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AIはどれだけ賢くなっても人間の仕事を奪わないし、奪われたとしてもそれは人類のパラダイス

「AIが発達すると人間の仕事が奪われる。どうするのか」というような質問を受けると、私は大体次の二つの返事を返す。

一つ目は、

「AIは人間の仕事を奪わないから安心してよい」

二つ目は、

「AIを国有化すればよい」

である。

それぞれ、どのような根拠に基づいて私が以上のような返答をしているのかを二項に分けて説明してゆく。

市場に任せていればAIは人間の雇用を奪わない

仮に経営者が、より効率のいい、あるいは低コストで運用できるAIを導入するために従業員を解雇し、業務の大部分をAIに置き換えた状況を想定してみよう。経営者は低コストかつ効率的な生産手段を手に入れたが、従業員の多くはその仕事をAIに奪われ失業し、収入を失った。AIによる優れた生産手段を手に入れた経営者が誰にも給料を払うことなくぼろ儲けするかと思いきや、残念ながらはそうはならないだろう。なぜなら、顧客である(元)労働者たちはみな失業し、収入を失っているからである。人々は現金をできるだけ保存しようとして消費をためらうので、深刻な不況に陥る。

ケインズ的な立場に立つと、ここで政府が国債等を発行して支出を増やし、市場に現金を供給することでこの問題が解決されることが期待される。しかし、実際には解決しない。なぜなら、労働力需要のほとんどがAIによって満たされており、人間の入る隙がないために失業者たちが再雇用されることはないからである。政府が増発した通貨を失業者たちに供給し、失業者たちが消費を行ったとしても、それは経営者のもとに一極集中するだけで、失業者たちの雇用にはつながらない。これでは政府がただAIを保有する経営者にひたすら貨幣を渡し続けることになり、際限のないインフレーションが起きてゆくことになる。

ケインズ的なアプローチではこの問題を解決できそうにないので、今度はフリードマンやルーカスの立場から考えてみよう。企業が、自社の製品が売れないのは不況のためであると認識し、商品の価格を下げたとする。商品の価格が十分に下がれば一時的にある程度の消費は生まれるかもしれないが、その顧客である失業者の持つ資産は有限かつこれから増えることがないので、いわゆる「ジリ貧」的に失業者の持つ貯蓄を減らしていくことにしかならず、企業はひたすら商品の価格を下げることを余儀なくされる。つまり、際限のないデフレーションが発生してしまう。しかも、どこまで価格を下げようが失業者の貯蓄は有限であるからこれが尽きれば失業者は死に、企業も倒産する。

そう、低コストかつ効率的な生産手段を手に入れたとしても企業は倒産するのである。経営者が十分に合理的で聡明であると仮定すれば、従業員をAIで置き換えるという判断はしないだろう。したがって、AIは人間の仕事を奪わない。

少しまどろっこしい説明をしたが、もっと単純に同じ結論に至ることもできる。AIを導入する際の投資資金を企業は銀行からの融資で賄おうとするだろう。多額の債務を作ってAIを導入したとする。先述したように深刻な不況、デフレーションが起きるから借金の実質的負担は驚くほどに跳ね上がり、おそらくその企業はその借金を返すことはできない。経営者は多額の借金を背負おうとはしないだろうし、何より銀行は返されないであろう融資はしないだろう。融資が行われなければ、企業はAIを導入できない。したがって、AIは人間の仕事を奪わないのである。


AIを国有化せよ

資本主義下では(というか市場に任せていては)AIが人間よりも効率的な労働力になったとしてもAIは人間の仕事を奪わないことを前項で説明した。しかし、それは良いことだろうか?「仕事が奪われなくてよかった、安心、安心」と思うのではなく、「人類は効率化の手段を手に入れたのにも関わらず、資本主義という仕組みにとらわれてその手段を運用できていない」と考えるべきである。

この項では、逆転の発想、つまり「人間の仕事をAIにやらせよう」の精神でAIと人間の雇用について考察してゆく。なぜなら私は、そして人類の多くは、ヒモになりたい、つまり労働と無縁の世界でやりたいようにやりたいことを楽しんで人生を過ごしたいと考えられるからである。

AIに仕事をさせる、という目的のために2つ手段を考えた。

①AIによって生み出された富にこれまでかというくらいに重税を課し、それをAIに仕事を奪われた失業者(国民のほとんどがこれにあたるから「国民」といっていいだろう)に再分配する

②民間でAIを持つことを制限し、国家がAIを保有、運用する

この二つである。どちらも実質的にはAIの国有化、共有化を表すものだから、以降は特に区別することなく説明を続ける。

AIが生み出す富を国民に分配することで、国民は労働から解放され、学芸、文化、芸術に花を咲かせることができる。そう、古代ギリシアで市民が労働をすべて奴隷に押し付け、アゴラで学問や芸術に関する会話に花を咲かせたように。

現代的な人権の観点から見れば、古代ギリシアの奴隷制度は奴隷の人権が正当な理由なく制限されていることから望ましいとは言えないが、AIには人権がない(今後AIが発達して人間のように人格があるように見えてきたら人権を認める運動も起きるかもしれないが)から、人間がAIに労働を押し付けることには何の問題もない。

芸術では食っていけないからその道をあきらめることも、研究費を得るために知識人が奔走することもなくなる。我々人類はAIが生み出す富を消費して、豊かな芸術と、人間の知的探求心以外の何物にもよらない学問を発達させることができるかもしれない。これは人類のとってもパラダイスではなかろうか?

しかし、AIの国有化、共有化にも問題はある。

労働力がAIによって無限になったとは言え、宇宙船地球号という言葉がよく表すように物理的な資源は有限であり、我々人類はこれを分け合って利用せねばならない。無尽蔵に資源を使えば、人類は長く続かない。

そこで、疑似的な市場を導入することを考えてみる。われわれは国家から現金の形でAIが生み出した富を受け取り、AIが生み出す財やサービスを現金を支払って消費する。その現金で貿易(石油の購入など)を行う、つまり、市場参加者は全員AIだが現在と同じように市場を介した取引を行うことで効率的な資源の分配を行うのである。

権力が巨大化するときそこでは往々にして人間の欲望が渦巻き様々な問題が発生するが、今回はそういった懸念はないものとして議論をした。人類がどのように社会を構築するかが、これから人間とAIの未来を大きく左右する。我々は常にその動向の最先端を負いながら、この問題について考え続けなければならない。

最後に

まず、最後まで読んでくださりありがとうございました。

記事中でAIが発達した世界においての経済がどうなるか、ということをずいぶんと自信ありげに語っていますが、筆者が執筆時点で学部一年であり、まだ経済学についての知識をほぼ持たないことに留意してください。この文章はアカデミックな予想、予測ではなく、あくまでエッセイの域を出ません。あくまで読み物として楽しんでいただくことをゴールに書かせていただきました。そのゴールが達成できていたなら非常に幸いです。

改めて、この堅苦しくて、くそつまらなくて、やたら長くて、わかりにくい文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。

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