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2019年7月12日〜7月18日 うつ病闘病記

7月12日 救急車

 あ、これ飛び降りちゃう。

 1キロ泳いだのかってくらい重たい体で、プールの壁をタッチしてUターンするみたいに開け放った窓を強く押して、勢いで自室から飛び出し、居間の床に倒れ込んだ。危ないところだった。自分の内側から想像を絶する絶望が溢れてきて、死ぬ以外のことが考えられない。

 今日はずっと手脚が強く痺れていて全身が重たく、派手に床に倒れこんだまま動けなくなってしまった。死んじゃう死んじゃう死んじゃう。私は私を殺しちゃう。でもとにかく飛び降りなかった、と頭のどこかで思いながら「救急車呼んで」と叫んでいた。息が上がって、長距離を泳いでるみたいにどんどん息が苦しくなっていく。呼吸が苦しくて、涙がだらだら流れた。床についている左頬が涙に浸されて濡れていく。部屋から飛び出てきた父親が救急車に電話する声を頭の後ろで聞いていた。目の前のカーペット、逆さまになったダイニングテーブル。見慣れた居間が全く違うように見えた。

 そうだ、今日は夜に「カニバ」のイベントがある。もしかしたら間に合わないかもしれない。父親にケータイを取ってきてもらって、千吉良さんに電話をかけた。手が上がらないので床で操作してスピーカーで話していたら救急隊が入ってきた。涙が止まらなくて呼吸が浅いので電話の声が途切れ途切れになって震える。苦しい。

 あっちこっち検査されながら、「体は悪くないんです」と「人に迷惑をかけたくないんです」を繰り返し伝える。「動けるので大丈夫です」と言ったものの実際に体は動かなくて、寝転んだまま担架に乗せられて外に運ばれた。弱い雨が降っていて、救急車に搬入されるまで仰向けの全身に小雨が降ってきた。涙と涎と雨で顔がぐしゃぐしゃになる。迷惑かけたくないんですと号泣する私と無言の父親はふたりで運ばれていった。

 数日前、診察で「楽しいことを考えてください」と言われた大学病院に運び込まれたが、血液検査をして帰ってくれと言われる。それはもう二ヶ月もかけてこの病院でやったことだ。這々の体で病院に行って血液検査して、検査結果が出るまで数週間待たされて、その間もずっと死にそうだった。なんとか耐えて耐えて解決策を求めて検査結果を聞いてから数週間ぶりに診察に行った結果が「楽しいことを考えてください」だったのだ。そんなことすらできない自分の愚かさを呪わずにいられない私の苦悩がわかるのか。いつもなら迷惑をかけないように帰るところだけど、このまま帰ったら本当に死んでしまうと思った。ここはわがままにならないと本当に自殺すると思って、腹を決めて、なるべくクレーマーっぽくならないように敬語で「このまま帰ったら死んじゃいます!」と伝えた。体が全然動かなくて、救急室のベッドで仰向けにされたまま、「このまま帰ったら死んじゃいます!」と天井を見つめながら横にいる看護士さんに何度も訴えた。看護士さんが困った顔で覗き込んできて、「大学病院は忙しいから血液検査して帰ってもらうことしかできないんです」と言う。私だって本当は忙しい人たちに迷惑をかけるくらいなら死にたい。涙と一緒に「人に迷惑かけたくないんです」が口をついて出てきたけど、いまそれを言ってたら死ぬと思って、「このまま帰ったら死んじゃいます!」に主張を切り替えた。隣の部屋には身体的な理由でいまにも死にそうな人が運び込まれているかもしれない。勝手に死にそうになっている自分が心底情けなかった。

 母親くらいの年齢の看護師さんが入れ替わりで入ってきて、心電図を見せながら、「生まれてからずっと今日まで動いてるのよ。それを止めたらダメよ」と声をかけてくれた。「死なせないからね」と言ってくれて、嘘でも嬉しかった。私を死なせないように一緒に考えてくれる人がこの病院にもいるのだ。

 「爪可愛い」と言われたので、質問に答えなければいけないと思って、「ネイリストさんがタスマニアに行ってカンガルーの可愛さに心打たれたそうでカンガルーの柄にしてくれました」と丁寧に答えてから、これは質問じゃなくて私を和ませるための世間話だと気がついて恥ずかしくなった。慌てて「ありがとうございます」と付け足したら変なタイミングになってしまって、天井に向かって「ありがとうございます」と言いながらベッドごと別の部屋に移動させられた。背中のほうからタイヤの音が響いてきて、天井が流れていく。

 無言の父親と合流して、ふたりでカーテンに仕切られた。心底申し訳なくて「休みなのにごめんね。こんな娘でごめんね」と謝ったらますます不甲斐なくなって涙が流れてくる。父親が自宅から抱えてきたティッシュの箱を枕元に置いてくれた。特別に駆けつけてくれた心理士さんの忙しそうな様子を見たらさらに申し訳なくなって、駄々をこねてしまったことも死にそうなほど恥ずかしく、もうこれ以上人に迷惑かけるくらいならこのまま大人しく帰って死んだほうがいいなと思った。そう決めたら心が納得したようで少しだけ胸のあたりが軽くなって声を出しやすくなったので、「帰ったらもう死ぬから大丈夫」と自分の脳を誤魔化しながら、「このまま帰ったら死んじゃいます」とはっきり伝えた。伝わっているかわからなかったので「死にます死にます」と繰り返していたら入院を勧められたけど、「今日はカニバのイベントがあるので入院できません。明日は阿佐ヶ谷で、明後日は名古屋で仕事があるので入院できません」と言ってしまった。ずっと入院したかったのに……。

 前回の診療で主治医に楽しいことを考えましょうと言われたこと、一生懸命考えたけど何ひとつ思い浮かばなくて、現実の自分と楽しいことを考えられる自分とのギャップに絶望してしまったこと、治療の方針を教えてもらえず見通しが立たなくて困っていることを伝えると、「先生もいま慎重に考えている途中だと思いますよ」と言われたので、ずっと不安だったことを思い切って訊いた。私は本当は病気じゃないのに病院に来ていて迷惑だと主治医から思われてるんじゃないかということだ。

「私は病気じゃなくて、いまも救急で死にそうな人がいるのに、自分で死にそうになってる私は迷惑だし、本当は病院に来なくていいと思われてますよね?」

 心理士さんは食い気味で「立派なご病気です」と言った。立派なご病気……。

 大学病院は忙しくてできることは限られているけど、その分24時間体制で電話で相談できるようになっているから死にそうになったら電話するように教えられた。みなさんもっと症状がひどくなる前に電話してますよ、と。たしかに救急車で運び込まれるほうが明らかに迷惑だし、そうやって甘えていいんだと思ったらほんの少しだけ気持ちが楽になった。

 広大なロビーの人混みの中に、パジャマのまま放り出される。父親も休日そのものみたいな風情で、私たちだけ家の中から急に切り出されていて心細かった。歩ける気がしなかったのでタクシーに乗り込んで帰る。何か勘が働いたのか、祖母から電話がかかってきて「最近は元気?」と言う。「うん、元気」と応えて二、三言話して電話を切った。

 無情だ。何事もなかったみたいに自宅に戻っていく景色を見ながら思う。底をついても何も変わらない。結局私を救えるのは私しかいないのに、私にはその体力気力がない。

 自宅に戻ってすぐ、千吉良さんに「行きます」とメールを送ったら、今日は休みましょうと返信があった。今日の1回のイベントよりも、たまちゃんの今後の体調のほうが大事だよ、と。フリーランスで仕事はいつもひとりでやっているので、労われて涙が溢れた。人生を共に歩んでくれる編集さんって本当に貴重でありがたい。でも体が悪いわけじゃないので行きますと言うと、出演時間を半分に減らしてもらえるように主催者側に交渉してくれた。調子が悪いと頭が働かないので、自分では仕事を減らしたり断ったりすることができなくて、むしろ遂行してしまうのだ。そういえばさっき電話で「行けない」と自分で言ったことを思い出した。限界を迎えた時の私は、本当はもう自分が働けないことを知っているのだ。でも私には認められなかった。

 慌てて帰って来た母親も私がイベントに行くと知ると驚いて、悩んだ末にロフト9まで同行してくれることになった。荷物を減らしたかったけど、そういう作業をすると混乱してまた倒れる可能性があったので、イベント用の道具が全部入った登山リュックをまるまる背負って自転車に乗る。

 ロフト9に来てみれば、東京キララ社の保夫さんや、齋藤店長が迎えてくれて、非公式主治医(?)のdaitengくんも駆けつけてくれて、なぜこんなに人に恵まれているのに倒れたりするのか心底不思議であった。

 楽屋で石丸元章さんや根本敬さんと共に母親が居るという異常事態もまた面白く、根本さんが『パリ人肉事件』の裏表紙を見て、「精子にしか見えないんだよねえ」と小声で呟くのを聞いてうふふと笑みがこぼれてしまう。

 ところがイベント後半から登壇したものの、途中でみんなが何を話しているのか全く理解できなくなってしまった。なぜか言葉の意味が理解できないのだ。余計なことしなければいいのに、なんとなく話の流れを汲んでコメントを挟んだら、明らかに見当違いなことを言ってしまって、その瞬間に緊張の糸がばちっと切れた。視界が白み、手の中を汗が流れる。これは、もうダメなんだな。私はもうダメになってしまったのだ。認めざるを得なかった。呼吸が浅くなって、倒れないように背筋を伸ばして歯を食いしばっていたら、異変に気づいた隣席の叶井さんが声をかけて中座させてくれた。

 息を切らして裏に戻ると、ちょうど事務所で齋藤店長が働いていて、思わずプールの壁にタッチしてゴールする時みたいに両手を伸ばした。「がんばりましたね」という声が降ってきて、私は両手を握ってもらいながら座り込んで泣いていた。奇しくも最初の診察でドクターストップを受けた時と同じ体勢だった。楽屋のモニターで様子を見ていた母親も事務所に駆けつけてくる。客席で見ていたdaitengくんからもケータイに連絡が来た。もう降参だった。私は人前に出られる状態じゃないし、以前のようにはもう気合いで乗り越えられない。これまで散々無理してきたツケがまわってきたのだ。

 明日明後日の公演はキャンセルすることに決めて、とりあえず今夜は最後まで頑張ることにした。斎藤さんも母親も「いや、もう頑張らんでも……」という顔をしていたが、私が言うこと聞かないのをよく知っているので渋々送り出してくれる。出演者の多いイベントなので、実際に私がいなくても大丈夫ではあるのだけど、居なくてもいいと思われるのがつらかった。これから先、私はもう良くならないかもしれない。あっという間に居なくてもいい人になるだろう。せめて今日はあと少しだけでも頑張りたい。

 舞台に出ると、佐川純さんが右の二の腕に有刺鉄線を巻いていた。言葉の理解力がすっかり乏しくなった私でもわかるくらい晴れやかな表情で巻いていた。あとキリで刺していた。蝋燭で炙っていた。血が滴り、壇上がどよめき、客席からはシャッター音が溢れ(あの写真どうするんだろう)、純さんは全身が光って見えるくらい晴れやかに自傷を繰り返していた。

 すっかり自分のことばかり書いてしまったけど、『カニバ』は佐川一政さんと弟の純さんを追ったドキュメンタリー映画で、今夜はその上映記念のトークイベントなのだ。ニコニコ生放送の中継が入っていて、イベントに登壇しているのは純さんだけなんだけど、映画でも話題が出ている事件には被害者の方もいるので寄せられるコメントも内容が揺れていた。たった1時間かそこら出演しただけでも、冷やかしも含めた世間の声を受けるのは精神的に厳しいものがあった。しかし純さんはそれをもう40年近く体感し続けているのだ。そして家でひとり、右の二の腕に自傷を続けてきた。

「見られるのがこんなに気持ちのいいことだとは知らなかった」

 大勢の観客の前で純さんは右腕から血を流して、穏やかな笑顔でそう言った。客席から写真を撮っていたケロッピー前田さんが右の二の腕を吊るしてサスペンションをやりましょうと手を挙げ、石丸さんは見世物小屋でのショーを提案した。客席からも拍手が上がり、純さんが解き放たれたようにさらに笑顔になる。場が浄化されるような笑顔だった。言いづらかった好きなことを公の場で話すことで仲間ができる。ロフトプロジェクトの本懐を目の当たりにした。

[コスプレアイドル声ちゃんにやっとやっと会えた!]

 終演後、来場してくれたファンの人たちに集まってもらって、直接頭を下げて休養することを伝えた。実際に会うと元気そうなのに、日記には病状が綴られているので、何が起きているのかわからなくて身近なファンにこそたくさん心配をかけてしまったと思う。急なイベントキャンセルにもかかわらず、みんな「もういい加減休んでよ」と笑ってくれてありがたかった。遊びに来ていた友人夫妻の奥さんが泣きながら、「たまちゃん、大好き!」と抱きついてきて私まで涙が流れる。「死なないでね」と言われて、初めて心から死なないようにしようと誓った。

 ほんとにごめんね、ともう一度みんなに頭を下げたら鼻が垂れてしまって、「ああ、鼻が……」と慌てていたら、ファンの人がすかさず「生きてるって実感できてよかったです!!」と言って来たので、ファンっていうのは本当にイカれ……ありがたく心強い存在であるなあと実感せずにいられなかった。

 母親はいつの間にかすっかりキララ社周辺の人たちと仲良くなっていて、泣いている私をきゃっきゃと眺めていた。よく悩んで泣く子どもだった私とは対照的に、母は圧倒的に明るく、いつもこうして寄り添ってくれていた。

 休むと決めたら途端に肩の荷が降りて、やっぱり明日明後日行けるかもと思ったけれど、それを見越していたdaitengくんが駆けつけてきて、その場で断りの連絡をするように見張ってくれた。大好きな人たちに囲まれて、私はギブアップすることができたのだ。

7月13日 0%

 数日前に購入したワイヤレスイヤホンをやっと充電した。どの程度充電したら使えるようになるのかわからなかったけど、まあ5分も充電すればとりあえず電源くらいはつくだろうと思って電源ボタンを押したがまだ赤いランプが点滅して電源すらつかない。その様子を見て急に目から鱗が落ちた。

 いままで私は自分の体力気力を0〜100%で捉えた時、0%にならなければ1%でも3%でも働くべきだと思っていた。休憩するのは0%になった時だと思い込んでいたのだ。だから実際に、寝る時は泥酔するか疲れ切っているか、いずれにしても倒れ込むようにして眠りについていた。いま目の前にあるワイヤレスイヤホンの充電は0%ではない。でも電源はまだつけられない。それと同じように人間も0%になる前に休みが必要なのだ。

 全くわかっていなかった!

 0%からなんとか気合いを入れて仕事を始めるんじゃなくて、本来は30とか40%とかまで休んで体力気力を溜めてから働き始めないといけないんだ……。なんかかわいそうだからケータイはいつも充電満タンにしているのに、自分自身はケータイ以下の扱いしかしていなかったのか。衝撃だった。

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