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ニコ動未履修、GReeeeN履修済みでVtuberの楽しみが最大化されている

意外とインターネットで遊んできたのに、ニコニコ動画の文化に全く触れてこなかったというインターネットエアプで生きていることが、けっこうコンプレックスだった。

ところがそれが今になってかなり生きてきている。
ちなみにこの先けっこうメタいというかなんならアウトなので、苦手な方はそのままブラウザバック推奨です。

かつてニコニコ動画が遊び場だった友人と、最近のマイブームコンテンツについて話していた。
友人「じゃあ私が見てた人たちは今どこにいるの?」
ぼく「いや、今ぼくが見てる世界にいっぱいいると思う」

ニコニコ動画を遊び場としてきた人たちの多くはインターネットで遊ぶのがとっても上手だから、プラットフォームを移してもどこでも上手に遊んでいるイメージがある。そのうちの一つが、バーチャルの世界だと思っている。演者も、視聴者も。
だからこうなる未来は当たり前だったような気がする。

未履修のぼくはというと、かなり「純粋に」この文化を楽しめている。
「あっ…この声…」という経験はゼロだ。
しかも「それをそれとして捉える」楽しみ方ができる方なので、ニコ動未履修がめちゃくちゃ生きている。このコンプレックスが「よかった」になることあるのかと感動すら覚える。

その代わり、履修していてよかったと思ったのが、GReeeeNの履修だ。
GRがかつて、モーションキャプチャで本人の動きを収録した「ライブ体験型ゲーム」をDSでリリースしたことがあるのをご存じだろうか。
ぼくはこのゲームを、古めかしい表現を拝借すれば「擦り切れるほど」プレイした。
そのゲームが発展して、GRのライブは本人の動きを収録した映像がメインとなる。ぼくは11歳くらいの時から「そういうものだ」と思って生きてきた。そういうものが、そういう技術が、そういうエンタメが存在している。ぼくらが憧れの人を一番近くに感じる方法はこれしかないのだ、ということにかなり早くから納得していた。

自分はなぜVtuber文化をこれほどまでに抵抗なく楽しめているのか、不思議でならなかった。多分、GRの履修がかなり生きている。
これが、憧れの人に一番近づくことのできる形なのだ。なんなら表情がわかって最高なのだ、とすら思う。

だから、2023年の紅白すとぷりも驚かなかったし、FNS歌謡祭のマリン船長も驚かないし、誰かVtuberが紅白に2組くらい出ても驚かないし想像がつくし、化粧水ばりに自分の心に浸透して消化できると思う。
だってGReeeeNが紅白に出てるんだもん。

まああの!
GRの紅白出演には思うところはありましたけど!

コンプレックスが、自分の余暇を最大化してくれているなと思う日々。
人生の中に意味のないことなんてひとつもない、ということが証明されていていいな、と思う。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。