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朝鮮の仏像周遊〜三国時代の半跏思惟像、統一新羅、高麗を中心に

仏像史カタリビト、Himashunです。

第一回は中国の仏像を特集いたしました。

中国仏が日本の仏像に与えた影響について、何らかのアイデアをみなさまに与えられたら幸いです。

さて、今回はまだ日本の仏像には行かず、お隣朝鮮の仏像について取り上げます。

正直言って朝鮮の仏像史、に限らず美術史はまだ発展途上です。

やはり政治的な問題(南北分断や近年までの開発独裁など)が大きいかと思いますが、その分大いなる可能性が眠っているのも韓国・朝鮮の美術史でしょう。

これからの研究の発展に期待したいですね。

そういうわけで、仏像史に関してもまだ全容が明らかになっているとは言えない状態なんです。

ですから、今回は三つの時代の仏像をかいつまんで見ていき、少しでも韓国の仏像についてイメージが湧くようにしたいと思います。

その三つの時代とは、

①三国時代(新羅、高句麗、百済の三国分立)
②統一新羅時代(唐と連合し百済、高句麗を滅ぼして半島統一後)
③高麗時代(新羅に替わって朝鮮を支配)

となります。

一応高麗の後の朝鮮王朝時代も造仏は続きますが、これがまた謎が多い状態なのでパスします。

では、早速参りましょうか、朝鮮仏の世界の入り口へ。


まずは三国時代。

参考にしたのは、国立中央博物館(韓国のトーハク)で行われた、仏像の歴史を取り上げた展覧会の図録。

インド、中国、日本の仏像を取り上げ、大英博物館などからも仏像を借りるというかなり気合の入った展覧会であった模様。

この図録の最後には朝鮮で独自に発展した、「半跏思惟像」について特集が組まれています。

今回はこの、三国時代の半跏思惟像の展開についてみていきましょう。

ちなみにですが、Himashunは残念ながらハングルが全く読めません。英語や漢字を拾いながら、なんとか理解をしようと試みたまでです。

インド、ガンダーラの半跏思惟像です。

我々は半跏思惟像というと広隆寺の国宝仏を思い浮かべますが、何とその源流はインドまで遡るんですね。

石仏ながら非常に流れるような、緩やかな人体造形になっており、仏像的な礼拝のための偶像というよりは、ギリシア仕込みのアーティスティックな神像という感じがします。

半跏思惟像は右足を左の膝に乗せ、右手を顔の付近にやるのが決まったスタイルです。

この仏像では、何かシタールでも弾いているような、その音に聞き入っているようなしぐさにも見えますね。

こちらは中国の半跏思惟像。

インドの仏像とは大きな変化が生じましたね。

一番大きいのは体も顔もこちらを向いていること。こうした形式性が仏像らしさを作り出しています。

ガンダーラ仏の自然さ、写実性と比べると、中国仏は実際にこう言ったポージングを取るのは難しそうに見えます。

しかしながら、顔貌表現はより深い精神性を獲得したように思われますし、着色衣紋表現などに独特の形式を見出せるでしょう。

さて、その中国仏の半跏思惟像が朝鮮に至るとどうなるでしょうか。

完品として残っているのは比較的小ぶりな金銅仏が中心のようです。

まずは上の金銅仏。

非常にさっぱりとした、シンプルな表現が貫かれた、素晴らしい仏様ですね。

容貌、背格好ともに広隆寺の国宝仏を彷彿とさせるバランスの良さです。

宝冠、と呼ぶには地味すぎる被り物を戴き、上半身は裸体で、スカートのようなひらひらした服を纏う。

この後の半跏思惟像と比べると、いかにこの仏像が地味かがよくわかるかと思います。

不思議なフォルムの半跏思惟像。

宇宙人!?って感じの腕の細長さですな。

私が思うに、こういった人間離れした形状こそ霊力の証であり、千手観音さまの腕が千本あるのと同じようなものかなと。

先の半跏思惟像よりももっと正面向きになっており、礼拝者に「一緒に思索、しよう」と語りかけるようなお優しい仏さまな気がします。

長すぎる腕にはどうしても注目してしまいますが、U字型にしなるその様には楽しさやシュールさも覚えます。

非常にお顔が秀麗な仏様。

先の宇宙人仏をみた後では、どっちが普通か分からなくなりそう笑。

ちょっと姿勢が良すぎるのでもうちょい猫背でもよいかも。

うふふ、と乙女チックに微笑みながら、何か恋を企む7歳児の女の子って感じがします。

あっと、真面目な話もしますと、やはりこの仏像は写実路線を行っているかと思います。

切れ長の目やほっそりとした肉付きは若者を連想させますし、より深い思索に耽っているかのようにポージングがうまく造形されています。

長い髪に、よく鍍金が残った仏像です。

右手の添え方が印象的、親指・薬指・小指を折り曲げるパターンになっています。

ウェーブする髪の表現は細やかで、お顔立ちもどこか女性的です。

よくよく見ると、衣紋のところにもさらに細かく装飾が施されており、小品ながら見どころが多く保存状態も良さそう。

韓国の国宝に指定されている、こちらの半跏思惟像。

80センチもある、大柄な金銅仏です。

陽刻、陰刻ともに軽いタッチでなされており、しかしながらその呪術めいた文様はそれだけで古様式を忍ばせるに十分であります。

お顔は下ぶくれ?ちょっとアーモンド型になってます。

ポロプーションも大変安定したものとなっており、その大きさも相まって他の金銅仏とは一線を画す仏像ですね。

お顔の近影。

中宮寺の半跏思惟像と共通する、明るい雰囲気に満ちた表情を見てとれます。

こうしてアップしてみると、頬の上がった様子や、唇の凹凸、顎に縦の裂け目が入っているのが確認できますね。

宝冠の文様は何やら不思議なもの、如何にも「古代」めいています。

こちらも韓国の国宝指定(どちらもニケタ台という古さ)の半跏思惟像。

先の国宝仏と比べると、文様は下半身のスカートに集中するのみで、広隆寺半跏思惟像にも共通するシンプルさを持っています。

少年を思わせるほっそりとした体躯、モナリザのような微笑、そして右手の形、何もかもが謎めいていて素敵です。

宝冠と呼んでいいのでしょうか、頭の菱の花のような被り物は頭に咲いたチューチップのよう、かわいい。

後ろから。

どっしりし過ぎず、かといってスキニーでもないちょうど良さ。

「お背中、流しましょうか」と思わず言いたくなるような美しさです。

後頭部には何かを装着するためのでっぱりが。無論、光背です。もし残っていたらどんなものだったのでしょうか。

後ろのあたりは金メッキがよく残っていて、往時のお姿を忍ばせてくれます。

完品ではありませぬが、石仏の半跏思惟像もあります。

上半身、そして蓮華座にのっけるはずの左足が失われている、こちらの半跏思惟像。

不完全の美というのは確かに存在するもので、山田寺仏頭なんかがいい例ですね。

本当分散されるはずだった視線が、その残欠部にのみフィーチャーされることで、新しい美を発見する。

ここでは、金銅仏のわりかし硬質な表現とは異なる、石仏ならではの表現を見て取れるでしょうか。

スカートの端は芙蓉の花のようにふんわりとしており、左膝の布のこんもりとしたふくらみようはとても優しいですね。


さて、こうした金銅仏を中心とした韓国の半跏思惟像が日本に伝来してどうなったでしょうか。

朝鮮と日本の金銅仏は混同される(渾身のギャグ笑)ことがあるくらい、日本のものも出来が良いです。

ただし、飛鳥時代のものは、やはり伝来してすぐなだけに模倣しようという意図が強く、時に創意や力強さに欠けるかもしれません。

白鳳時代になると、法隆寺の有名な四十八体仏のようなマスターピースが登場するくらい、オリジナルなものが生まれます。

上の金銅仏、法隆寺の救世観音にも通ずるようなアーモンド型のお顔や微笑を持っています。

造形としては全体的に硬さを感じざるを得ませんが、こうした芽がやがて日本の仏像という大木へ成長していくのです。


さて、続いては統一新羅時代の仏像を見ていきましょうか。

この時代は、やはり三国時代とは違った良さが立ち現れてくる気がします。

それは何かというと、工芸的な技術の進歩です。

朝鮮は大陸の草原地帯と文化的接触があり、とりわけスキタイの金工芸の影響を強く受けていると言われます。

それ故に、東アジア的とは言えないような異国風な文様も見られたりするのです。

一度は敵対した唐とも再び外交を結び、深く仏教に帰依した新羅。

そこには、独自の美しい仏教文化が栄えました。

是非機会ありましたら、仏像以外の金工芸も紹介したい!というくらい、この時代の芸術は優れています。

そういったことも頭に入れつつ、統一新羅時代の仏像を見ていきたいと思います。

まばゆいばかりの金メッキが残る金銅仏。

精巧に造られた光背が見事です(後補かも。光背が後付けなのは往々にしてありますのでご注意を)。

衣紋はまるで打ち寄せる波紋のようであり、衣自体もゆったりと着られているのが大らかさを感じます。

小金銅仏なので表情を見出すのは難しいですが、広角が上がり、頬が張っているようにも見えます。

こちらは石仏です。

インド仏にも通ずるような石の質の高さ、礼拝の仏像としての気品高さが融合した逸品。

弥勒さまということですが、密教の観音さまのような艶かしさも持っています。

左手の部分などは胸に重なるように刻まれている点平面的ですが、それでも要所にきちんと影ができているところは立体的という、不思議な石仏です。


如何にも仏頂面、と言った感じの金銅仏。

その立ち姿は安阿弥(あんなみ)、快慶の仏像を思わせますが、写実的というよりは小さくまとめた感があります。

横から見た姿は、「顔長いな」とか「腕長いな」とか、あとは足が長いのにも目が行きがちになりますね。

ただ、そういった写実に走らない、「チャーミングさ」が個人的には日本の仏像にはない朝鮮仏の一つの良さかと思います。

先の金銅仏とは衣紋のタイプが異なる仏像です。

ひざに楕円の中心ができ、足と足の間に谷ができるスタイルの衣紋表現は室生寺や唐招提寺の木造仏にもみることができます。

横から見た時の衣の線が非常に美しく見えるのが、統一新羅時代の仏さまの良さですね。

衣紋はパターン化されてはおらず、不規則ながら緩やかに流れていくのがお優しいです。

手先をちょっとほころばせるあたりなど、造主の遊び心を全体として感じ取れる仏像となっています。


ボン、キュ、ボンなグラマラス・菩薩さま。

最近のコリアン・ビューティーも脱がせたらこんなワガママボディなのでしょうか…。

縄文のビーナスのように、多産を祈願した仏像じゃないか、と邪推したくなるような不思議なスタイルです。

くびれもそうなんですが、長い布が不自然に曲線を描いているのも、金銅仏というメディアの面白さを追求するためなのでしょう。

銅に穿たれた四つの大胆な孔はとっても目を惹きます。

こちらはかの有名な新羅の首都でもあった、古都・慶州を代表する観光スポット、石窟庵の石仏です。

恵まれた体躯にくっきりした目鼻立ち、与謝野晶子がまたしても一句詠みそうなイケメン仏ですね。

袈裟が薄く表現されているのもそうですが、乳首が描写されているのがセクシー。

金銅仏とは異なり、非常に大きな肩幅で、庶衆をお救いするのにふさわしい、力強い見た目です。

脇の下とか胸の端とか、肉感描写が巧みで、見れば見るほどかっこいい仏様だと思います。

これは仏像と言っていいのか、石窟庵の壁のレリーフです。

これはまず十一面観音でしょう、左手に花入を持ち、頭の上にもたくさんお顔がありますからね。

先ほどの弥勒さまの石仏よりもより平面的な描写になっていますが、その分アクセサリーの細やかさに目が行きます。

仏様の目は遥か遠くを見るようで、硬く閉ざした唇と相まって、私たちの知らない悠久の歴史をその目で語ろうとしているような気がします。

非常に大きな仏像、しかも木像ではなく金銅仏です。

これは「金」銅仏と言っていいのか、赤や緑の彩色も見られますが、後補でしょうか。

みぞおちのあたりから円心状に広がる緩やかな衣紋が美しいです。衣紋同士の間隔も広いので、金銅仏の重苦しい色合いとは対照的に軽快な印象を抱きます。

お顔は平安仏に近いようです、のっぺりしていて、しかしながら肉厚なお顔立ちをしていますね。

一見して高雅さのある石仏です。

やはり朝鮮は土もそうですが、石も質が良いのでしょう。

私はこの仏さまを見て、ふと石部神社の本地仏である薬師如来を思い出しました。

あちらは檀像(ビャクダンという日本では手に入りづらい木で造った仏像)風の仕上がりになっていて、やはり高級志向な仏像です。

石材の大理石風の明るくて堅牢な印象と、仏様の寂としたお姿は実にマッチしています。

こちらも石仏、毘盧遮那仏です。

毘盧遮那仏は大日如来と同じ仏様(表現が宗派で違う)で、東大寺の大仏さまもそうですね。ただ、こちらの毘盧遮那仏は東大寺と異なり、智拳印という独特の印を結んでいます。

先ほどの仏像よりも顔立ちはふっくらしているでしょうか。

衣紋の表現も抑制の効いた、上品なものとなっていますね。

こちらも、毘盧遮那仏ですが…。

居眠りこいてるぞ、って感じにちょっと首がこっくりしていますよ。

お顔立ちも瞑想しているというよりは、深い眠りに陥っているような。

衣紋も猫が引っ掻いたような、軽薄なものに過ぎませんし。

おそらく、統一新羅後期のものなのでしょうが、この辺から仏像にはあまり創意や力強さがなくなってきます。

毘盧遮那仏が眠っているように見えてしまうのも、造形に精神性をのっけられない、技術的な拙さがあるように思います。

その背後にあるのは、社会の混乱か、芸術や宗教の衰退か…。

前の毘盧遮那仏と同じタイプの金銅仏です。

くびれ仏や男前仏の個性的なお姿を見てきた我々にとっては、物足りなく見えますね。

その原因となるのは、上半身と下半身の衣紋に有機的なつながりを欠いている点でしょうか。

下半身の衣紋にしろ、機械的になぞったような印象を受けますし。

上古の時代というのは政治と宗教は密接に関わっていましたし、政治が衰退すれば宗教も停滞するものです。

こういう一般論はどうでもよくって、朝鮮の仏像に新たな風が吹き込まれるのは、次の項でご紹介する高麗時代になってきます。

ここからは三点、変わった仏像を紹介。

こちらは平等院鳳凰堂でもお馴染み、楽器を奏でる仏様です。

平等院鳳凰堂のものは実に動的で、木彫らしい美しさに満ちた仏像群であります。

一方こちらの仏様は表情がいい!別にそんなに笑っているわけでもないのに、何か楽しげに見えるのが不思議です。

全然大きな金銅仏ではないにも関わらず、精巧に造られ且つ少ない表現で的確に事物を表せているのが秀逸ですね。

こちらはレリーフ仏、阿修羅さまです。

阿修羅像というと興福寺のものが有名過ぎますが、こちらは法具を持つ軍神めいたいかめしさと、お顔の優しさとのギャップがたまらないと思います。

天部の神様は国ごとでバリエーション豊かですね、というのも如来さまとは違って衣服やアクセサリーが多いですので。キャラクターもついてますし。

我々が思い描く阿修羅さま、体が赤くて、少年のようなほっそりした体で、優しい目をしていて、というのはそう考えると局地的イメージなのでしょう。

最後に相当な変わり種。

蝋(ろう)で造ったレリーフに刻まれた、十二神将のひとつになります。

面白いのは、十二支と対応させる十二神将を、本当に動物の姿で表しているところ。

朝鮮美術はけっこう動物の描写が好きですし、非常に得意としています。

ただ、上古だと宗教的な美術にしか動物は登場できないわけですから、非常に希少な作品と言えるでしょう。

それにしても蝋の仏像、初めて見ましたよ。

三つ目は新羅の後、高麗の仏像を取り上げます。

参考にしたのは、やはり国立中央博物館開催の、高麗建国900年展図録。

新羅以上に篤い仏教国家であった高麗。

工芸技術もさらに研磨され、朝鮮でしか見られないような宗教美術の様式が生まれています。

やはり高麗というと、青磁、仏画、そして金工でしょうね。

さすがに青磁の仏像というのはありませんが、金工の仏舎利を入れる容器などはスキタイ風の美しい黄金になっています。

仏像も非常に多様で見るべきものは多いです。

新羅時代の簡素さからは一転して、密教色が強まったのか装飾性が豊かな仏像が増えます。

日本の仏像との共通点がうかがえた前時代とは打って変わって、チベット風とでも言うべきか、そんな異国風な相貌の仏像も多い気がします。

では具体的に見ていきましょう。

人相のとっても良い毘盧遮那仏さま。

中世関東の鋳物風な無骨さであります。

継ぎ目が胸の辺り、横にありますので、上下をあらかじめ造ってからジョイントしたんでしょうね。

表情は生き生きしており、上下をつないだにしては破綻なくまとまっております。

100センチを超える大型の鉄造仏で、仏像様式の多様化を象徴するような、素晴らしい出来栄えになっています。

韓国にもある、長谷寺のお薬師さま。

現役の仏様だからか、鍍金がまぶしいですね。

金銅仏ですが100センチ近くあり、やはり時代が下って大きな金銅仏を多く造れるようになったのでしょうか。

後に登場する仏像は異国風ですが、この仏像は如何にも韓国仏という風貌です。

お顔は窪んだような目を描き、鼻から目にかけてラインを強調する。パンチパーマであごのラインはふっくら。

高麗時代のこう言った仏像が後世規範とされ、朝鮮王朝から現代韓国へと引き継がれているような気がします。

打って変わって、豪奢なアクセサリーを身にまとった菩薩さま。

乾湿という、日本では奈良時代流行した造仏様式で造られており、なんとなく表面の剥げ方が違うのがお分かりになるでしょうか。

日本だと菩薩さまは立像が多く、如来さまは坐像が多い印象が私にはありますが、この菩薩さまは座っていらっしゃいますね。

なんとなく冨貴を連想させる仏様で、権力者がプライベートな願いを込めて造仏させたのではと勝手に思っています。

衣紋はゆったりしており、表情も寂としたものがありますし、細部まで装飾がなされていますから、相当手間のかかった、しかも美術的価値のあるもののように感じます。

金銅菩薩像です。

これが四体目の仏像ですが、皆正面を向き、横への動きのないものばかりです。

すなわち、新羅時代まであった動きのある仏様はあまり礼拝の対象としては好まれず、参拝者が直に仏様と向き合えるスタイルへと変じたと言えるのではないでしょうか。

この仏像も動きには欠けるものの、篤い祈りや深い思索を思わせる、静かな出来となっていますね。

下半身には無数の小さな突起物があり、分かりにくいですがアクセサリーの一部と思われます。

お顔立ちは下ぶくれで静かに目を伏せており、我々にも既視感があるような、落ち着いた出来であると言えます。

こちらは小ぶりな厨子で、朝鮮独特のスタイルかと思われます。

20センチ程度ですので、持ち運び可能な個人用の礼拝仏であったでしょうか。

観音開きの厨子の中には金板に刻印された三尊仏や菩薩、高僧がいらっしゃります。

厨子内部の金は剥がれずよく残っており、これを持ち歩いた高僧が見たのと同じ風に仏の国を目の当たりにすることができます。

厨子上部にはアイヌのビーズのような、鮮やかな小石を通した糸に荘厳されています。やはりスキタイやシベリアの先住騎馬民族を彷彿とさせます。

こちらは阿弥陀三尊、中央が阿弥陀さまです。

珍しいのは、素材が銀製であること。てっきり石や銅に見えますが、それらとも劣化具合が微妙に異なります。

日本では平安時代に木造がメインとなって以来、木彫の可能性が追及されてきましたが、朝鮮では時代が下ると造仏のメディアは多様化していくようですね。

三体は同じ印を結んでいますが、脇仏は菩薩さまであり、格好が若干華やかです。

銀…。どういう素材なのか分かりかねますが、見た限りでは鋳造した上にシンプルな陰刻が施される程度なのでしょうか。金銅仏や木像仏ほどには可能性を追求しづらいかと。

端正な造りの金銅仏です。智拳印を結んでいるので大日如来さまとなります。

建国から100年を経た時期の、充実した時期の仏像と言えるでしょう。

衣紋の線は全体的に統一感があり、宝冠の文様はさらに細かい仕上がりです。

お顔立ちを見てからまた全体を見ると気づくのですが、写実性があり、しかしながら均整や形式性も両立するという、ハイレベルな美があると思います。

鍍金もよく残っていて、高麗を代表する金銅仏に挙げても良いのではないでしょうか。

仏龕(ぶつがん)という形式の入れ物(?)。

さっきの厨子と同じで個人的な祈りのための仏様です。

まるでジッポのような渋い外見ですが、するのは抹香の香であってヤニ臭くはない笑。

日本にも高級材質の木製仏龕が高野山にありますが、こちらはアレとは180度くらい違う感じがします。

技術的にはこちらの方が拙いですが、「いつでも、いっしょ」という温かみがあるのです。

高野山の仏龕はポータブルではありますが、開けるのは仏堂の中だけです。

高麗の仏龕はというと、野外でも何かあったら、お守りください!とお祈りできるような、寄り添ってくれるような持仏らしさがあります。

朝鮮の美を唱えた柳宗悦もこう言った仏龕を見て、うんうんと首肯したことでしょうな。健全な美、というか。

その点では、こちらは不健全?

密教的な耽美さのある、エロチックな仏様です。

妖しい目線、クッキリとした乳首、立て膝、何か誘われているような気がしてしまいます。

恥ずかしがりな日本人の美意識からすると、たとえ密教仏であっても乳首は描写しないのでしょうが、チクビストの多い朝鮮では乳首の描写は推奨されるのでしょうか笑(私も乳首賛成派、笑)。

立て膝タイプの仏像では日本だと観心寺の如意輪観音さまがいらっしゃいますが、あちらと比べるとやはり正面向きであり、腰や首をひねったりというモーションもありません。

それだけ、仏様と一対一で手を合わせたかった高麗人の、信仰心の篤さを私は思わざるを得ません。

末期高麗の、ちょっと技巧に走りすぎな金銅仏です。

一応この仏様は仏像の項ではなく、金工の項に載せられているので、「あっ分かってるな」と思ったのです。そう、これは工芸だと思ってくださいな。

仏像の皮を被った工芸、如何でしょうか。

たった16センチの小さな仏像にこれほどまでに繊細な装飾を施す、高麗の工芸の技量の卓越ぶりがうかがえます。

けっこうなアクセサリーを身にまとった、チャラ男、ではなくチャラ仏。

やはりこれはチャラすぎたのか、どうもこの時期限定だったみたいです。

最後はちょっと変わり物を。

仏像、というか、やっぱり工芸なんです。Sutra Label、いい説明が思い浮かばないのですけど、うーん、お経の題を示す看板やラベルのようなものです(経牌とも)。

なんと、黒檀木から造られた工芸品で、その卓越した技術力から韓国の国宝に指定されています。まるで象牙のような高貴さです。

穿たれた洞の中には武装した天部がおり、無論これらは全て一木から彫ったもの。想像を絶する手間がかかっています。

天部の描写は強そう、というよりはなんか剽軽(ひょうきん)。

朝鮮仏はどこか楽しげなのが素敵ですね。


お疲れ様でございました!

朝鮮の仏像、いかがでしたでしょうか。

三国時代→統一新羅→高麗、と見てきました。

三国時代の古典美から、だんだん工芸的な要素や異国的な気配が混じってくるのが、なんとなく感じていただけたら幸いです。

朝鮮時代に入ると、朱子学が国教となり仏教は一時的に弾圧されますが、それでも仏像たちは大事に守り継がれていったようです。

本当に朝鮮仏、さわりのさわりで終わってしまったのが残念!

もっと個人的にはニッチな世界を見てみたい、そのためにも是非研究者の方々に頑張っていただきたいです。

さて、次回からようやく日本の仏像に入っていきましょう。

まずは飛鳥・白鳳時代です。

みなさまのご存じの仏像がたくさん登場します、お楽しみに!

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