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理想のカップル騙る語る〜藤娘×鷹匠を巡る江戸の男女妄想

今日は多少すけべな話をすると思います。

とは言っても15禁ですらないと思うのでご安心を。

以前私は大津絵の鷹症と藤娘について触れさせていただいた。

自分は大津絵が好きで、できるなら一つ家に飾っておきたいと思っている。

大津絵、というのは江戸時代に近江国の交通の要衝・大津で興った、ちょっと稚拙だけど味のある絵画。

基本的に東海道旅行のお土産や旅の護符として当時は用いられており、画題の面白さから江戸後期には江戸の画人達もモチーフとしてこれを描いた。

鬼の寒念仏や外法の剃刀など仏教的でありつつもユーモアのある絵から、奴さんや若衆といった現実のモチーフを描いた絵まで色々とある。

で、その中でも私が特に注目する画題が藤娘と鷹匠だ。

トーハクの大津絵屏風には、この二者が並んで貼り付けられている。

藤娘は、藤を今風に言えば「擬人化」したもので、花の濃厚さそのままに色気があって妖し気だ。

鷹匠は鷹を自由に扱うお仕事。大津絵ではなぜか「鷹匠はイケメン以外認めない」という不文律があり、美男子として描かれる(上の絵は猪木っぽいが)。

この屏風では、注目すべきことに二者は隣り合わせだ。いつ屏風に仕立てられたものかは分からぬが、六双一曲にする時に意図的に隣合わされたと、私は考える。しかも互いに見つめあっている。

つまり、藤娘と鷹匠はただならぬ仲、カップルだ。少なくともそういう見立てで屏風にされたのである。

屏風に貼り付けられた六つの絵は実に統一感があり、おそらく最初から屏風にするために描かれたと思う。ここではそう考えるとしよう。

では、屏風に仕立てた本人は、何を思いこれを世に送り出したか。

その答えは、最後に回すとしよう。

我々が考えるべきは、当時、藤娘と鷹匠のようなカップルが現実にいたかを、残された絵画から探すことだ。

つまり江戸絵画でもマイナーとされる人物画、そこでもさらにマイナーなカップルの絵を見出す旅に出ようという訳。

なぜそういうアプローチを取るかは、説明しているうちに分かってくるだろう。

では、まず人物画の開祖からスタートしよう。

岩佐又兵衛《浄瑠璃常盤物語絵巻》より

岩佐又兵衛、歌舞伎好きな方には「傾城反魂香」の浮世又平のモデルとして知られるだろう。

又兵衛は奇想の系譜や浮世絵の元祖、やまと絵、狩野派といったさまざまな側面から語られ非常に興味深い。

けど、ここに紹介するのは「江戸風俗画」の開祖としてだ。

風俗画、というのは当時の流行り物を描いた絵のこと。お祭りや踊り、ファッションを描いたものがこれに当たる。

有名な《彦根屏風》《松浦屏風》もかなり桃山風俗を残すが、又兵衛の描く絵と性質は近い。

ところで、上の絵巻だ。これは牛若丸、のちの源義経の浄瑠璃というお姫様との恋愛を描いた壮麗な絵巻であり、上流階級のために描かれた、上古の物語絵である。

それと風俗絵とが何の関係があるのか。その答えは上の絵のような、大胆なエロチック描写だ。

江戸時代より以前、男女の交情を描いた絵とは皆無だった。わずかにやまと絵系の秘本があるくらいで、それはあからさまな合体の絵である。

一方こちらは、頬を赤らめる浄瑠璃と牛若丸。少年ジャンプの恋愛漫画かな?ってくらい大仰な描写だ。

これから何が起こるのか我々はすっと想像できる。しかし本番の場面は春画でないから描かれない。上質のエロなのだ。

又兵衛は結局、風俗的な上古の絵を描いた。源氏にしろ、牛若丸にしろ。しかし風雅な彼は風俗絵では《豊国祭礼図屏風》や《洛中洛外図屏風》に見られるように、ミニマムなサイズで男女を忍び込ませるに留めた。

オリジナルな人間のやることはきっと粋で真似できないのだ。


英一蝶《四季日待図巻》より

英一蝶(はなぶさいっちょう)という江戸前期の粋人画家がいる。

とっても好きな画人で、今年サントリー美術館で秋に展覧会がある。

将軍を冒涜して三宅島に流罪になった経験を持つ、破天荒な人としても知られる。

その三宅島流罪中に描かれた「島一蝶」の絵がこちら。

「日待」とは神仏習合の精進行事のこと。江戸時代には形骸化し、行事にかこつけてオールナイトどんちゃん騒ぎするものに変わっていた。正月、五月、九月のうちで吉日を選んで行われていたそう。

絵を見てみよう。

粋な着こなしの蓑を被った男性を追いかけるように、遊女が視線を向ける。帯刀した茶坊主のような飲み友達は、彼女に目を向けてザワザワしている。

一つの儚い一瞬の恋がここにある。次の瞬間には無かったことにされそうな。

蓑を被った男性、気づいていないふりをしつつも、遊女が視線を向けてきたのを知っているのだろう。

遊女がここで機転を効かせたなら、あるいは一夜のお相手に選ばれるのかもしれない。すべては彼の胸先三寸しだいだ。

遊郭というのは、こういう、普段は味わえないような視線のスリルをゾクゾクするくらい味わえたのだろう(それは現代の悪所も一緒か)。

そしてこの視線のドラマを冷徹で洒脱に描ける一蝶は、やはり酸いも甘いも知り尽くしているのだろう。

久隅守景《鍋冠祭図押絵貼屏風》

一蝶と似たような粋人で、彼よりちょっと前に生きた人物に、久隅守景(くすみもりかげ)がいる。

狩野派を破門され、金沢で絵を描いたとされる、やはりはみ出しものだ。そういう人は社会のことがよく見える。

上の絵で守景が描いたのは、近江国米原の筑摩神社で行われる、「鍋冠祭」に取材したもの。

一風変わった絵だ。

何が描かれているのかというと、この祭では付き合った彼氏の数だけ女性は鍋をかぶって来ないといけない。偽れば神罰が下る。

要するに、神様を楽しませるというより男性が楽しみたいらしい、卑俗なお祭りだ。無論今ではこんなことはせず、かわいいお子ちゃまたちが大きな鍋を被る、愛嬌たっぷりなお祭りになっている。

で、そういうことは抜きにして絵を見てみる。

そこには残酷さもありつつ、それを通り越した笑いもある。鍋をたくさんかぶった美人さんと、素のまま来てしまったお多福さん。

守景の関心は洒脱と無粋の対比にあり、それは衣装にも見て取れる。

だが我々が妄想するのは、彼女を抱いた男たち、あるいは抱こうともしなかった男たちのことか。

鈴木春信《柿の実取り》

鈴木春信については、以前もちょっと触れた。

そこで私は「春信絵の関心は男女を描くことではなく、淡い青春の思い出を惹起させることだ」みたいなことを書いていたかと思う。

そう、彼は情を交わせる男女を直接的に描き続けた、稀有な画人だ。

ただ、そこに描かれるのは子供の男女である。まだ行為に及ぶことができないくらいウブな。

だからこそ春信の絵で男女ができることと言えば、ちょっとだけよ、程度のことだ(《艶色真似えもん》みたいな春画も彼にはもちろんある)。

絵に描かれる摘み取られた柿、これはよくある解釈だが処女性の喪失を意味する。

割れてしまった甕を持つ少女みたいなモチーフが近代ヨーロッパにもあるが、それと同じようなもの。

春信のような、カップルの絵を描き続けた人を私は他に知らない。彼ら男女は純潔な、ほんの赤子なのだろう。

円山応挙《人物正写惣本》より

江戸中期。風俗画一辺倒だった人物画に第二の革命が起こった。

岩佐又兵衛に続く江戸絵画の破壊者、それが円山応挙だ。

彼が一体何を破壊したというのか。

それを一言で言い表すのは難しい。

だが彼は見たものを直接描いた。それは写生とは違って、少々見る人の好みに合うように改変してある。

そして大分形式化されつつも現代の上方日本画に受け継がれている。

応挙は京都を焼け野原にして、そこに自分のDNAをせっせと植え付け200年以上の大木にした。

恐るべき男、応挙。

上の絵はどうだろうか。

男女が描かれている。初々しいばかりの美男美女。

実はこの絵にはこの二人の壮年、老年バージョンもあって、人間の老化についての応挙の関心を伺わせる。男の子は顔が伸び上がってしまっており、女の子は梅干しばばあのような顔立ちという残酷さだ。

話をしたいのはそこではなく、この絵が男女対になって描かれていることだ。

私はそこに理想のカップル像としての彼らを見出してしまう。

そして老年になり、彼らは無惨な姿になるのを見せつけられる。諸行無常、仏教的だ。

応挙は若い頃に、円満院佑常という三井寺の門跡のパトロンを持っており、《七難七福図絵巻》という人の世の無常さをテーマにした絵画を依頼されている。

理想を描くと同時に、奈落も描いた応挙。

上の絵に描かれた美しい男女のみならず、彼らの惨めな晩年にまで目を向ける絵画的視野の広さには恐れ入る。

横井金谷《美人図》

個人的に、世界一美しい美人画は河鍋暁斎の《大和美人図屏風》だと思っている。

ただ、あれは玄人を描いた絵だ。じゃあ素人なら、というとこちらの絵がナンバーワン。

これを描いたのは破戒僧・横井金谷。与謝蕪村に私淑し、現在の滋賀県草津市に生まれたため、近江蕪村とも呼ばれる人だ。

この人の人生は本当に破天荒で面白いので、ぜひ知って欲しいのだが、坊さんのくせに可愛い女の子に目が無かったらしい。

だから、というべきか、南画家なのに美人画が上手い。

上の絵は、若い町人の少女だろう。一重のぱっちりした、ちょっと悲し気な眼と腫れぼったい唇が可愛らしい。

金谷殿はこの娘を「知って」いて、忘れられぬのだろうか。

私がそう思うように、この絵を見る人々は、金谷の女好きを分かっていて、彼と彼女の仲を勘ぐる。

絵の中の女と、絵を描いた男。

そういう構図はルネサンス以来の西洋絵画ではあくびが出るほどありがちだが、日本の前近代絵画には稀なのでは。

横井金谷《藤娘図》

ちなみに、金谷は地元なので大津絵も手がけている。

この手の抜きようだ。

着物は蜘蛛の巣文様。歌舞伎で見られるが、妖怪とか、怨霊とかを表すらしい。絵に描いた餅は食わぬ、と。金谷殿は現金だなぁ。

川原慶賀《唐蘭館絵巻》「唐船入港図」

少し変わり種も。

江戸時代に長崎の出島へやってきたオランダ人たち。

彼らはほとんどが単身赴任であり、女性は同伴していなかった。

では夜のお相手は?というと、日本人女性、丸山遊郭の遊女たちだった。

彼女たちは出島への出入りを許され、オランダ人たちの持つ、新奇な文物(例えばビリヤード)を見せてもらえた。この職業でしかできない希少な体験ができたわけだ。

同じく、シーボルトのお抱え絵師として活動した長崎の洋風画家・川原慶賀(かわはらけいが)も出島やオランダ人を見る機会があり、積極的にそれを描いた。

上の絵では、商館の屋上から外国の船がやってくるのを望遠鏡で見るオランダ人、そしてジャワ人と日本人女性。混血児のような赤ん坊も抱かれる。

絵としては面白いが、慶賀もよく描こうと思ったものである。

で、オランダ人たちを接待する役の遊女たちだが、なんとも小慣れたような、でも楽し気な感じではないだろうか。

慶賀は他にもオランダ人と遊女が同居する絵を描いており、ビリヤードを興味津々に見たり、酔っ払ったオランダ人からキスをせがまれる彼女たちが描かれる。いずれも嫌そうというというよりは、なんか楽しそう。

オランダ人×遊女という実に変わった取り合わせ。

長崎という小宇宙にはこんな世界もあったのだ。

鈴木其一《大原雑魚寝図》

次の絵は若衆×振袖美女orオジサン!?

京都の大原には、江原神社というお社様があって、節分の日にはこうして雑魚寝を境内でする風習があるそうで。

その理由は「大蛇が出るから」だそう。まあ、よくある話。

見るからに猥雑で怪し気な雰囲気を持った絵。其一もこんな絵を描くのかとびっくりさせられる。

絵の真ん中には振袖帯刀の若衆、そして彼に声をかけるやはり振袖の美女と、野武士のような男。若衆くん、逃げたそう…。

ともあれ、雑魚寝という風習ならずとも、府中のくらやみ祭とか、先述の「日待」とか、ある特定の日の夜に男女が堂々と相引きできる日が各地にはあった。

誰と寝たか分からない、なんて卑猥な話だが、江戸というがんじがらめの時代にあって、それらはきっと最高の快楽だったのだろう。

小田海僊《玄宗囲碁図》

話を少し真面目にすることにしよう。

図は江戸末期の南画家・小田海僊の人物画だ。

南画、というとお固いイメージがつきまとう。

だが海僊は美人画ばかり描いた。というより南画は別に中国風であれば、この時代になるとなんでもよくなってきていた。

彼が描いたのは、玄宗皇帝と楊貴妃。ある種理想のカップル像なのではないか(国は傾いたが)。

当然故事であるから、大っぴらに男女が描ける。私が知っているだけでも北斎の師匠・勝川春章や応挙の弟子・駒井源琦らが描いている。

だが、彼らの絵と海僊の絵は何かが違う。

それはなんだろうかと考えた。

多分、楊貴妃と玄宗の距離感があるか、ないかだろう。

海僊の絵では、対局をする男たちと、それを見守る女たちという構図ができてしまっている。さも、囲碁は男子の世界と言わんばかりに。

もうしかしたら、海僊は意図的にそういう不協和音を描いたのかもしれない。

だって、楊貴妃は優し気だけども、少し憂いを含んでいるように見えるから。

河鍋暁斎《閻魔・奪衣婆図》

これが最後の絵、河辺暁斎がトリだ。

暁斎というと、明治に20年ほど足をかけている。

それでも彼は師匠・歌川国芳の気風を受け継いだ、なんでも戯画にしてしまう人だった。

どういう戯画を描いたのか、上の絵を見ていただきたい。

振袖の若衆が奪衣婆の頭をかき、美女は閻魔様の背に足を乗っける。

奪衣婆・閻魔様ともに怖ーい人たちなのに、なんだか嬉しそうだ。

若い男女になら踏まれてもいいし、頭を掻いてもらうのもいいということか。

ここで注目すべきは、あえて美男×美女をくっつけずに、美男×婆、美女×オジサンというカップリングを選択していることだ。

見たこともない取り合わせで、かつ目を楽しませる。実に暁斎らしい。でも本当は彼も美男×美女という取り合わせの絵を、いつか描くつもりでいたのではないか。

超一流の皮肉屋であった暁斎のことだから、あと二倍生きられたとしても、やっぱりそんな絵は描かなかったろう。

けど、我々は代わりに《大和美人図》という奇跡を見ることができる。ありがたや。

岩波其残《イラスト画集》より、藤娘と鷹匠

本当に長くなってしまって申し訳ない。

ずっと江戸のカップル絵ばかり見てきた。

が、結局「カップル」という観念自体当時は存在しなかったろう。

つまりどういうことか。

江戸の人々は街中でお手手なんか繋いだりしない。手を繋ぐとしたら、それは床の上だ。

絵描きたちはほんの少しの例外を除いて、カップリングは春画で行ってきたのだ。

別冊太陽の春画の本など見ると分かるが、本当に春画のカップルのバリエーションは多様で、うんざりするくらいだ。

逆に言えば、外ではできないことを、家の中でヤリまくっていたのだ。

であるから、カップリングというものは、現代の我々が勝手に「騙る」ものでしかない。

それでもなお、最初に挙げた大津絵の藤娘と鷹匠に「ストーリーテリング(語り)」を認めようとするならば…。

何度でも語ろうではないか。妄想という名の虚構の物語を。


参考文献
矢代勝也『岩佐又兵衛作品集 MOA美術館所蔵全作品』東京美術 2013 
『もうひとつの江戸絵画 大津絵』東京ステーションギャラリー他 2020
『逆境の絵師 久隅守景』サントリー美術館 2015
『一蝶リターンズ』板橋区立美術館 2009
『川原慶賀の植物図譜』長崎歴史文化博物館他 2017
『特別展 円山応挙 〈写生画〉創造への挑戦』 2003〜2004
『企画展 楳亭・金谷』大津市歴史博物館 2008
『小田海僊展』下関市立美術館 1995
『鈴木其一 江戸琳派の旗手』サントリー美術館 2016〜2017
『河鍋暁斎』兵庫県立美術館 2019

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