また乾杯しよう

 あの夏、私は二十歳になった。そしてそんな私を、父は回らない寿司屋に連れて行ってくれた。

 回転寿司にしか行ったことのない私は、最初のネタに「サーモン」と注文した。するとそこの大将に「ないです」と鼻で笑われた。せっかく父がいいところに連れて来てくれたのに、とんでもない恥をかかせてしまった、と私は俯いた。その後、何を頼んで何を食べ、何を飲んだのか、全く覚えていない。

 寿司屋を出ると、今度は行きつけのスナックに連れて行ってくれた。田舎の歓楽街。私の通う高校は近くにあったが、踏み入れてはダメな場所な気がしていた。そこを父と二人で歩き、店に入る。いけないことをしているような背徳感、でも父と一緒なんだからという安心感、初めての体験に対する興味と興奮と躍動。

 スナックでは父が注文をしてくれた。父は焼酎で私はビールだったか。そしてスナックのママとマスターと話す父を見ていた。

 しばらくすると父はカラオケを歌った。河島英五の野風増。父は私が二十歳になったら一緒に飲みに来てこれを歌うと決めていたそうだ。

「いいか女はおてんばぐらいがちょうどいい」

「いいか女は夢を持て」

 本当は「男」が歌詞なのだが女と歌詞を変えて歌っていた。

 私は3姉弟の真ん中。一番「どもならん」子どもと言われ続けて来た。上と違い、親の言うことを聞かない。下と違い、すぐ遠くへ行こうとする。同じように育てたのになんでこんなに違うんやろ、なんて何回言われたかわからない。

 でもたぶん、私が一番親のことを考えていた。上は親の影響からいち早く抜け出し、抜け出したからにはもう戻ってこないつもりであったことはわかっていた。下は一応親の元にはいたけれども、何も考えていなかった。と思う。違ったら上下には軽く謝っておこう。


 父は今、脳疾患を発症し、後遺症もあるため、以前のように好きに飲み歩くことはできなくなった。認知面も影響が出てしまっている。でも私はまた父とあの寿司屋に行き、今度は「おまかせで」なんてそれっぽいことを言って寿司を食べ、スナックではハイボールを飲んで、父への歌など歌ってみたいと思っていた。

 思っていながら数年が過ぎてしまったある日、家族みんなを巻き込んで父が連れて行ってくれたあの店へ行こうとした。でも父はもう店の名前がわからない。私も下も、連れてってもらっただけで店の名前や場所を覚えていなかった。スナックはマスターが病気を患って、数年前に閉めてしまったらしい。

 結局、思い出の店へは行けなかった。もしかしたらあのお寿司屋さんもなくなってしまったのかもしれない。

 だから違う店に行くことにした。体が思うように動かせなくなった父はとても辛そうだった。でも文句の一つも言わず...いや、文句は言ってたような気がする。でもなんだかんだ言いながらついて来てくれた。店ではビールを少しだけ飲み、大好きな刺身を食べた。「もう一杯」と母にねだったが、「もうあかん」と止められ、悲しそうにグラスを下ろした。


 父はあれからより悪化して、もう外食するなんてできなくなった。やろうと思えばできるのだろうけど、本人も周りの家族も負担が大きすぎる。今は私たちが帰省した時、実家の居間で座卓を囲むのが精一杯。

 でも今年はコロナのせいでそれもできそうにない。落ち着いたらまた乾杯しよう、お父さん。

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