を広げてみた。
鳥の翼のように、羽ばたいてみる。
身体の周りには、特に壁のような障害物はないようだ。
ただ、風を切る感触だけが、手のひら・指の間を通り抜けていくのを感じる。

耳を澄ましてみる。
やはり自分が風を切って落ちていく、ビュービューという音しか聞こえない。

声を出してみる。
口を開けると、冷たい空気が一気に口から喉・身体中に取り込まれた。
「おーい」と声を出したつもりだが、その声は耳に聞こえない。
風の音でかき消されているのか、それとも声が出せない状態なのか、どちらか分からない。

僕はただ、そうやって気持ち良く、奈落の底に落ちていく。
だんだん自分が分からなくなる。
ただただ落ちる。どこまでも。

ふと思った。
死とは、こういうものなのかな、と。


テーマ:気持ちいい奈落
制限時間:15分

元ページ:http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=616010
※ログインするのを失念して、匿名での投稿になっています💦

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