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やっぱ志ん生だな!/ビートたけし

※2021年10月に公式LINEにて配信されたコラムを編集し再掲したものです。


親愛なる友だちへ、ひねもです。

秋の夜長に読書をって事でオススメの本を紹介します。


「やっぱ志ん生だな!/ビートたけし」

“落語家古今亭志ん生”について語る本。


のっけから脱線しますが昨今の音楽事情てぇとサブスクなんてのがありまして、これはまぁなんだぁね日本語に直しますと月額制聴き放題てなシステムでしてとっても結構なもんでごぜえやすが・・・

いや、すいません口調を戻します。

サブスクについて。

これの良い悪いから派生してテンプレな最近のバンドマンは〜若者は〜と語られていくわけですが・・・サブスクってどうなんですかね?

それぞれ受け止め方は違うと思いますが、僕は概ね支持しています。

出来ればCD、もっと言えばレコードも知って欲しいとは思いますが。

音楽をCDやレコードで聴く行為を他で例えるならば

コーヒーは今はインスタントで粉を溶かすだけのとか最初から挽いてあったり色々な種類があるけど、ちゃんと豆を挽いてドリッパーを使ってゆっくりお湯を入れて飲んだら美味いよね。

手間はかかるけどやっぱり良いよねって。

ブックレットを眺めながら聴いたり、7inchシングルだとすぐ終わっちゃうからまた針落としに行って。

音云々ももちろんあるけど、他にもその所作や空間全体を含めて趣きを感じるっていう楽しみ方。

そしてサブスク。

考えたら中古のCDやレコードを買ってもそのアーティストにお金が入る訳じゃない。

どんなアーティストでも新品の音源しか買わないならば話しは別だけど。

しかし、どちらの場合でもサブスクでも聴いた方がそのアーティストの応援になったりもする。

そして”サブスクがあって今の若者は良いよな!俺らの時代はよぉ〜手探りでよぉ…”と言うには僕は若すぎる。

学生のときにはもうYouTubeもTwitterもあった。

僕はユーチューバー第一人者達と同世代。

ホームページもケータイ1台あれば簡単に作れた。

音楽関連で言うとMY SPACEってサイトにインディーズバンドはほぼ登録してて自主制作盤も無料でたくさんネットで聴けた。

そのサイトで海外のバンドとも交流できた。

自分はいわゆるデジタルネイティブ世代らしい。でもその割には僕はFacebookすら登録の仕方わ からないしLINEも仲間内で一番最後に始めましたが...。



やっと話しを最初に引き戻すけど

”やっぱ志ん生だな!”

何を長々と関係ない話しをしてるんだと思われたでしょうが、この本の冒頭でたけしさんが

「時代とともに人間は進化すると言われてるけどそんな ことはないよ」

と書かれている。

たけしさんの書いてる対象は志ん生を始めアリストテレスやニュートン、アインシュタインとかいわゆる天才について。

この人たちは人間が進化してる過程で生まれてるのではなく”突然変異”だろうと。

現代だと藤井聡太や大谷翔平とかね。

時代を変えちゃう人たち。

古今亭志ん生もその類だろうと。

もちろん努力だったりは大前提としてあるんだけど、プラスでなにか時代を動かすパワーが備わった人たち。

これは

時代が産んでるのではなく、その逆でその人たちが時代を動かしてるんだよ

って。


“時代とともに人間は進化してるわけじゃない”って深いなぁと。

先程触れたけどサブスクやYouTubeなど便利なツールは増えてるけど、だからと言って突然変異レベルのすごいミュージシャンが昔よりたくさんいるかって言われたらそんな事は全然ないもんね。

インプットの幅は昔より広がってるけどそれが“=”で”楽に新しいモノを生み出せる”には繋がらない。

天才でなくても常に芸術と自分は一対一でそこに時代はあんまり関係ない。

自分と表現の距離はいつも一定。


ネットの良いところは生み出されたモノに昔よりスポットが当たりやすくなったこと。

でも今は深海まで光が届きすぎるがゆえに情報の海に埋もれちゃったり、バズっても飽きられやすい側面もあるように感じる。

いつの時代も近道はないって話し。




...まだ冒頭の2ページしか内容に触れてないのに文字数かけすぎだ。。

本の内容は“芸人について”や”志ん生の凄み”や”落語の原点〜創造”と多岐にわたっている。

なおかつ”芸人ビートたけし“ならではの視点の技解説があってめちゃくちゃ面白いです。

文章も語り口調で読みやすい。


僕個人としては志ん生の枕から本筋に入るとき声のトーンがギュンっと上がるとこってロバートジョンソンを感じる。

ローからいきなりトップにギアが入る感じ。

両者、声が高いところもカッコいいんだよね。

メタリックな声でカッコいい。

志ん生は動いてる映像ほぼないし、ロバジョンは写真しかないのでここから先はあくまで憶測ですが、寄席とジュークジョイントは文化的にも建物的にも造りとして似たようなものではないかと想像するのです。

戦前ブルースマンであるロバジョンもおそらくボソボソしたMCからいきなりの必殺スライドギターとあのメタリックな声で客を掴んでた

...のではないか

と思うんですよね。

クロスロードとかアイルダストマイブルーム、ウォ ーキンブルースとかのあの初っ端のガツンとくる感じって電気が普及してない時代の“起承”の見せ方な気がするというか。


志ん生のボソボソと話して客の目を惹きつけてから声を張り上げてパァーンと筋に入るってのも似てる気がする。

そして志ん生は愛嬌があるのがたまらない。

専門用語だと“フラがある”って言うのかな?

「空き地に囲いが出来たってよ」
「へぇー」

なんて擦り倒されたネタも志ん生がやるととても面白い。

他には

「何だ、蟹って奴は横に這うけども、この蟹は縦に這ってンじゃねえか」

ったら蟹が

「少し酔ってますから」

なんて……。

とかも可愛らしくて思わず笑ってしまう。

あとはシュールな世界観&想像力がすごい。

「夢見た夢見たってどんな夢見やがったんだ、おまえの夢は。ええ?大きな夢見たって、どういう夢だ。辰っつぁんなんざァおめぇ、富士の山へ腰をかけたって夢を見てるんだ。ずいぶん大きいじゃねぇか」

「うーん? 俺の夢なんざァ、もっと大きいや」

「そうかい。どんな夢」

「うーん。ナスの夢だい」

「ナスの夢? ナスなんぞ、おめぇ、どれだけ大きいんだ、大きいったっておめぇ、なんだろう、まぁ一尺ぐれえの大きさのナスっていやァかなり大きいな」

「そんなんじゃねぇんだ、もっと大きいんだ」

「あァん? 何か、三尺ぐらいのナスか」

「もっと大きい。ずっと大きいや」

「畳一畳ぐれぇか」

「もっと大きい」

「じゃ、この、六畳の座敷いっぱいくらいのナスか」

「いやァ、もっと大きい」

「じゃ、この家うちぐれぇか」

「もっと大きい」

「そんな大きい……町内ぐれぇか」

「もっと大きいや」

「……うーん、どんな大きいナスだ」

「暗闇にヘタつけたようなンだ」

とか素晴らしいワードセンス。

絵がパッと浮かぶもんね。

言葉のスピード感が本当に凄い。



以上、改めて志ん生ってやっぱり凄いな!と思った話しでした。

今回も長々とお付き合いありがとうございました。

志ん生の自伝
“びんぼう自慢”



結城昌治による“志ん生一代“

も落語を知らなくても楽しめる一冊だと思うので秋の夜長のお供に是非。


それでは最後に謎かけをひとつ。



ブルースとかけましてドクターマーチンととく。

その心は

どちらもソウル(ソール)が必要です。


...下手くそ過ぎ!

それではブラザーシスター、へい、ご退屈様で。

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