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人のせいにするのではなくて・・・。ー本当にそうだと思うこと。

最近、あれこれ教えていただいている投稿。
心理学は好きです。
そして、経験に基づいて、こういうものだなあ・・・、と思っているところにいつも鋭い分析を投稿していただいて、本当に気付かされることが多いのです。

誰だって、今の状況を誰かのせいにしたくなることはあるのだと思います。
私だって正直あります。
あの人の性格が歪んでいるから、○○。
よくあんなことできるよね!

と思ったこと数知れず。
でも、世の中にはいろんな人がたくさんいます。
また、それで成り立っているのだと思います。

正しいことが大好きな私。
時にこれで古文の世界を語っていいのか?と思うくらい(要するに古文は不倫の愛が多い。)、人の感情の挙句の行動よりも理性を信じてしまうところがあります。
それなのに、古文を語り出すと、なぜか感情移入してしまう。(笑)

先日、長く関係のなかった人からご連絡があり、とうとうその話?ということになって、

ああ、この人は今の状況を過去の辛いできごとに起因すると思われているのかなあ・・・。

と思っていました。それは推測の域を出ないから、もしかしたら相当に失礼な判断かもしれませんが、正直、その話があまりに生々しすぎて、その方からお聴きするのは何十年にもわたって三回目になるので、それを聞く気はないことは表明しました。

正直、良くない話。潔くない話だな、と思いました。

誰だって、それなりに苦労があります。
私だって子どもたちにさせてしまった苦労など、一つ一つ数え上げるだけでも結構あるな、と思っています。
でも、そのことが相当に特殊なことかと言われると、抱えてきた身としてはそれが特殊なものであると信じ込んでいたけれど、結構ある話で済むな、と思い始めました。いや、もっと特殊で、一見しあわせそうに、もっと言うなら羨ましがられるようなところに、結構特殊で、とんでもなく複雑な思いがあるということも経験上知っています。

客観的に見るとき、その状況を恨み続けることは当たり前ではあるけれど、かといって、恨み続けても絶対にいいことはないなということはもっと明白に思われたりします。

自分自身のことだとどうしても感情に流されることであっても、やはりそうは言っても、それでも自身がしあわせにならないだろうと思うことは多いのです。

今している仕事が大きくかかわるから、学校の話というのが多いのです。

経済的に無理だったから、私は○○に行けませんでした。

そういう発言を何度聞かされてきたことでしょう。
その言葉をお聴きするたび、今のご自分に誇りを持たれたら素敵なのにな、と思いました。

私は学部卒です。高校勤務の折の先輩方は大学院卒業された方々がたくさんおられました。でも、私は目の前のことに必死で、だから○○と思うような暇もありませんでした。それよりも即戦力として働いていることに誇りをもっていたと思います。
教諭であることもそうそう意識していませんでした。非常勤の先生と仲良くしていて、あれこれ言われることがとても面倒くさかったのを思い出します。
そして、自分が非常勤で働いていたときには、またまたその立ち位置を最大限に活かして教科指導を楽しんでいました。

私はその立ち位置であまり人を見ないかもしれません。
だから新卒で働いていたときに、定時制の年配の先生から、

先生、うちに○先生っているんだけど、若いのに、肩で風切って廊下歩いているんだよ。先生、全日制で、○先生みたいなのかな?と思って。

とくすくす笑って、私をからかわれていました。
そういうところが私にはあります。

自分の立ち位置を考えるより、今目の前のことに必死になってしまう。
でも、これが家族関係など、嫁だとか長男だとか、不文律的に決まっていることには、目に見えない分、結構神経を遣ってきたように思います。

でも、だからと言って、私ならそういうことを言わない、とか、いじめたりしない、とか思ってみても、それにそのことはたいてい当たってもいそうですが、でも、その立場になってみなければどういう気持ちになるのかはわかりません。

先輩や、あるいは職場の奥様方や、夫の仕事の関係、ママ友、いろんな関係で、私ならしないな、という、ちょっと意地悪や、非人間的なことやいじめのようなことはあちこちで見聞きしてきました。
若いころに気付かなかったことで、今になって気付いていることもたくさんあります。

でも、だからと言って、その人たちに、仮に距離を置くことがあったとしても、面と向かって何か言うつもりもなければ、もっと言うならそんな親切なことをする気もなければ、こころの中にその人たちを大きな比重で存在させようとも思っていません。
もしも不格好ならその人たちがそのしたことを刈り取ればいいし、刈り取らなくてもその人たちがそれでいいと思っているのならそれ以上別に何を言う必要もないと思います。

その人たちに関わらないでいるのが一番。
そして会ったときに、しあわせそうな笑顔で、にっこり挨拶するのが一番。

ほら、よく言われるではないですか?

一番の復讐は忘れること。

許すには、どこかまだこだわっているというニュアンスがあります。
忘れる。その人がしたことはもう気にもしていない。
もっと言うならそんな暇がない。

それ、いいなと思うのです。

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