ちゃんとした版 歴史寓話を鑑賞していかに歴史寓話と知るか 「企て」篇

 序論

題名以上に述べるものがないので省略する。(註1)



 本論・1 Untitled

まず、これまでの分析に使用してきた手法のひとつ「記号的刻印」を俎上に載せる。これは言語表記上の幾何学的な側面や音素的構成要素から、作品を歴史や寓意と接続し関係づける方法であるが、その射程・有効性について検討すべく、以後通常日本語話者が高頻度で使用しうる一般的かつ標準的文字表記を(一部音韻を含めつつ)分析・列挙する。



はじめに、算用数字から(10字)。

0123456789


このうち、円形を含むもの。

0689(4字)


「日」の変形・欠損と読めるもの。

123457(6字)

(「2」は「にほん」の「に」の読みとも重なることを考慮する)

(「1」は読みの「いち」が「日」の読み「にち」の音から最初の子音「n」を抜いた形であることを加えて判断する。)(註2)



次に、アルファベット(大小あわせて52字)。

ABCDEFGHIJ
KLMNOPQRST
UVWXYZ
abcdefghij
klmnopqrst
uvwxyz


このうち、円形とその変形・欠損と見做せるもの。

CDGOPQ(6字)
abcdegopq(9字)


「日」の変形・欠損と見做せるもの。

ABEFHIKLMR
STUVWXY(17字)
fhiklmrstu
vwxy(14字)

あえて類似度のレベル分けをすれば、「ABEFHRS(類似度高)」と「KMWX(類似度中)」「ILTUVY(類似度低)」となる(小文字もほぼ同様に対応する)。究極的には直線が一本引かれているのみの「l」でさえ日本のメタファーを示す機能を有するという事態が把握できるだろう。


「JAPAN」や「NIPPON」など、ローマ字表記の際の「日本」に関わる代表的なもの。

JNZ(3字)
jnz(3字)

(「Z」・「z」は「N」の90°回転として捉えること)



次に、ひらがな(46字)。

あいうえおかきくけこ
さしすせそたちつてと
なにぬねのはひふへほ
まみむめもらりるれろ
やゆよわをん


円形、または円の変形・欠損として分析できるもの。

おすつなぬねはほまみ
むるよわ(14字)


「日」の変形・欠損として分析できるもの。

あいうえかきくけこさ
しせそたちてにのふへ
めもらりろやゆをん(29字)

「あうえかきけさせそちのめもらろやゆをん(類似度高)」「たてにふ(同じく中)」「いくこしへり(同じく低)」。


大日本帝国の「大」の変形・欠損として分析できるもの。

と(1字)

(180°回転させて「ス」に近い形と見て、上部の横棒をやや下げる)


「日」の読みとして。

ひ(1字)


円を「0」→「零」としても読めることを通じた省略形。

れ(1字)



次に、カタカナ(46字)。

アイウエオカキクケコ
サシスセソタチツテト
ナニヌネノハヒフヘホ
マミムメモラリルレロ
ヤユヨワヲン


円形の変形・欠損と捉えられるもの。

コロ(2字)


「日」の変形・欠損と捉えられるもの。

アイウエカキクケサシ
セソタツトニノハヒヘ
ミムメモリルヤユヨン(30字)

「ウエカキクケサセタヒミモヤヨ(類似度高)」「アムユ(同じく中)」「イシソツトニノハヘメリルン(同じく低)」。


「大」の変形・欠損と捉えられるもの。

スチテナヌフマラワヲ(10字)


日の丸の円形をアルファベットの「O」として捉えた時の読みとして。

オ(1字)


円を「0」→「零」として捉えた読みの省略形。

レ(1字)


第二次世界大戦中の「現人神」の「神」の字の一部の類型。

ネ(1字)


神道における神の単位である「柱」の一部の類型。

ホ(1字)



次に、常用漢字(2,136字)。

亜哀挨愛曖悪握圧扱宛
嵐安案暗以衣位囲医依
委威為畏胃尉異移萎偉
椅彙意違維慰遺緯域育
一壱逸茨芋引印因咽姻
員院淫陰飲隠韻右宇羽
雨唄鬱畝浦運雲永泳英
映栄営詠影鋭衛易疫益
液駅悦越謁閲円延沿炎
怨宴媛援園煙猿遠鉛塩
演縁艶汚王凹央応往押
旺欧殴桜翁奥横岡屋億
憶臆虞乙俺卸音恩温穏
下化火加可仮何花佳価
果河苛科架夏家荷華菓
貨渦過嫁暇禍靴寡歌箇
稼課蚊牙瓦我画芽賀雅
餓介回灰会快戒改怪拐
悔海界皆械絵開階塊楷
解潰壊懐諧貝外劾害崖
涯街慨蓋該概骸垣柿各
角拡革格核殻郭覚較隔
閣確獲嚇穫学岳楽額顎
掛潟括活喝渇割葛滑褐
轄且株釜鎌刈干刊甘汗
缶完肝官冠巻看陥乾勘
患貫寒喚堪換敢棺款間
閑勧寛幹感漢慣管関歓
監緩憾還館環簡観韓艦
鑑丸含岸岩玩眼頑顔願
企伎危机気岐希忌汽奇
祈季紀軌既記起飢鬼帰
基寄規亀喜幾揮期棋貴
棄毀旗器畿輝機騎技宜
偽欺義疑儀戯擬犠議菊
吉喫詰却客脚逆虐九久
及弓丘旧休吸朽臼求究
泣急級糾宮救球給嗅窮
牛去巨居拒拠挙虚許距
魚卸漁凶共叫狂京享供
協況峡挟狭恐恭胸脅強
教郷境橋矯鏡競響驚仰
暁業凝曲局極玉巾斤均
近金菌勤琴筋僅禁緊錦
謹襟吟銀区句苦駆具惧
愚空偶遇隅串屈堀窟熊
繰君訓勲薫軍郡群兄刑
形系径茎係型契計恵啓
掲渓経蛍敬景軽傾携継
詣慶憬稽憩警鶏芸迎鯨
隙劇撃激桁欠穴血決結
傑潔月犬件見券肩建研
県倹兼剣拳軒健険圏堅
検嫌献絹遣権憲賢謙鍵
繭顕験懸元幻玄言弦限
原現舷減源厳己戸古呼
固股虎孤弧故枯個庫湖
雇誇鼓錮顧五互午呉後
娯悟碁語誤護口工公勾
孔功巧広甲交光向后好
江考行坑孝抗攻更効幸
拘肯侯厚恒洪皇紅荒郊
香候校耕航貢降高康控
梗黄喉慌港硬絞項溝鉱
構綱酵稿興衡鋼講購乞
号合拷剛傲豪克告谷刻
国黒穀酷獄骨駒込頃今
困昆恨根婚混痕紺魂墾
懇左佐沙査砂唆差詐鎖
座挫才再災妻采砕宰栽
彩採済祭斎細菜最裁債
催塞歳載際埼在材剤財
罪崎作削昨柵索策酢搾
錯咲冊札刷刹拶殺察撮
擦雑皿三山参桟蚕惨産
傘散算酸賛残斬暫士子
支止氏仕史司四市矢旨
死糸至伺志私使刺始姉
枝祉肢姿思指施師恣紙
脂視紫詞歯嗣試詩資飼
誌雌摯賜諮示字寺次耳
自似児事侍治持時滋慈
辞磁餌璽鹿式識軸七叱
失室疾執湿嫉漆質実芝
写社車舎者射捨赦斜煮
遮謝邪蛇尺借酌釈爵若
弱寂手主守朱取狩首殊
珠酒腫種趣寿受呪授需
儒樹収囚州舟秀周宗拾
秋臭修袖終羞習週就衆
集愁酬醜蹴襲十汁充住
柔重従渋銃獣縦叔祝宿
淑粛縮塾熟出述術俊春
瞬旬巡盾准殉純循順準
潤遵処初所書庶暑署緒
諸女如助序叙徐除小升
少召匠床抄肖尚招承昇
松沼昭宵将消症祥称笑
唱商渉章紹訟勝掌晶焼
焦硝粧詔証象傷奨照詳
彰障憧衝賞償礁鐘上丈
冗条状乗城浄剰常情場
畳蒸縄壌嬢錠譲醸色拭
食植殖飾触嘱織職辱尻
心申伸臣芯身辛侵信津
神唇娠振浸真針深紳進
森診寝慎新審震薪親人
刃仁尽迅甚陣尋腎須図
水吹垂炊帥粋衰推酔遂
睡穂随髄枢崇数据杉裾
寸瀬是井世正生成西声
制姓征性青斉政星牲省
凄逝清盛婿晴勢聖誠精
製誓静請整醒税夕斥石
赤昔析席脊隻惜戚責跡
積績籍切折拙窃接設雪
摂節説舌絶千川仙占先
宣専泉浅洗染扇栓旋船
戦煎羨腺詮践箋銭潜線
遷選薦繊鮮全前善然禅
漸膳繕狙阻祖租素措粗
組疎訴塑遡礎双壮早争
走奏相荘草送倉捜挿桑
巣掃曹曽爽窓創喪痩葬
装僧想層総遭槽踪操燥
霜騒藻造像増憎蔵贈臓
即束足促則息捉速側測
俗族属賊続卒率存村孫
尊損遜他多汰打妥唾堕
惰駄太対体耐待怠胎退
帯泰堆袋逮替貸隊滞態
戴大代台第題滝宅択沢
卓拓託濯諾濁但達脱奪
棚誰丹旦担単炭胆探淡
短嘆端綻誕鍛団男段断
弾暖談壇地池知値恥致
遅痴稚置緻竹畜逐蓄築
秩窒茶着嫡中仲虫沖宙
忠抽注昼柱衷酎鋳駐著
貯丁弔庁兆町長挑帳張
彫眺釣頂鳥朝貼超腸跳
徴嘲潮澄調聴懲直勅捗
沈珍朕陳賃鎮追椎墜通
痛塚漬坪爪鶴低呈廷弟
定底抵邸亭貞帝訂庭逓
停偵堤提程艇締諦泥的
笛摘滴適敵溺迭哲鉄徹
撤天典店点展添転填田
伝殿電斗吐妬徒途都渡
塗賭土奴努度怒刀冬灯
当投豆東到逃倒凍唐島
桃討透党悼盗陶塔搭棟
湯痘登答等筒統稲踏糖
頭謄藤闘騰同洞胴動堂
童道働銅導瞳峠匿特得
督徳篤毒独読栃凸突届
屯豚頓貪鈍曇丼那奈内
梨謎鍋南軟難二尼弐匂
肉虹日入乳尿任妊忍認
寧熱年念捻粘燃悩納能
脳農濃把波派破覇馬婆
罵拝杯背肺俳配排敗廃
輩売倍梅培陪媒買賠白
伯拍泊迫剥舶博薄麦漠
縛爆箱箸畑肌八鉢発髪
伐抜罰閥反半氾犯帆汎
伴判坂阪板版班畔般販
斑飯搬煩頒範繁藩晩番
蛮盤比皮妃否批彼披肥
非卑飛疲秘被悲扉費碑
罷避尾眉美備微鼻膝肘
匹必泌筆姫百氷表俵票
評漂標苗秒病描猫品浜
貧賓頻敏瓶不夫父付布
扶府怖阜附訃負赴浮婦
符富普腐敷膚賦譜侮武
部舞封風伏服副幅復福
腹複覆払沸仏物粉紛雰
噴墳憤奮分文聞丙平兵
併並柄陛閉塀幣弊蔽餅
米壁璧癖別蔑片辺返変
偏遍編弁便勉歩保哺捕
補舗母募墓慕暮簿方包
芳邦奉宝抱放法泡胞俸
倣峰砲崩訪報蜂豊飽褒
縫亡乏忙坊妨忘防房肪
某冒剖紡望傍帽棒貿貌
暴膨謀頬北木朴牧睦僕
墨撲没勃掘本奔翻凡盆
麻摩磨魔毎妹枚昧埋幕
膜枕又末抹万満慢漫未
味魅岬密蜜脈妙民眠矛
務無夢霧娘名命明迷冥
盟銘鳴滅免面綿麺茂模
毛妄盲耗猛網目黙門紋
問冶夜野弥厄役約訳薬
躍闇由油喩愉諭輸癒唯
友有勇幽悠郵湧猶裕遊
雄誘憂融優与予余誉預
幼用羊妖洋要容庸揚揺
葉陽溶腰様瘍踊窯養擁
謡曜抑沃浴欲翌翼拉裸
羅来雷頼絡落酪辣乱卵
覧濫藍欄吏利里理痢裏
履璃離陸立律慄略柳流
留竜粒隆硫侶旅虜慮了
両良料涼猟陵量僚領寮
療瞭糧力緑林厘倫輪隣
臨瑠涙累塁類令礼冷励
戻例鈴零霊隷齢麗暦歴
列劣烈裂恋連廉練錬呂
炉賂路露老労弄郎朗浪
廊楼漏籠六録麓論和話
賄脇惑枠湾腕


漢字における円の代用「口」や、その変形・欠損を含むもの。

哀囲右唄園遠加可過歌
牙雅回害各嚇喝喚含危
喜器吉客吸嗅叫享競局
吟句君兄啓圏古呼固呉
口公勾広向后高喉硬号
合豪克告谷国酷困唆咲
辞磁叱舎呪囚周週就蹴
唱硝礁常嘱辛唇図吹石
舌占船善喪造足俗唾胎
台短嘆団知痴超嘲呈亭
適哲店吐唐党踏糖堂匿
内南肉粘破否品噴哺砲
味名命鳴問冶厄約訳融
容踊浴欲乱略厘臨路露
話腕(142字)


「日の丸」と図像的に類似するもの(「伺」)や、中心の閉鎖部から線が複数伸びる「旭日旗」の類型(「女」「兵」)、その変形・欠損を含むもの。

安案委威姻宴媛嫁丘嫌
娯好婚妻伺飼始姉姿嫉
尚商女如嬢娠姓凄婿妥
嫡妬奴努怒同鍋妊婆媒
妃姫浜婦兵妨妹妙娘妄
妖腰(52字)


「手」、「てへん」を含むもの(「手」の字体は手指と手首に由来し、広げた指と掌が旭日旗に類似することから)。

挨握扱援押拐拡掛括換
揮技擬拒拠挙挟掲携撃
拳抗拘控拷挫採搾拶撮
擦指摯持捨手授拾抄招
掌拭振推据逝誓折拙接
摂措捜挿掃操捉損打択
拓担抽捗抵提摘撤投搭
捻把拝排拍抜搬批披描
扶払捕抱撲掘抹(87字)


「日」そのものや、その変形・欠損を含むもの(「いとへん」「にんべん」「さんずい」「つちへん」「かねへん」「けものへん」「ぎょうにんべん」)。

亜圧宛嵐暗衣医畏胃尉
異偉意違遺域育一壱逸
引印員院陰飲隠韻宇羽
雨畝運雲永映営詠影鋭
易疫益駅越謁閲円延猿
鉛塩以位依維緯淫浦泳
液沿衛艶王凹央旺欧殴
翁岡屋臆虞乙卸音下夏
家貨暇靴寡課蚊瓦我画
賀餓会戒改界皆開階塊
楷解壊諧貝外劾崖縁絵
億俺化仮何佳価演汚温
河渦海潰往街該骸垣角
革殻郭覚較隔閣確獲学
岳額顎割轄且釜鎌刈干
刊甘缶完肝官冠巻看陥
乾勘貫寒堪間閑勧寛幹
関監還館環観韓艦鑑岸
岩玩眼頑顔願緩涯潟活
渇滑汗漢企気岐希軌既
記起飢鬼帰基規亀期貴
毀旗輝宜義疑戯犠議詰
却脚逆虐久及弓旧臼求
究宮球窮牛去巨居虚許
距卸凶共狂京紀幾畿級
糾給汽泣漁協峡狭胸脅
強境鏡響暁凝曲玉巾斤
均近金勤琴錦謹銀区具
空遇隅串屈堀窟訓軍郡
群刑形径型計蛍景軽傾
詣慶警迎郷緊繰系経継
況渓仰僅偶係伎偽儀供
隙劇穴血月見肩建研県
兼剣軒険堅遣賢謙鍵顕
元言弦限原現舷厳己戸
股虎孤弧庫雇誇鼓錮顧
五互午碁語誤護工孔功
巧甲交光結潔絹幻玄後
傑件倹健個激決減源湖
考行坑孝更効幸肯厚皇
郊香航貢降康港項鉱酵
興鋼講購乞剛刻穀骨込
頃今昆混痕魂墾左砂差
詐鎖座才再宰紅絞綱紺
侯候傲佐江洪溝沙彩祭
最裁塞歳載際埼在剤財
罪崎削昨酢錯冊刷刹察
皿三山参蚕産酸賛残斬
暫士子止氏史司四市旨
死至刺肢施師脂詞歯嗣
試詩資細索糸紙紫債催
作仕使済誌雌賜諮字寺
耳自児事時餌璽鹿式識
軸七室質写車者射謝邪
蛇尺酌釈爵弱主守取狩
首珠腫趣寿需収州舟宗
修羞習衆終似侍借儒治
滋湿漆酒酬醜襲十充重
従銃叔宿粛出春瞬旬巡
盾准殉循順準遵処初所
書庶暑署諸助序叙徐除
小升少召匠肖昇昭宵将
症章訟勝晶粧詔証象詳
縦縮純緒紹住俊傷汁渋
淑潤沼消渉彰障衝賞鐘
上冗条乗城剰場畳壌錠
譲醸色食殖飾触職辱申
臣身針進診寝審震尽迅
甚陣尋腎須垂帥遂睡随
髄崇縄織紳償伸侵信人
仁浄津浸深寸是井世正
生成西声制征青斉星牲
省盛晴聖誠製静請整醒
夕斥赤昔席脊戚責跡切
窃設雪説千川先宣専泉
扇旋戦腺詮践銭遷選全
前績絶線繊仙瀬清浅洗
潜膳狙阻疎訴塑遡双壮
早争走倉曹曽創痩装層
遭霜増贈臓即則速族属
賊卒存尊多堕耐待退繕
素組総続率孫遜僧像促
側他体漸測汰帯堆逮替
隊戴題宅卓託諾達脱誰
丹旦単胆端誕鍛断弾暖
壇地遅置逐窒着中虫宙
昼酎鋳著貯丁弔庁兆町
長挑帳張綻緻畜袋貸代
但値仲滞滝沢濯濁池沖
注彫眺釣頂朝貼腸跳徴
調直勅珍朕陳賃鎮追墜
通痛塚坪爪廷弟定底邸
貞帝訂庭逓堤艇諦的鉄
徹展転填田殿電斗徒途
都賭土冬締低停偵伝潮
澄沈漬泥滴溺渡塗当豆
東到逃倒凍島討陶塔痘
登頭謄闘騰胴動童道銅
導瞳峠特得督毒独読栃
凸届屯豚頓貪鈍曇丼那
梨謎二尼弐匂虹日入乳
尿年能統納働任湯洞脳
農覇背肺配廃輩売培陪
買賠白迫剥舶博麦肌八
鉢発髪罰閥反半犯帆判
坂阪版班畔販斑飯頒晩
蛮盤比皮彼肥非卑飛扉
費碑縛繁俳倍伯伐伴濃
波派泊漠氾汎罷避尾眉
微鼻膝肘匹百票評病猫
貧賓頻瓶父布府阜附訃
負赴富普腐膚賦譜武部
舞封風服副幅復腹覆物
粉雰墳聞丙平並陛閉塀
幣弊餅紛備俵付侮伏仏
併泌漂浮沸壁璧癖別片
辺返変遍弁勉歩舗母方
包邦宝胞峰崩訪報蜂豊
飽亡乏坊防房肪冒剖望
帽貿貌暴膨謀頬北牧睦
勃翻凡盆毎埋編縫紡偏
便保俸倣傍僕法泡没膜
万魅岬密蜜脈民眠矛務
霧明盟銘免面麺毛盲猛
目門夜野役薬躍闇由油
喩愉諭輸癒唯郵猶遊雄
与予余誉預用羊洋要庸
揚揺綿網幽幼優満漫滅
湧葉陽瘍養謡曜抑翌翼
拉雷頼酪辣卵覧濫藍欄
吏利里理痢裏履璃離陸
立律柳流留竜粒隆硫侶
旅虜慮了両良猟陵量領
輪隣瑠塁令冷鈴零霊隷
齢麗擁羅緑累僚倫例溶
涼涙列劣烈裂恋連廉練
錬呂老弄郎朗廊漏籠録
麓論賄惑湾浪(1,376字)


「大」そのものや、その変形・欠損を含むもの。

因咽奥敢款歓奇寄欺喫
救教矯契敬欠犬券献故
攻衡獄斎散支矢次失疾
実赦寂受臭獣奨丈状真
衰政隻羨奏送爽太対泰
大奪段致衷敵迭典度盗
突奈軟敗般疲美表敏夫
敷奮分文奉放褒奔又冥
黙紋友有悠沃絡寮療瞭
類戻賂六(94字)


「柱」の一部である「木」や、そこから転じた植物性のものを示す「くさかんむり」、「たけかんむり」を含むもの。

移椅彙鬱栄桜横穏果科
架稼械概柿格核穫楽株
棺机季棋棄機休朽橋業
極禁稽桁検権枯校耕梗
構稿根査采栽材柵札殺
雑桟傘私枝示斜朱殊種
樹秀集柔述術床承松称
植森新親水粋穂枢数杉
精税析積染栓租粗礎相
桑巣槽踪束村棚探稚秩
茶柱椎程桃透棟稲杯梅
板番秘氷標秒不柄米某
棒木朴本麻摩磨魔枚昧
枕末未迷模耗弥誘様裸
来料糧林暦歴楼和萎茨
芋英花苛荷華菓芽箇蓋
葛管簡菊菌苦茎芸筋繭
荒黄菜策算芝若笑蒸芯
薪薦籍節箋荘草葬藻蔵
蓄第竹築笛藤難答等筒
薄藩箱箸範苗蔽筆符蔑
募墓慕暮芳幕簿夢茂落(170字)


日本の国土のほとんどを占める四島の再配列として読む「心」やその変形・欠損を含むもの(「りっしんべん」「れっか」)。

愛曖悪為慰悦怨応憶恩
快怪悔懐慨患感慣憾忌
騎急魚恐恭驚駆惧愚熊
勲薫恵憬憩鶏鯨憲験懸
悟恒慌黒駒恨懇惨志思
恣慈煮遮愁熟焦照憧情
心慎性惜煎鮮然窓想騒
憎息惰駄怠態恥忠駐鳥
聴懲鶴点添悼徳篤忍認
寧熱念悩馬罵悲必怖憤
忙忘墨慢無憂窯慄(108字)


「日」の読みとして(「火」)。

炎煙火灰災秋焼炊燥炭
淡談灯燃爆畑煩炉(18字)


円形を意味する「丸」や、その変形・欠損を含むもの。

丸九砕執塾尻刃酔勢男
刀勇力励労脇枠(17字)


天皇を想起させるもの(「天」)。

天(1字)


「神」の一部である「しめすへん」やその変形・欠損を含むもの(「ころもへん」)。

禍褐祈襟祉視社袖祝祥
神裾禅祖被福複補裕礼(20字)


男性器の形状に類似し、支配性、攻撃性、軍事を示すもの。

介(1字)



以上、標準的文字表記(計2,290字)の分析によって理解できるのは、以下のような事実である。文字は、究極的には線一本引かれていれば日本の寓意を示しうる(「l」「ノ」「一」)。「口」「日」ほか使用頻度の高い部首そのものが記号的刻印として機能しており、また形状も単純であるため、より複雑かつ難解な漢字ほどその一部あるいは複数の部分に記号的刻印を含む可能性が高まる(画数の多い漢字であってもいくつかの単純な特徴を含み、ある種のパターンによって構成されている面があることは指摘するまでもない)。

もし、すべての標準的文字表記に日本の寓意を示す刻印が見出されるとしたら、何が起こるだろうか。

ジャッキー・チェン主演の映画『プロジェクトA』(1983年)にこんなシーンがある。悪者が密かに運び入れた品を一旦材木のなかに隠し、目印に赤い布をつけておく。のちに材木を買いつけて白昼堂々運搬し、目当ての品を目的の場所にまんまと運び込もうという寸法だが、いざ買いつけに行ってみるとすべての材木に赤い布がついている……。

あらゆるものから検出される完全に同一の刻印は、目的のものとそうでないものを区別する機能を持たないのではないだろうか。



 本論・2 歴史寓話とそうでないものを峻別する基準について(「鋲」機能)

上述の分析により判明しているのは、実際には「ある程度までヴァリエーションを許容したとき、すべての文字表記には何かしらの日本的な寓意を示す刻印が見出される」ということであり、それら諸要素はまったくの同一ではなく「日本」「大日本帝国」「天皇制」「軍事力」などの差異が認められる。これは、そうした諸要素群および作品におけるプロット構造に対する歴史との細密な対応関係を精査することによる歴史寓話の同定可能性を示すだろう。(註3)つまり記号的刻印は単独ではなく総合として作品の構造的関係全体にその歴史と接続する機能をようやく発現させる、接続力の脆弱な「企て」なのである。

ここで、「企て」の持つ「歴史や寓意と作品を接続する機能」を「鋲」もしくは「鋲機能」と呼ぶことにする。「鋲」は歴史寓話を偶然として退けられてしまうことを防ぎ、歴史の寓意として意図された作品とそうでない作品とを判別する効力を計測・提示するための規準である。記号的刻印の場合、鋲機能は低い。だが言語には意味が付随するため、記号・意味論的刻印とすると鋲としての機能はやや強まる。(註4)要素・制限共に増大し、その複雑さが他の可能性を排除しやくするため、有意差を生じさせるだけの確定性を得る確率が上昇するためだ。

では確定性を高めるためには他にどのような方策が考えられるだろうか。ヴィクトル・シクロフスキーは「芸術作品の素材は、必ずや強調され、つまりほかのものと区別され、《声を限りに》訴えるようにしてきわだたせねばならぬのだ」(註5)と主張し、B・フリスチアンセンを引用する。「われわれは、習慣的で正常な、そして現実に存在する規範からはずれたような感じを覚えることがあるが、そんなとき、われわれの内部では、独特な価値をもった情緒的な印象が生まれるが、それは、形態としては、感情に訴える形式の情緒的な要素と異なるところはなく、ただ、一致しえぬ感じ、つまり感覚に到達しないなにものかが作り出す差異があるだけなのだ」(註6)「意味においては不可欠な力点と間のおかげで、基本的な構図がたえず破壊され、構図と実現されたものとの差異が詩の構造を活気づけはするのだが、構図はリズムをもった形式の与える印象を無視して、逸脱の尺度ともなれば違和感を与える印象の根拠ともなる機能を果たすのである」。(註7)これらはすなわち、「違和による強調」が持つ効果を示し、それを構成する方法を表している。「しかるべき違和感のある印象を与える」(註8)前提として「規範となりうるものはすべて、積極的な違和感の出発点を作りだす」(註9)こと、そして「規範からはずれたような感じ」が与えられたとき、その表現は「必ずや強調され、つまりほかのものと区別され」ることだろう。

これらの点から、「違和による強調」には「ほかのものと区別」する機能があると推測できるため、確定性の向上、つまり鋲機能の強化・上昇の効果が期待できるものと思われる。

西尾維新、暁月あきら『めだかボックス』では「漆黒の花嫁衣裳」編以降、「言葉を武器にする六人の言葉使い」(註10)が登場する。常用漢字とその音読み・訓読み・意読・類似による誤読・基本的な偏旁冠脚の構成による常用外漢字の使用などを行う「漢字使い」、(註11)「あらゆる言葉を間違え」(註12)「敵の攻撃は存在しない言葉へと変換し 存在しないことにしてしまう」(註13)「誤変換使い」(註14)、「己という概念を同属性の別の概念に置き換え―― 言い換えることができる」(註15)「換喩使い」(註16)など。それまでの展開から大きく路線を変更し「言葉」をクローズアップした新章の構成はその事実のみでも違和感を生じさせるものだが、特に4話に渡る「消失しりとり」の展開と結末に至っては言語に絶する逸脱ぶりである。(註17)

原作の西尾が「言葉」とその性質や用法に関して「違和による強調」を行っていることはここまででも十分に理解できるが、さらに補足するならば、同作において幾度か使用される「暗号」(註18)が同作のみならずマンガというジャンル、あるいは物語を描く作品群に仕掛けられた「暗号を解読するように仕向ける」意図を読み取る事もできる(暗号というのはそれだけで耳目をひく、強調されたものだ)。(註19)

また例えば、おがきちか『Landreaall』は作品タイトルという否が応にも強調されざるをえない部分で読み方に戸惑う特徴的な字列を並べるが、それによって本作のすべて(all)が現実(real)と重なり、繋がっている(reaall)、それはこの国(Land)のことなのだ、という意図を強調する。また小説家である伊藤計劃は「計劃」という日本語にしては奇妙な命名について「『劃』の字が古いのは、香港映画とかでそう書かれているのが印象的だったからです。ジャッキー・チェンの『A計劃(プロジェクトA)』とか」と語っているが、(註20)これは『プロジェクトA』が「連合国側から見た第二次世界大戦」のプロット構造であること(註21)を受けて違和感により強調した「展開・文脈上の刻印」(註22)であろう。題名やペンネームなど露出の多い象徴的なものをわざわざ違和感のあるもので構成することそれ自体がひとつの強調の方法であるといえる。

違和の使用に限らず、強調の手法によって確定性は向上するだろうが、そのヴァリエーションや構成全体との均衡によって印象や効果は変動する。鋲機能の有効性を高く保持しつつ、何を基準に、どのような意図によって効果・印象づけを設計するのか。まさにその点で作者の技巧が問われることになる。



 本論・3 作者の意図の確定可能性について(「フィッシュ的困難」)

現状において歴史寓話的読解は明示されている限りにおいて一般的とはとても思われず、その主張に理解が得られるような強固な基盤は依然として存在しない。歴史寓話について「知らない者」、既存の慣習的・一般的・明示的読解(これらをまとめて常用的読解と呼ぶことにする)のみによって知ることができる範囲を「作品の意味」として理解する一般的受容者に対して歴史寓話的読解を十分に説得的な読解であると提示するには何が必要だろうか。

それを知るために、常用的読解のみを行う一般的受容者(「知らない者」または歴史寓話に対して「懐疑的な鑑賞者」)がどのように考えるのか、あるいは誰であれきわめて懐疑的な態度で歴史寓話に批判を加える際何を述べることになるのか、に関して示してみよう。

スタンリー・フィッシュは「形式の記述はもはや一つの解釈であり、実際のところ、形式的要素というものも(読者の行為に関する)解釈上の仮定が発動して初めて見えてくる」(註23)「形式は解釈の圧力のもとで生じるのであって、解釈を証明する独立した存在ではない」(註24)「アレゴリー」(註25)「前もって作成しておいた意味を、その意味とは何の必然的関係もない形式に読みこむ」(註26)と記す。これらの主張すべてに筆者が同意することはないのだが、(註27)フィッシュから以下のような洞察を得ることができる。形式が決定すれば、解釈と意味が自動的に定まる。解釈が決定すれば形式と意味が、意味が決定すれば形式と解釈が自動的に定まる。形式・意味・解釈は一体化しており、どれかひとつが定まれば他のふたつは自動的(あるいは恣意的)に決定される。歴史寓話とは、あらかじめ「作成しておいた」任意の要素を作品の持つ必然性と無関係に適用しながら恣意的な評価を正当性・客観性に偽装しているのではないか……。

寓意とは「曖昧」であり「本質的に不明瞭」なものである(註28)から、明示された、慣習的な、常用的読解に慣れ親しんだ受け手に対して十分に説得的に歴史寓話的読解を展開するのは非常な困難を伴うものとなる。「伝達は状況内で起きるもので、状況内にあるということは、その場の目的と目標との関係において適切と思われる仮定や実践の構造をすでに所有している(あるいは所有されている)ということなのだ。そして、発語が<直ちに>聞き取られるのは、その目的と目標の仮定内においてである」(註29)「共通理解は、彼らがそれをもって話し推論する確信の基盤であるが、その範疇が彼らのものであるのは、一つの制度内の行為者として、制度の意味作用、制度の理解体系を自動的に受け継ぐという意味においてのみである」(註30)「認識行為は形式特徴による結果ではなく、むしろその起源である」(註31)「すべてはその目的と慣習との関係において、<すでに>組織化されていると見えるのである」(註32)「現実に存在する読者というものは、その意識が慣習的概念群によって構成されており、それが働いて、慣習的な対象、慣習的に見られる対象を構成する」(註33)……。

「歴史寓話とその手法は本当に存在し機能しているのか」という恣意性の疑いに回答する困難と、慣習性の欠如による共通理解の乏しさに起因する認識基盤の未発達を「フィッシュ的困難」と呼ぶことにする。恣意的な解釈(つまり「こじつけ」)でないかという疑念と、常用・共有されていないがゆえの無理解に対し、作者が講じられる手段としてすでに提示したような「歴史や寓意と作品を接続する機能の高い『企て』」について考えてみよう。高い鋲機能の持つ強固な接続力と、「違和」の使用などによる強調の技法によって意図を示し高い確定性を得ること。作者がこのような受け手を説得しうる手段を講じるのであれば、必要に迫られている筆者としては、確実な根拠となる「企て」を選別・抽出し、記述し、論の展開・体系化による妥当性の向上に努めることとなろう。(註34)

しかしどのような確証・妥当性を得るためであっても、時間と労力は常に課題となる。



 本論・4 当該分野の分析の蓄積状況と現在の分析リソースについて

前述したように、鋲機能の高い「企て」が存在しない作品を歴史寓話として根拠づけるには「諸要素群および作品におけるプロット構造に対する歴史との細密な対応関係を精査すること」が必要となる。強い接続力を持つ「企て」が存在しない場合、「フィッシュ的困難(恣意性を越え、意味・形式・解釈すべてに十分な妥当性を得る難しさ)」を乗り越えるには総合的整合性が認められることを示すことになるのだが、それには多大な時間と労力がかかり、おいそれと気軽にできるものでは決してない。

ヴァリエーションを得るべく厳密性の低下しているものや作者自身が「歴史寓話作者であることそのもの」を「展開・文脈上の刻印」としているケースにおいても同様で、分析不可能でこそないのだがかかる手間に比して得られる実りが割に合わないとすれば、分析理論上特に新規性のない作品を分析候補リストから除外していくことも無理からぬといえよう。あらゆる人間が有限の時間とエネルギーを向けるべき方向をいかに設定するかをシビアに判断する世界で、こうした選択は格別過酷とは思われない。

ひとりの分析者としての意見を申し上げれば、いかにその顛末が「敗戦する大日本帝国」に類似するにしても、キリストやスパルタクスの名やエピソードを引用するのみで作品を歴史寓話として設計した証拠(註35)と見做すにはいささかの抵抗を感じざるを得ない。作者側にそのような意図があり、それを指摘することがはたして正当だとしても、そのことにどれほどの客観的説得力があるだろうか。「現実に存在する読者というものは、その意識が慣習的概念群によって構成されており、それが働いて、慣習的な対象、慣習的に見られる対象を構成する」。また、分析リソースの配分についていえば、高コストとなる総合的整合性を必要とする作品はよほど重要なものでない限り判断保留(つまり未分析のまま)にせざるを得ず、部分的に分析対象にしたとしても(一時的にせよ)確定不能な「恣意的な解釈によるもの」と見做されるのだろうと推定している。現状での歴史寓話に関する理解の程度、それも専門性や暗黙の了解ではなく明示的・一般的レベルでの理解度を基準にすれば、このような推定が妥当なのではないだろうか。


筆者が歴史寓話の確定性を主な論点のひとつとするのはそれのみにあらず、このような制作技法を何故採用するのか、その意図を問うことを最重要視するからでもある。(註36)論を提出するには根拠が、根拠には説得力が、それぞれ必要だが、作者の意図であると確定するには偶然性の排除が、作者の意図がどのようなものであるかを確定するには意図の類別・特定が必要だ。それは意図されたものなのか、それがどのような意図なのか。それらを確定する鮮明な指標たり得るものに欠ける作品に関して筆者は常用的読解にのみ慣れた一般読者の理解を得られないと判断し、執筆以前の企画・調査段階で作業を中断している。意図を示すこと、意図の種類を示すもの、それらは決して自明のものではなく、編み出すもの、講じるものであること、また技巧を凝らし創意工夫によって新たな魅力を獲得する手段ともなり得ることを、ここで確認しておきたい。

意図のありかを示すための指標にしろ鋲機能の高い「企て」にしろ、単に意図を確定するだけのものではない。意図の確定だけを問題とするなら、太陽や神話を象徴的に使用した岡本太郎、円を多用する草間彌生、デジタル数字(註37)を使用する宮島達夫、多数の花と頭蓋骨で知られる村上隆、執拗に美少女(「美」「少」「女」はすべて常用漢字である)を描き続ける会田誠(註38)など、(単純で頻出するものであっても)同一のモチーフを反復的に使用し続けるコンテンポラリー・アーティストたちの優位性に太刀打ちできまい。

鋲機能や意図の指標に限らず、あらゆる技法は作品の魅力を増し受け手を魅了するために用いられるべきなのだ。



 結論 「歴史寓話と現代社会、あるいは制作陣と批評家」の、新たな「関係性の構築」について

結論としては、鋲機能の低い複数の「企て」によって歴史寓話性を担保している作品の場合、作品と歴史の総合的整合性を判断するための時間と労力が過大になるため、分析リソースの配分や効率などの面から、分析対象としては避けられやすい現状がある、ということである。人の営みは有限であり、何処かで優先順位を定めなければならない。今後分析による成果の増加、理解の拡大が状況を大きく変える可能性はあるものの、それが何時どのようなかたちで訪れるのかは神のみぞ知る、というものであろう。

さて。ここからは現代的状況における歴史寓話についてのいくつかの論点を提示したい。


まず、歴史寓話という手法は一体何を目的としていたのだろうか。筆者は以前手塚治虫に関しては「検閲回避用の情報戦術」ではないかと述べたが(註39)検閲消滅後も手法のみ継続している理由・その目的はいまだに謎めいている。特にインターネットの登場・日常化の後、マスメディアによらず個々人が自由に情報発信可能な世界となった後で、それでもこの方法が用いられているのは何故だろうか。他の利用者同様、制作陣も政治的内容をかつてより遥かに率直に表現できるようになった、そうした環境条件において婉曲的な手法を取ることそれ自体にどのような意味があるのだろう。「政治性は受け手に嫌われる」「やらなければ新人賞を獲れない、作品が掲載されない」「やれば作品の評価が(関係者内で)上がる」「便利な創作技術として」……。意図の指標の欠如は問題認識の欠如と取られかねない。

非明示的なものであった歴史寓話について筆者が言明するようになった理由は、現状維持では喪失するものが膨大になると判断したからだ。ごく初期の作者の証言、様々な制作技術、関連する文献リストなどはもちろん、各自が独自に観察・研究し会得するまでの時間と労力。現状を打開しなければこれらは失われるか浪費され、新たな開拓のエネルギーが損なわれるであろう。「学として、あるいはジャンル・文化として蓄積し後継の負担を軽減する」という発想とは正反対の態度は、未来の契機・発展を阻害する要因と見做されるものである。

状況は激変し前提も大きく変転している。惰性、手法への耽溺、視野狭窄、量産性のみの追求、原因が何であれ、時代や手法に対して新たなアプローチを模索してもよいタイミングは疾うに到来していたのではないか。(註40)

その選択肢のなかには当然ながら「歴史寓話から脱却する」というものも含まれているだろう。選ぶのは制作側だ。もし新たな歴史寓話が作られなくなれば、これまでの筆者の試みは過去に向けて持続され、同時に筆者もまた新たなる試みのなかに身を投じることになるだろう。(註41)

最後に。すべての作り手が新たな展開を迎え、作品と文化をより豊かにより一層面白くし、この国とこれらの文化がよりよい方向に向かっていくことを、そしてできることなら、新たな、そして素晴らしい「関係性の構築」がなされ続けることを、筆者は願ってやまない。



(註1) 省略された内容は以下のようなものである。「前回は『風刺寓話の仮説』(『戦後日本にとって重要な歴史解釈・歴史認識や一定期間・範囲の国際・国内情勢をプロット化し、そこに登場する個人・各組織・諸集団やそれらに内在する諸特徴をキャラクター化し、それらを偶然として退けられてしまう可能性を排除するべく{物語内外問わず}様々な手法によって歴史や寓意と作品との関連性に向けて鑑賞者への注意喚起を企てつつ、物語全体を寓意として設計・解釈・構成する試み』)におけるプロットに関する側面を中心に、キャラクターに対しても補足しつつ、歴史寓話の成立要件――それがどのように理解されるかではなく、どのように根拠づけられるか――について論じた。歴史寓話を『知る者』に対して不要であったとしても『知らない者』に対していかに説得可能か、という課題に直面した際、筆者は受け手の疑念を――それも正当かつ妥当な疑念をだ――払拭するだけの説得力のある論を用意せねばならない、と考えた。
 正当かつ妥当な疑念。それは『知らない者』がいかにも抱くようなそれのみに非ず、筆者自身が、そして、根拠や前提を確認し論を検証する批評眼を持つ者すべてが平生抱くようなそれである。曰く、『その作品は本当に歴史の寓意なのか?』。この一点を疑い尽くし、なお『是』と答えられぬようであれば実証に足る論とは言えなかろう。まずプロットはそれのみによっては歴史寓話を立証できない(プロットの本質的脆弱性)が、キャラクターは『注意喚起の企て』を帯同する場合に立証可能性の一端を担いうる。制作陣の駆使する多様な手段により歴史や寓意と作品が接続されるとすれば、それはいったいいかなる様相によってであるのか。本稿『‘企て’篇』を執筆する理由のひとつはそれである。もう一点は、前述のように『どのように根拠づけられるか』、すなわち『‘企て’の質と量』、特に『変異と多様化に伴う脆弱化の懸念』が主要な論題になるだろう(これは筆者を長年に渡り悩ませ続けた通称『清涼院流水問題』{『ダジャレ、語呂合わせ、並べ替え、連想ゲームを駆使すれば、大概のことは関連づけられる』ことを前提とした、『作者の意図の読解』が『読者による恣意的な解釈』と見做され峻別不可能とされかねない難問}への、ようやく辿り着いた回答を示すものでもある)。
 読者諸氏のなかには筆者の一種詰問的な論調にただならぬ偏執性を感じ取られる方がおられるかもしれない。だが歴史寓話の孕む曖昧さ・不明瞭さを確実さ・妥当さへと再組織化するには立証可能性の担保に十分な疑念を先行的に差し向けねばならない。
 歴史寓話は存在する。しかしそれはどのように『それでないもの』と区別されるのか。『知る者』にとって自明である判別基準が『知らない者』にとって、彼らを説得しなければならない筆者にとってどのような異相となって立ち現れるのか。
 以下の構成は、まず記号・意味論的操作を、次に『企て』の質を測る『鋲』概念を、また『フィッシュ的困難』――歴史寓話読解を一解釈へと位置づけかねない力――を、そして歴史寓話論における現状のもたらす問題(特に非明示性と分析リソースの限界によるもの)を、段階的に取り扱う。
 とはいえ、筆者もいささかおのれの猜疑心の強さを訝しく思わないでもないのだが、ともあれ始めよう」。
 プロットやキャラクターによる歴史寓話の立証可能性については「歴史寓話を鑑賞していかに歴史寓話と知るか プロット(・キャラクター)篇」を、「企て」の質と量や脆弱化については「魔法の力」を参照。

(註2) デジタル数字では、そもそも表示可能性のある部分が常に「日」の類型である。

(註3) 戦後日本文学作品はどれも極めて高い確率で歴史寓話であると思われるが、その原因は文芸誌の編集者や文学新人賞の選考委員などが作品の歴史寓話性を詳細に見極め確定したものだけを選別しデビューさせ、掲載しているからかもしれない。例えば大日本帝国、一時的に日本の勢力下におかれた地域、アメリカ、の三者を男女にし恋愛関係を構成したり、あるいは重合寓意や仮想寓意を利用し複合型として構成することで、村上春樹『ノルウェイの森』や『1Q84』などのプロットを制作することは十分に可能だ。重合寓意については「手塚マンガの風刺性を検証する――『地底国の怪人』の場合――」を、仮想寓意については「手塚治虫漫画分析001『ロストワールド』」を参照。


(註4) 線1本に過ぎない漢数字の「一」だが、読みが「日=にち」に類似する「いち」であるため、類似性は強化される。同様に漢数字の「二」は線が2本あるため「にほん=日本」を示す関連性が強まり、「三」はその読み「さん」が「sun=太陽」と類音であるので日の丸の含意もある。


(註5) V・シクロフスキー、水野忠夫訳「主題構成の方法と文体の一般的方法との関係」『散文の理論』せりか書房、1971年、p.52。

(註6) 前掲書、p.53。

(註7) 前掲書、p.55。

(註8) 前掲書、p.64。

(註9) 前掲書、p.55。フリスチアンセンからの孫引き。

(註10) 西尾維新原作、暁月あきら漫画『めだかボックス』17巻、集英社、2012年、第148箱(以下、同作の参照元の作者名・出版社名を略す)。

(註11) 同前。

(註12) 『めだかボックス』18巻、2012年、第151箱。

(註13) 同前。

(註14) 同前。

(註15) 『めだかボックス』21巻、2013年、第182箱。

(註16) 同前。

(註17) 『めだかボックス』18巻、2012年、第155~158箱。

(註18) 『めだかボックス』12巻、2011年、第98~99箱。『めだかボックス』18巻、2012年、第152箱。『めだかボックス』22巻、2013年、第187箱。

(註19) 無論「言葉」とその用法を以て「暗号解読」のためのヒントを提示しているのである。

(註20) 「Anima Solaris」著者インタビュー、http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/071101.shtml (2017年1月10日閲覧)。

(註21) 分析は略す。

(註22) 筆者による「魔法の力」を参照。

(註23) スタンリー・フィッシュ、小林昌夫訳「文体論とは何か なぜ彼らはそんなばかなことを言っているのか(その二)」『このクラスにテクストはありますか 解釈共同体の権威3』みすず書房、1992年、p.17。

(註24) 前掲書、p.11。

(註25) 前掲書、p.13。

(註26) 同前。

(註27) フィッシュは解釈の優位性を認めているが、筆者は解釈に対してフィッシュほど明確な優位を認めてはいない。形式・意味には(それは別の「解釈」による所産であるかもしれないが)解釈に対抗する手段/しうる正当性を持つ可能性を認めている(そしてだからこそ、常用的読解による排斥力を甘くみることなく、手を焼いているのである)。

(註28) 筆者による「手塚マンガの風刺性を検証する――『地底国の怪人』の場合――」参照。

(註29) スタンリー・フィッシュ、小林昌夫訳「このクラスにテクストはありますか」『このクラスにテクストはありますか 解釈共同体の権威3』みすず書房、1992年、p.99。

(註30) 前掲書、p.102。

(註31) 前掲書、p.110。

(註32) 前掲書、p.115。

(註33) 前掲書、p.118。

(註34) 作者の「自白」がもっとも強力な妥当性確保の手段となることは、今でも変わらないだろう……(制作においてパターンの飽和を回避するための振る舞いとして現れるヴァリエーションの増加は、歴史寓話に無知な振る舞いと峻別できるものの、曖昧化もしくは複雑化するため、単純明快とはいかない。むしろ別種の困難を生じさせるものだ)。

(註35) 「プロットの本質的脆弱性」の根拠となる「歴史寓話プロットと普遍的物語プロットの同一性」は「展開・文脈上の刻印」として歴史寓話の成立に寄与するという両義性を持つ。筆者による「プロットの本質的脆弱性」については「歴史寓話を鑑賞していかに歴史寓話と知るか プロット(・キャラクター)篇」参照。

(註36) 手塚治虫についてもその風刺精神を検証した。「手塚マンガの風刺性を検証する――『地底国の怪人』の場合――」参照。

(註37) デジタル数字の文字盤の点灯可能性を持つ部分は常に「日」の類型を示し続けている(註2も参照)。

(註38) 例えば、彼の「犬シリーズ」について考えてみよう。「犬」という記号は「大」日本帝国に黒星をひとつ付けたもの、即ち敗戦を示す。『犬(雪月花のうち“月”)』では満月(円形)が大きく描かれている。『犬(雪月花のうち“雪”)』に描かれた雪だるまは「雪(雨=アメリカ、の下におかれた「日」の欠損形)」によって作られた球体である。埋められている蜜柑は球形の植物。『犬(雪月花のうち“花”)』では円形のえさ入れが置かれ、日本の象徴としてよく使用される桜が描かれている。どの絵でも「裸 → 神」の少女の「髪 → 神」は束ねられ、手足は傷つき、首輪を嵌められている(つまり自由を奪われている)。

(註39) 前掲記事参照。

(註40) にもかかわらず問題が認識されなかったとすれば、それは歴史寓話の暗黙化による弊害(言明されず、問うことも問われることもない)といえるだろう。少なくとも、こうして俎上に載せることで指摘することはできているのだから。

(註41) それ以前に歴史寓話の一般化もままらなぬ状況にまずは相対せねばなるまい。「通常なものや明白なものは常にわれわれとともにあるのだが、それは変化するものである」(スタンリー・フィッシュ、小林昌夫訳「常態、直義的言語、直接的言語行為、通常、日常、明白、了解事項、その他の特殊事例」『このクラスにテクストはありますか 解釈共同体の権威3』みすず書房、1992年、p.36)。「明らかに不安定と見えるテクストなのに、多くの者がすぐにその意味を知る程度にまで安定するのはなぜなのだろう」(前掲書、p.41)。「状況の中にあるということは、見る前にすでにそれを理解しているということだ」(前掲書、p.42)。







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歴史寓話論関連リンク

・風刺寓話に関する仮説
・「注意喚起の企て」「企て」
・記号・意味論的操作
・手塚の検閲下における情報戦術
・風刺性の検証
・『アトムの命題』
・重合寓意

手塚マンガの風刺性を検証する――『地底国の怪人』の場合――

・循環・反復型寓意
・入れ子・内包型寓意
・連環・輪唱型寓意
・一方的寓意
・仮想寓意(ヴァーチャル・アレゴリー)

手塚治虫漫画分析001『ロストワールド』

・自動車(モチーフ)
・ヴァリエーションの増大
・展開・文脈上の刻印(刻印の広範化)
・歴史寓話史編纂の可能性
・状況判断的寓意
・ヴァリエーションの許容は厳密性を犠牲にすることと同義
・変異と多様化に伴う脆弱化(「企て」の脆弱性)

魔法の力

・単線型
・循環・反復型(接合部)
・回顧型
・入れ子・内包型
・複線型
・連環・輪唱型
・複合型
・逆転劇
・数珠つなぎの方法
・入れ子・内包型
・時間の流れの中断・秘密
・プロットの本質的脆弱性

歴史寓話を鑑賞していかに歴史寓話と知るか プロット(・キャラクター)篇

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