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波は引くちからのほうが強いことを知っていたはずだった

赤信号の時に横断歩道を渡ってはいけない
スカートを穿いている時に足を開いてはいけない
を教わったのと同じくらいの強さと確かさで

「波は引いていく力の方が強いからあらがってはいけない、寄せる時にグッと泳ぐと岸に近づける」

ということを親から教わった記憶がある。
ぼくは、幼い頃から海に親しんできた。

海なし県に生まれ育ったけれど、ダイビングが大好きな両親は色々な海に連れて行ってくれた。いつのまにか、海は自分たちがやってきたところで、いつか還ってゆくところなのだと思うようになった。

人が死ぬ時や人が生まれる時は、
潮の満ち引き=月の満ち欠け=月による引力
に影響されていることを何となく体感した。
そして生理が来て、バイオリズムというのは何となく潮の満ち引きや波が寄せたり引いたりするのに似ているということもわかった。

会社の同期にその話をしたら「なんかスピってんね笑」と鼻で笑われたが、あまりスピリチュアルだとは思わない。本当に、人の生活や体調は波のようなのだ。

波は、引いてゆく力の方が強い

そんなことは、色々な海が、実際に教えてくれたことのはずだった。

冬になるとうつっぽくなる人生をもうかれこれ10年くらいやっているが、デスクワークとうまく付き合えず、ここ2年は冬に寝込む生活となってしまった。

行き帰りの電車で涙が出るようになり、
会社に時間通りに行けなくなり、
人の話がよくわからなくなり、
時間とお金の計算ができず、99円のトマトを買うかどうかを判断できないことが悔しくてスーパーの野菜売り場でさめざめと泣くようになり、
大好きな麻雀やValorantのルールがいまいちよくわからなくなり、
いつの間にか起き上がれなくなった。

実家で泣きながら母親のご飯を食べ、
このまま死んでしまうのではないかと思うほど眠り、気が向いたらすきなyoutubeを見て、おだやかなエッセイ漫画を読み、少しだけ仕事をして、食べられるものを食べ、行けるところに行き、少しだけお散歩をしていたら、なんとなく目が覚めてきたように感じた。

物語をすこしだけ書けた。
長い文章を書けた。
麻雀の待ち牌がわかるようになった。
推しが勝ったら嬉しいと思うようになった。
99円のトマトは迷わず買えるようになったし、
安心して包丁で切ることができた。
恋をしたい、と思った。

ああ、春が来るのだ。
どんなに長くて暗いトンネルも、必ずおわる、頭ではわかっていたことが、現実になるという喜びがあった。

一方で人間の体は、波のように変化していることは友人からも忠告されていたし、自分でも理解するように努めていた。
よくなるということは、必ず悪くなるぞ。そう言い聞かせていたが、ひとつだけ、海に教わったことを忘れていた。

波は、引いてゆくちからのほうが強い

突然、眠れなくなった。
メソメソうだうだとしていたら、朝になっていた。理由はよくわからない。このままだとダメかも、と思った夜、誰にも上手に助けを求められなかったらズブズブと深い沼に沈んでいった。起き上がるとポロポロと涙が出て、お風呂にもトイレにも行けなくなった。ご飯を食べる時以外は基本的に体を横にしていた。コンロの前に座布団を敷いて、横になってパスタ用のお湯が沸くのを待っていた時は、かなりみじめでまた泣いた。
また底なしの沼にズルズルと沈んでゆく感覚があった。
よくわからないけれどとにかく1人でいてはいけない、と思い、23時終電近くに家を出て這うようにして実家に向かった。
1時間で着くはずの実家に着いたのは25時だった。
その日、埼玉県にはみぞれが降っていた。

その翌日も眠った。
眠れるだけ眠った。
眠っても眠ってもねむかった。
冬眠するクマは、眠る前に「もう目覚めないかもしれない」という怖さを覚えるのだろうか。

2日経ったらだるさは消え、会社にもいけた。
口にできたデキモノのせいでうまく話せないし、ろくに食べられないがあたまは少しクリアになった。

そしてはっきりと思った。
波は、引いてゆく力の方が強い。

2〜3歳の時に海に教えてもらったことなのに、
全く覚えていなかった。悔しいし、海に大変失礼なことをしたなと思う。
きっとこの良くなる波はもう一度強く引く。有休を消化しきるまで休むかもしれない。息をしているだけのタンパク質のカタマリに成り下がるかもしれない。それはとても怖いことだけれど、街で見かける木についた蕾は硬くなって色が濃くなってきた。

植物は教えてくれる、
春はもうすぐそこまできている。

海は教えてくれる、
寄せる波に乗れば、海岸に辿り着く。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。