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不登校。変わらないといけないのは世の中なんじゃないかな、という話。

こんにちは。おひさまの光が大好きなひなたです。
年末から風邪をひいてしまい、鼻声のまま新年を迎えてしまいました。
最近、本当に風邪の治りが悪くて、これが年を取るということなんだなあ、
としみじみ。

そんな中、最近、ママ友と話題にすることが多くなった「不登校」について、結構まじめに書いてみたいと思います。


学校に行かない、行けない子はどんどん増えている


文科省では年間30日以上「何らかの心理的,情緒的,身体的あるいは社会的要因・背景により, 登校しないあるいはしたくともできない状況にある者(病気や経済的事情を除く)」を不登校と定義しています。

直近の発表では、小中学校で29万9,048人。割合でいうと3.2%。
中学校だけでいうとおよそ6.0%ということなので、100人に6人、各クラスに2人ずつぐらいは不登校がいる、という計算になります。
この数字は、上の定義に当てはまる子供だけなので、時々学校に来ない、保健室登校、などを含めるともっと大きな数字となるようです。
私の実際に耳にする話からも、不登校はクラスに2人どころではないと考えています。
かくいう我が家は、娘は不登校ではなかったのですが、通信高校に通っています。
でも、そんな話をすると、「実はうち、不登校なんだ」というお話を打ち明けられることがとても多くなりました。

要因の第1位は無気力・不安


まず初めに、私は不登校の問題は、学校や先生を批判するような話ではないし、そもそも本人とか家庭とか、どこかに原因を求める、そんな話ではない、と思っています。

なぜって、不登校の要因の第1位が「無気力・不安 51.8%」だからです。

これ、小中学生の子供が無気力・不安ってとても異様で、深刻な問題だと思いませんか。
実際、不登校の子を持つお母さんの悩みで一番よく聞く言葉が
「原因がよくわからないんだけど・・」なのです。

はじめは、私も、「いやいやそうは言っても何か致命的な出来事があったのではないかな」と思っていました。
でも、どうにもそうではないようなのです。

学校が面白くない


私たち大人は、ついつい自分の子供の頃と比較して、
「自分たちも辛くても頑張った」
「学校に行きたくないなんて、単にわがままなんじゃないか」
と安易に捉えてしまいがちですよね。

確かに、私たちの時代は学校に行かないなんていう選択肢はなかったし、
体罰もいじめも今よりずっと過激で、学校は、はるかに荒れていました。
家庭の事情を抱えた子もたくさんいたけれど、それでも、学校に行けなくなる子は少なかった。

では、何が違うのか・・昔より穏やかに見える学校なのに、なぜなんだろう・・
考えてもなかなか答えが浮かばず、日々紋々と過ごしていたある日。

運動不足だからと、中学生の息子を散歩に誘ったついでに、ふと、思い立って聞いてみたんです。

私:「ねえ、なんで不登校の子、増えてるのかな」
息子:「いやーママ、だってさ、学校いてもつまんないよ」
私:「何がつまんない?」
息子:「だってさー、朝から晩まであれやるな、これやるなって。よくわかんないルールばっかだしさー、全然理由がわかんないこと守れって言われてもさ」
私:「なるほど。」
息子:「しかもさー、確かに提出物とか忘れたら悪いよ?でもさ、とにかくあれが出来ない、これが出来ないってさ、そんなことばっかり言われて面白いわけないじゃん。そんな完璧な人間とかいるわけ?」
私:「まあそうだね。」
息子:「勉強もさー、楽しいものもあるよ?でも、これ覚えてどうすんの?とか思うけどさー内申あるし。」
私「・・・。確かにね。でもそういうのって友達同士で愚痴言ったりとかして発散したりするものなんじゃないの?」
息子:「そうだよ。それしかないよ。でも、そんなのみんなの前で言うやつなんかいないよ。空気読むしさ。みんなラインとかだよ。チクられたりするから、裏アカ使ったりとかさ、もうドロドロだよ。」
私:「それは、、疲れるね。」

息子曰く、考えられる要因として
学校は理不尽なルールが多い。
先生の顔色ばかりみて、行動しないといけない。
友達にも本音が言えない。

要は、
「学校が息苦しくてたまらない。」

昔は、どんなに勉強がつまらなくても、
先生に理不尽なことで怒られて腹が立っても、
とにかく友達に会うのが楽しかった。
くだらないことしか話さなくても、喧嘩をしても、やっぱり友達と居たくて学校に行っていたような気がするんです。
理不尽なことなどは変わらなくても、友達の中では本音が言えました
昔は、ある意味もっと自由でした。

でも、今の子は、友達同士でさえ、顔色を伺いながら、浮かないように、ハブられないように、最新の注意を払いながら生きている

しかも、SNSで24時間つながっていて、どこで誰が何を言うのか、何をしているのか、常に気を張っていないといけない。

繊細な子、敏感な子が、どんどんと潰れていってしまっているのではないか、と思うのです。
子供が思ったことを言えない、これは本当に深刻な問題だと思います。

大人もモノを言えない学校


モンスターペアレントという言葉が使われ始めたのが2007年ごろ、不当な要求をつきつける保護者が増えたと話題になりました。
一方で、「開かれた学校」という中教審の提言のもと、学校公開や学校評議員制度等、私たちの時代にはなかった「教育そのもの」以外に取り組まなければいけないことが格段に増えました。

本来の開かれた学校の趣旨は
「学校が家庭や地域と連携してさまざまな課題を解決していく」
というものだったはずが、
学校に対する要求水準だけを高くしてしまい、学校は家庭や地域、世の中全体から「監視」される場になってしまっているように感じます。

そうなると学校が「とにかく問題を起こしてはいけない、起こしたくない」となるのは当然で、学校全体の閉塞感につながっていきます。

学校も、先生も理不尽な要求に耐えている状態が浮かび上がってきます。

先生が疲弊しきっていると、子供たち一人ひとりの想いに寄り添うという余裕などなくなります。
本当は、時代の流れに応じて、学校も変わっていかなければいけないこともたくさんあるハズ。
子供たちと建設的に意見を交えながら、より学びが楽しくなるように、見直していくこともたくさんあるハズ。
でも、そんな余裕はどこにもないように見えます。

どの組織でも、過度な社会的要求と激務は人の心の余裕を奪い、風通しの悪い閉塞的な環境を生み出していきますが、学校の場合、最後の「とばっちり」を食らうのが、子供たちなのだと思うのです。

小さい頃から「いい子」を演じさせられる子供たち


昔は、子供同士の喧嘩に親が介入することは珍しかったですね。
だから、たくさん揉めたし、その中で人間関係を学んでいきました。

今は、それすら子供達には許されません。

親同士の揉め事につながってしまうから。

「絶対手なんか、出しちゃだめよ!」
「え?そんなこと言ったの?ちゃんと謝ってね。」
「揉めるんだったら、もう〇〇ちゃんと遊ばないようにしてくれる?」

電車の中でも、街の中でも、子供が少しでも走ったり騒いだりすると、
「すみません!」を連発するお父さんやお母さんを見ていると、
本当に切なくなります。

おとなしく、揉めない、問題を起こさない、余計なことを言わない、大人たちにとって都合のいい子

私たち大人が求めてきてしまった「理想の子供像」はそもそも幻で、
「学校がつらい」という子供たちは、
本当は学校が辛いのではなくて
自分が自分でいられない環境が辛くて、とても苦しくて、
何もやりたいと思えない、生きていく意味がわからない

そんな風に思わせてしまっているのではないでしょうか。

本当に不登校の問題を解決するのであれば、
私たち大人は、世間の批判に必死に耳を傾けるのではなく、
子供たちの心の叫びに耳を傾けなければいけないのではないのか
と思うのです。
子供たちが、心から活き活きと過ごし、学べる学校であって欲しい。

変わらなければいけないのは世の中で、
いつまでも大人までが理不尽に耐え、子供にも理不尽を押し付ける、
そんな連鎖があたりまえであってはいけない
と思います。







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