見出し画像

執着しないことーしいたけさんの記事から

人生の中で、いくつもの逆境も、いくつもの達成もあったのだけれど、確かに年を重ねるにつれて、その価値がニュートラルなものになってきているような気がします。
つまりは逆境の中にも幸運はあり、というより逆境の中にの方がたくさんの幸運の種はあり、そして、達成はその時点が頂点ではなくて、その後もあるのだということを感じるようになり、どちらの時も、所詮、やっていること、思っていることは同じではないか?あるいは同じでもいいのではないか?と思い始めたのです。

そんな気持ちを、私の実感していることとは少々違うのかもしれませんが、しいたけさんが上手に言い表してくださっているようで、嬉しかったのです。

人生のある時点から、良いときをものすごく喜びもしなければ、悪いときをそうそう悲観することもなくなってきたような気がします。
言ってみればなんとかなる、という感覚があるのかもしれませんし、だって、今までなんとか生きてきたのだし・・・。
ただ、なんとかなるの根拠は、もしかしたら、私の場合、造物主を感じるということなのかもしれません。

仕事柄、現代文でも、漢文でも、まあ古文なら、宿世かもしれないけれど、とりあえず、現世の自分の力ではどうにもならないような力であるとか、あるいは、何か自分の力を超えた存在が表現されているのを知っているからか、自分がどう頑張ってもどうにもならないこともあれば、なぜかうまく行くということもあると思っているからです。

それを私は、事理が至るまで待つ、と思っています。
事理というより、私は時理という字を書く方が好きです。
そのことが成るまでにはまだ時間がある。
まだその状態になっていない。
そして、言ってみれば、そうなるまでに課題があって、ちゃんと越えるべきことを知らされているというような。それが気付かされ、ちゃんと乗り越えた暁には、そのご褒美のように、いやご褒美というよりも、そのしるしとして物事が成るというような。

私の場合、毎年受験がありますから、その合格を見るまでがあれこれ自分への課題があって、そのことを乗り越えるということの重なりのように思えます。

何度も何度もこれでいいのか?と思い、工夫を重ね、生徒への指導をします。
それは、先日書いたご近所さんとのお付き合いかもしれないし、家族との関係性もあるし、あるいは生徒や保護者との関係性の中にあるのかもしれません。

私は、本来、誰かと波風を立てることが好きではありません。
いや、波風立てたい人がいるのかどうかもわかりません。
ただ、仲良くしたいと思っていても、それぞれの人生が違うのだから、当然互いにおかしなことになることもあります。

一方が経済的な達成を目指いていて、一方が精神的な何かの達成を目指していたとして、片一方が誰かに年金問題ばかりを語っていたら、本当におかしな話になります。
これは最近の私の周りではよくあることです。(笑)

あまりに齟齬が大きくなってくると、当然軋轢も出てくることになるでしょう。

世俗的な達成、あるいは心情的な達成。
いろいろあります。
もう、こういうことでは心を惑わせられないと決意していたり、ある意味の自信もあったのに、あることで亀裂が入り、ああ、結構まだまだだなと思うこともあります。

今の私もそうかもしれません。
数年、結構右から左に流していたことが、ちょっとばかり引っ掛かり、そのことが結構負担になり、またまた、言い出したら結構論理的に詰めてしまう質の私は、もう少しでそうしてしまいそうになりました。

友人に電話をして、まあ何とかなりそうに自分の気持ちを宥めました。
人権相談につなげたら、なんと法務局につながり、やっぱりおかしいけれど、どうもっていくかということが問題ということになりました。

どうも私は、何かあっても、心乱されない境地を目指しているかのようで、一つ一つ、それはおかしなことか?と訊ねなければ、自分の感じ方がおかしいかどうかということがわからないようなのです。

同様に、達成も逆境も、あまりその価値が最近わからなくなってきました。
しいたけさんのおっしゃるように、鰻をつかむという感覚もわかるのだけれど、それ以前に、達成の裏にあるマイナスの意味、逆境の裏にあるプラスの意味にも目が向くようになっていたのだと思います。
だから、良いことを喜び過ぎることもなければ、もしかしたら嫌なこともそうそう思わなくなってきているのかもしれません。

さてさてどうなのだろうか?
もっと若いころは、目の前の達成や良くないと思われることに敏感でした。一つ一つが競争、というか、自分への評価ーつまりは自分の言動の結果のように思われて、いちいち自分に成績表を出していたようなときもありました。
でも、その成績表だって、結構長いタームの成績表を思ってもいいわけで、むしろ受験のように、偏差値の高い大学に行くには、課題も多く、乗り越えるべきことも多いのだと思います。そこそこでよければ達成も早い。
その先をどう見つめるかで変わってくるものだと思います。

より良い未来を思うなら、今努力しなければなりませんし、努力はいいものです。
努力だけではどうしようもないこともある理論も受け入れつつ?(笑)、それでも粘り強さほど達成につながることもないと信じている私は、とにかく、どこに向かっているのかわからない、自分なりの達成に向けて、いや、達成などというものも意識していないのかもしれませんが、とりあえず、日々を自分なりに心を込めて、過ごしていきたいと思っているのです。
焦らず、急がず。

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。