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個性

最近、あるひとから
「わたしには個性がないの」という言葉を聞いて
『個性』とはなんだろう?と考えるようになりました。

この世に生を受けた者は
もともとスペシャルな存在であり
唯一無二のはず。

それならば、「個性がない」ひとなどいるわけもなく
自然に生きていれば、充分に個性的なのではないかと
単純に考えていました。


先日、堀口珈琲の《スペシャリティコーヒーってなんだろう》?
というイベントに参加しました。
講座の入り口、最初のテーマが
わたしにとってタイムリーな
「個性」に関するお話だったので
たいへん勉強になりました。

珈琲のみならず、他の事柄や人間に関しても通じるものがあると
深く心を傾けて聞くことができました。

『珈琲にも 個性=特徴 があり
その特徴を楽しむには
ネガティブの除去が大前提である』

なるほど!

生まれたままの自然な状態で
ポジティブな要素とネガティブな要素が入り混じった姿を
「個性」と捉えてはいけない。
ネガティブな要素をひとつひとつ取り除いていくことが大前提。

これは、他のすべてのことにも
当てはまってくるなぁ…


珈琲の場合
ネガティブな要素は
雑味や不愉快な苦みを生むという説明に対して
参加者から
「特徴としての苦みと、ネガティブな苦みの違いはなんですか?」
という質問がありました。

珈琲好きが集まっているので
質問も細やかなものが多く
バリスタの皆様も苦戦しておられました…
もちろん、バリスタは答えを持っていると思いますが
それを素人に1分ほどで説明するには深すぎる内容なのでしょう。

要するに、あるテーマに沿って
狙った通りに出現する苦みはポジティブな苦みであり
ただ自然の素材に委ねた状態で
うっかり入ってくる苦みは、ネガティブな苦みになるのではないでしょうか?


同じように

俳優の演技
楽器の演奏
料理
生き方

すべてに共通して言えるのは
ネガティブを除去しなければ
個性をクリーンに表現することは難しいということであり
いわば、1本の生木から作品を掘り出すような作業なのではないかと。


こりゃあえらいことになっちゃったなぁ…!

わたしは今、ダンスを習っているのですが
なにしろサークルのレッスンのたびに課題が多すぎて
気を失いそうになりながら帰宅しております。

身体を使うことは
頭でピンと来てから肉体に落とし込むまでにたいへん時間がかかります。

しかし、この「個性」の話をダンスにも当てはめて考えてみると
ネガティブな要素をひとつひとつクリアにしていけば
わたしらしい姿が現れてくるということであり
逆に言うと、ネガティブな要素を放置しておけば
ツマラナイ非個性的なダンスからは卒業できない
ということになる…

おそらく
基礎の大切さというのは
ネガティブな要素を除去していく作業なのだろうと思います。

日々練習するときに
「できる」ことを目指して、つい「先生のようにカッコよく」ということに重きを置いて自分の動きを見てしまいますが
むしろ
今の自分の動きの中で
「間違っている点」「汚いライン」「無駄なアクション」を探して
それを除去するために基本形を学ぶということが大切なのだなと思いました。

ルーティンワークの内容はこれまでと一緒だとしても
視点を変えてみるということが、今後は必要なのだと
珈琲豆から学ばせていただきました。

どの分野でも一線で活躍しているかたや
高い領域まで到達しているかたは
専門分野以外の世界でも共通する「真実」を持っているんですね。


こういう風に概念を変えていただくと
ますます
堀口珈琲のファンになってしまいます。

今朝も堀口珈琲の深入りブレンドで目覚めました。
雑味の無い美しい生豆の
完璧を目指していることが伝わる美味しさをいただきました。

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