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小さな幸せの見つけ方          ~昔話からみーっけ~

 どうも、ひもすです。今回の記事は、昔話(童話)から「小さな幸せを見つけ方」を伝える内容となっております。では、昔の世界へレッツゴー!

 始めに。昔話は大きく分けて2パターンがあると思っています。一つは作者が意図し、前もって教訓を組み込むパターン。例えば『イソップ童話』等が有名ですよね。もう一つは後世の人々が読んで「嗚呼、よくよく読んでみればこれはこういう教訓があるな」と後付け教訓のパターン。例えば『桃太郎』のような伝承文学がそれにあたります。私がこれから書くことは大体が後者になると思います。読む人によって色々な解釈が出来る方が楽しいですからね。さて、前置きはこれくらいにして本題に入っていきましょう。

「桃太郎」から見つける小さな幸せ

 日本人ならば、ほぼ誰もが知っていると云っても過言ではない昔話ですね。私も小さな頃から知っていましたし、両親も祖父母も、そのまた祖父母も、逆に今を生きる3歳くらいの子どもさえ知っています。そう考えれば、きっと100年後の子どもたちも「桃太郎」を知る事となると思います。改めてすごい作品だなと思いました。

 では、その歴史を紐解きましょう…とすると無茶苦茶長くなる上にコンセプトとズレが生じてしまうのでここでは割愛します。どうしても気になる方は自分で調べてみて下さい。そこからまた新たな発見があるかもしれません。ここでは、万が一知らない人の為に概要だけは書いておきます。因みにここで書く内容は原作に忠実なものではなく、あくまで一般的な誰もが知っている童話化されたものとします(私の伝えたい桃太郎)。

桃太郎 ~概要~

 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に行きました。

 おばあさんが洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れてきます。おばあさんはその桃を拾い上げ、家へ持って帰りおじいさんと食べる事にしました。

 二人で桃を食べようと、桃を割ったとき、中から男の赤ちゃんが、でてきました。おじいさんと、おばあさんは、大喜びしました。そして、その男の子は桃から生まれたので、桃太郎と名付け大事に育てました。

 桃太郎は、すくすくと成長し立派な力持ちの若者になったのです。そんなある日の事、村で悪さをしている鬼のうわさを聞きました。正義感の強い桃太郎は鬼退治の旅へ出かける事にしたのです。

 旅へ出る前、おじいさんとおばあさんは桃太郎にきび団子を作って持たせました。そうして桃太郎は鬼退治の旅へと出かけたのでした。

 旅の途中、向こうから一匹の犬がやってきます。そして「桃太郎さん、どちらへ行くのですか?」とたずねます。桃太郎は「鬼退治に行くんだ」と答えると、犬は「お腰についているのは何ですか?」とまた聞きました。「きび団子だよ」と桃太郎が答えると、犬は「ひとつ私に下さいな。そうしたらお供します。」と云ったので、桃太郎はきび団子を犬に与えました。こうして犬は桃太郎の家来となったのです。更に途中で出会った、猿も雉もおなじように桃太郎の家来となりました。

 一行は、旅の歩を進め、鬼の住処である鬼ヶ島へとに辿り着きました。

 鬼たちと桃太郎一行の戦いとなりました。犬は鬼の足にかみつき、キジは鬼の目をつっつき、さるは鬼のあっちこっちをひっかきました。桃太郎も鬼と戦い、とうとう鬼たちは、泣いて謝り「これからは、悪いことはしませんから、盗んだ宝は全部返します。」と云うので、桃太郎は鬼たちを許してあげます。

 盗まれた宝を村へと持ち帰り、おじいさんも、おばあさんも、村のみんなも喜んで、それからは平和に暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし…

 ざっくりとこんな感じでしょうか(違っていたら御免なさい)。さて、この物語から学べる教訓は沢山あると思いますが、ここはそれぞれの「幸せ」について深掘りしていこうと思います。

『おじいさんとおばあさんの幸せ』

 これはもう「桃太郎という存在に出会えた事」ではないしょうか。劇中、夫婦の間に子どもの存在は語られておりません。故に桃太郎が自分たちにとっての最初の子どもとなったでしょう。大事に育てたという観点から、間違いなく桃太郎(我が子)の存在は幸せそのものだったのだと思います。現代においては必ずしも「子どもの存在=幸せ」とはなりませんが、この物語において、桃太郎(子ども)は幸せの象徴となったのです。

『犬、猿、雉の幸せ』

 桃太郎の家来となったメンバーたちの幸せとは何だったのでしょうか。キビ団子を貰えた事?一緒に旅をした事?鬼退治をして村に平和を取り戻せた事?どれも幸せと繋げようとすれば繋がりますが、一番の幸せだった事は「桃太郎という存在に出会えた事」ではないでしょうか。ここでも桃太郎の登場です。キビ団子という契約はあったものの、それでも一緒に鬼退治の旅をするという事は、自分の命を落としかねない旅であったと思います。少なくとも人の言葉を話し、理解できる存在として登場しているので恐らく知能も高いのではと推測できます。そんな知能の高い動物たちがリスキーな人生(正確には人ではないので、犬生であり、猿生であり、雉生ですが…)の選択をキビ団子だけでしたとは到底思えません。つまりは桃太郎(カリスマ的存在)が彼らを動かしたのです。自分たちが心から信頼できるものに出会えたなんて幸せもんだなと思います。

『鬼たちの幸せ』

 この物語においての鬼たちは不幸をもたらせる存在として描かれています。しかし、そんな鬼たちにも幸せは2つ程ありました。1つは自分たちの欲望を忠実に再現したという事。村での悪さで具体的に名言されているのは「村の宝を盗んだ事」ぐらいですが、その瞬間は鬼たちにとって最高に幸せだったのではないでしょうか。そう考える鬼は人間とはかけ離れた存在としてではなく、かなり人間臭い存在ですね。己の欲望を満たす為、悪に染まる事は決して褒められたものではありませんが、「幸せ」=「自分の心を満たす事」ですので、突き詰めてしまえば、ある意味、間違いではありません。間違いではありませんが、皆さんは人ですので、鬼の様にはならないでくださいね。そして、もう一つ。こちらの方が最終的な幸せ指数は高そうです。それは「桃太郎という存在に出会えた事」です。またまた出ました桃太郎。流石は主人公。自分の名前を物語のタイトルにするだけはあります。鬼たちはまさか自分たちを負かす存在が現れるとは夢にも思っていなかったでしょう。しかも、改心します。よくある話ですが、非行少年がある日、カリスマ的な存在の人物に出会い、色々ありながらも、徐々に心を開いていき、最後は改心して幸せな人生を歩んで行くストーリー。桃太郎に出てくる鬼たちはまさにそれです。鬼たちもこれから幸せな人生(鬼生)を歩んで行くでしょう。

『桃太郎の幸せ』

 最後に桃太郎についての幸せです。散々、周りに幸福を巻き散らかしてきた幸せの象徴的な存在である桃太郎ですが、では逆に、彼の幸せは一体何処にあったのでしょうか。今一度、物語を振り返り、私が書いてきた事を振り返ってみて下さい。何となく察しがつきましたか?彼の幸せは…これ以上は書かない事にします。後は皆さんの中で噛みしめて下さい。

 本日の話はここまで。小さな幸せは見つかりましたか?「見つけられたよ!」という方は是非、スキやフォロー、コメント等をお待ちしております。また来週、お会いしましょう!ではでは。

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