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何か始めても続かない

8月の初めにこのnoteを始めた。続いたのは最初の1週間で、やっぱり途切れてしまった。なぜ途切れるのか?自分なりにいくつか思い浮かんだことを書いてみる。

頭の中に膨大な情報があり、うまく言語化ができない。今までインプットばかりして、外に出して来なかったので、頭の中は整理整頓されていない情報でごちゃごちゃ。カオスな状態になっていて、自分でも何をどこから書いたらいいのか分からない。

あとは、人の役に立つ情報を書かなきゃ、と頭のどこかで思っていて、それがプレッシャーになっている。チャレンジしているようで、何もチャレンジしていない自分を恥ずかしくて晒せない。

私は中学生の時から、日記を書いていた。しかも、かなりの長文。毎日書いていた訳ではないが、悩みや、辛いこと、頭の中を整理したい時、誰にも言えないことがある時、好きな人への積もり積もった気持ち、、等々。

そんなことがあるたびに何ページでも気が済むまで、ひたすら書き続けた。

だから、文章を書くことは大好きなのである。なのにこのnoteが続かないのは、なんでかというと、日記と違う一番の大きな点、「他人の目に触れる」これだと思う。そして非難されるのが怖い。

たいして読者もいないのに(笑)、他人の目が気になって書けない。

しょーもない自分を晒せないのだ。

散々、自己啓発やら、スピリチュアルやらで、自己受容とか、自己肯定を学んで、一番良くないのは、自己否定である、と分かっているにも関わらず、今の自分の状況を否定して、卑下しているのは 誰でもない、この私だった。

私は表面的には明るく、楽観的で、あまり落ち込んだりしない。今まで学んだ色々なワークを通して、それなりに自己受容もしてきた。

それで辛かった子育てが劇的にラクになったりしたので、以前と全く変わってないとは言わないが、自分のギリギリの意識下で、ソフトに今の自分じゃダメだと否定していることに気付いた。

このソフトな自己否定が実は曲者で、がっつり否定したり落ち込んでいるなら、分かりやすく変わる余地もあると思うけど、なんとなく、ソフトに「このままじゃあ、ダメだよなぁ」とか「なんか毎日つまんないな〜」などとどこか他人行儀な自己否定は本人も否定してるとは気付いてない。

だからといって、自己否定を自覚したところで、それをダメだダメだとするから、余計にフォーカスしてしまうことになる。するとどうなるか?

人間はフォーカスしたものをどんどん拡大して、その状態を引き寄せて現実化してしまうので、自己否定を引き寄せている、ということになる。

だから、否定している状況をそのままにしておくことにした。

そのままにしておくというのは、ある意味受け入れる、ということだが、「受け入れる」と意識した時点で、受け入れなきゃ!→でもできない!となるから、「そのまま」自分の近くに置いておくのだ。

悩みや問題があると、すぐに解決しないと気持ちが悪いと感じる人が大多数じゃないかと思う。自分も含め。

でも、このグレーなままで解決せずに置いておく。この状態は気持ち悪いようで、実はなかなか有効なのだ。

数年前、子育てで行き詰まった時に、もういいや!解決せずにほっとけ、と思ったことがあり、放置していたら、そこにフォーカスしなくなったので、自分も辛くなくなったし、何より問題だと思っていた育児のゴタゴタもいつのまにか解決していたことがある。

そして、否定したままでもいいから、人の役に立てる事が書けなくてもいいから、自分のために、中・高の自分が書いていた日記のようにひたすら思っていることを書くことにした。

↑と決めただけで、これでもか、これでもか、というくらい書きたいことが出てきて、この筆も止まらない。

毎日続かなくてもいい。そして、自分のために書く。





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