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noteという運命に導かれて✨

啐啄同時(そったくどうじ)という言葉があります。

禅語で、「またとない好機」という意味です。

啐は鳥の雛が卵の中で鳴くこと、啄は親鳥が外から卵をつくことを意味し、雛が卵から出ようとする時期に、親鳥がちょうどよく卵を突いて出してあげることです。

この言葉、確か茶道をやっていて茶掛で見たような気がします。(茶道は掛け軸の文字が禅語であることが多く、知っている必要があります)

素敵な言葉だなあ、と思いつつ、ワタシは今がまさしく啐啄同時の時期かなと思っています。

というのも、noteを始めて、色々と開眼したからです。

素敵なクリエイターの方々の文章を読んでいる内に、皆様から「はよ殻を割って出てきなされ」とお呼ばれした気がして、私は今必死に殻を破ろうとしているのです。

そして私はピヨピヨ鳴いて、皆様に私の殻を突いてもらっている状態なんですね。

さて、卵から出てきた私はどんな創作を行うでしょうか、自分でも楽しみ✨


その点では、noteとは、運命交差点な気がします。

その交差点で色々な人と出会い、お互いに感性を響かせ合う。

私は昔交差点のような色々なものの集まる場所が苦手だったのですが、今は賑やかが好き!

昔子供の頃、交差点には安全に横断するための旗とかってありましたよね。

アレ、すごい好きだったのですが、今私はnoteでそんな交差点の旗持ちになってみたいです。

旗を持ってたら、みんなが集まってくる。いつの間にか後ろからたくさんの方がついてくる。

そんな人間に私はなりたい。

旗とった!


不思議な能力を持った方々が集まるnoteがすごい。

そして不思議な偶然が起こるnoteはもっとすごい。

「不思議」という言葉は仏教用語でして、思議、つまり私たちの考えが及ぶ範囲ではないことを意味します。

ですから、不思議とは仏様や神様のもたらす、大いなる力学であって、私たちはただ有り難いと感じ、そのお力に身を委ねるのが正しいかと思います。

noteにも、つまり、神様仏様がいらっしゃる!

私は最近本当にnoteをやってて、不思議だなぁと思うことが多いのですが、これもnoteの神様仏様のお導き。

不思議な、大いなるものの与えてくださるものに素直に耳を傾け、もっと良くなりたいと願うこの頃です。


写仏部の面々。不思議に導かれた五人衆😁

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