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「私をくいとめて」を観た男子学生と同人作家

映画の感想を架空の三人組が話し合う創作話だ。気が狂っとるのでしっぽ巻いて逃げよう。

「嫌だからな」
「やっ、お願いお願いお願い」
「鬱陶しい……なおさら行きたくない……」
「家賃かかってんのよ!」
「何。映画行ったらお金もらえんの?」
「そっ。映画代とー、報酬が」
「誰だよ依頼主」

嫌な予感がする。

「姉ちゃん!」

大当たり。
長い溜息をついた。そもそも「私をくいとめて」なんていかにもOLが好みそうな映画、こいつが関心を持つわけがない。のんは好きだったと思うが、それだけで女性向け作品に手を出すほどの気概はない。おかしいと思った。

「なるほど、それで俺が一緒じゃないとダメってわけか」
「そうそう。やっと分かってくれたか」
「余計行けなくなりました。ごめんなさい」

頭を下げたところで、勢いよくドアが開いた。

「黎太ーっ! そんなこと言っちゃっていいのかなあ!」

小柄だけども華奢ではない(言ったらはっ倒される)、コーギーみたいな印象の正真正銘OLが現れる。件の姉氏である。

「麻谷(姉)さんがなぜ鍵を持っているの」
「ごめん」
「私が時々家賃払ってるもん、こいつの分」
「麻谷(弟)の仕送りやバイト代はどこに消えているの」
「ごめん」
「細かいこたいいじゃん。映画くらいスッと行きなさいよ学生なんだから」
「だって麻谷(姉)さん、どうせ俺たちを観察するつもりでしょ」
「うっ、……お願いお願いお願い」
「そんなとこで姉弟しないでくださいよ…」
「新刊かかってんのよ!」
「知らんがな」

同人誌の新刊が上がったら焼肉を奢ってくれるとのことで、重い腰を上げた。
当日午後、またドアが激しい音を立てて開いたので、「近所迷惑ですから……」と諫めながらも俺たちは連れ出された。
とは言え、先を歩くのは麻谷と俺の二人で、姉氏は少し後ろをついて、否つけてくる。資料にするとかで、時折こうやって不毛な仕事を任されるのだ。今回もどうせ、映画館デートに行く「おしかぷ」を描くために……とかいう事情だろう。映画に関しては単純に自分が観たかったやつを、ってところか。
染み入る冷たさに首を竦める。中にもう一枚着てくればよかった。まだ日があるうちだというのに、この冬は一段と冷え込みが厳しい。

「さむーっ」
「さむ」
「さむーっ、さむ、……と」
「せめてメモは無言でとってほしい」

件の映画は、のん、林遣都、臼田あさ美、片桐はいり、中村倫也(声)……と名の知れた俳優ぞろいなのに、近所じゃ一つの映画館でしかやっていないようだった。中学の時マイナーなアニメ映画を付き合いで観に行ったきりの、やや小さめの劇場だ。

「でも黎太なんで嫌だったの。映画に関しては雑食だと思ってた」
「林遣都のノンケが観たくなかったから」
「は?」
「林遣都のノンケが観たくなかったから」
「やめときな、それが全てだ弟よ」

麻谷(姉)さんの忠告を背に、階段を足早に降りていく。すると通路が二つあり、なんだか迷路じみて戸惑ってしまった。

「あれえ、どっちだろこれ」
「麻谷(姉)さん、どっちですか」
「あたし今日空気だから。話しかけないで」
「ようするに分からないのか」

後ろから階段を降りてくるおじさんがいて、見上げると彼が片方の通路を無言で指さした。俺たちは頭を下げる。お洒落なコミュニケーションだ。その後チケットカウンターで、そのおじさんが「あれっ、ここじゃないのかこの映画、あは、間違えたな、あはは」と気まずそうに帰って行った。

「まあそういう事もあるよな、人生」
「なんでも口に出すな、こら」

というわけで、無事鑑賞を終えた。

「じゃあ俺たちはこれで」
「いやいやいや」

むんずと肩を掴まれ、ファミレスに放り込まれる。姉氏は通路を挟んで隣のテーブルに一人でついた。なるほど。そこなら観察しやすいなと。

「えっと、どうだった」

これでいいのかな、というようにちらと姉氏を見遣ってから、麻谷が尋ねてくる。俺はぶすっとした顔のままメニューを開く。

「やっぱ俺には理解できないところも大きかったな。かなり心理的なとこに寄った話だなとは思った」
「独特だったよなー。あれ、独り言ぜんぶホントに口に出てたのかな? のんちゃん可愛いけどさすがに変な人だと思われちゃいそう、家はともかく飛行機のとことかさ」
「ある程度は心の中だけの声だったんじゃないか。でも絵面的にはサイレントにアテレコとかじゃなく俳優が実際叫んだ方がインパクトあるし、ああいう風にしたんじゃない」
「おおー。とにかくそういったとこが林遣都にばれなくてよかったよ。変わった女の子の話だったよなぁ」
「いやっ、違うから。全然違うから」

隣のテーブルから声が飛んできた。参加してきていいのか。

「あれはね、全ての女の子に共通する問題なの。いつまで自由な孤独を貫くかって話なの」

姉氏の前にはミックスグリルが届いていた。よく食べる女の子だ。

「誰だって一人のが楽じゃない。結婚して夫と子どもの世話して、なんて始めちゃったらあんな風にサタデー出来ないからね。だけど、ずっと一人は寂しいの。ね、分かるでしょ、みつ子は私なの」
「姉ちゃんは全然のんに似てないよ」
「そういう話じゃねえよ。橋本愛ちゃんのとこ観てても分かるでしょ、女は色々不安なの」
「いや男だって不安なことあるし。てかローマの下くだりって必要だったの?」
「なっ、あんた」
「あれはみつ子の今との対比じゃないの。結婚してるし、遠くに行ってるし」
「そうそうそう。やっぱり黎太くんはよく分かってる。で、あのへんは愛ちゃんのお話でもあったのよね。嬉しいじゃん、海外で妊娠して不安なとこに親友来てくれたら。それがまたあの、どこにいてもんわり頼もしいのんちゃんが演じてるのが説得力バッチリで泣けるんだよね」

この人も相当のんが好きなんだな。男女ともに好感度抜群とは、やはり芸能人はすごい。まあコイツら姉弟なのでセンスが似通っているとこあると思うが。

「まあ、妊娠とか女の人ならではって感覚は分からないとこもあるけど(ここで「姉ちゃん妊娠どころか彼氏もいないよ」と麻谷がのたまってはたかれた)、Aの存在は共感できるとこあったかもな。自問自答ってかさ、あそこまで分離させたりしないにしても、要は思考方法の一つってことだろ。似たようなことしてる人はいそう」
「あー。でも何であそこまで分離させちゃったんだろな。多重人格みたいじゃん」
「喧嘩とかもしちゃってたもんね。ホテルで、こんなにお願いしてるのに! って怒ってる時、のんちゃんまるで子どもみたいだった」
「あ、多分それですよ。役割分担してたんだ、あの二人は」

俺が閃いた時、目の前にオムライスが置かれた。麻谷の前にはチーズインハンバーグ。カトラリーに手を伸ばしたところで奴と指がぶつかり、姉氏の鋭い目が光る。

「ぶんふぁん?」

食事も映画の考察もしながら資料収集って、忙しいなこの人は。

「社会でやってくためには、我慢しなきゃいけないこともたくさんあるだろ。甘えられないことも多いし」
「そうよ」

姉氏が深いため息をついた。彼女は俺たちと違って毎日働く企業戦士なので、その辺もっと詳しいだろう。

「でもそんなのばかりだと疲れちゃうんだよね。自分が自分じゃなくなってく気がして絶望しちゃう」
「だから役割を分けたんだよ。我慢して、常に冷静に社会に順応していくための人格がA。思ったことは何でも口に出して、不安も我儘もそのまま示せるのがみつ子。感情をそのまま素直に吐き出せるみつ子は、効率的な部分や自分に優しくする部分をAに任せて、守ってもらう。そうやって、大人になりながらも本当の自分を守ってたんだよ」
「じゃあそれでよかったじゃん。なんでAはいなくなっちゃったの」

ハンバーグに中のチーズを上手いこと絡めながら、麻谷は唇を尖らせた。

「もともと無理はあったんだよ。みつ子は傷つきたくなかったし疲れたくなかった。でもAは、自分じゃみつ子のことを本当に幸せには出来ないことを知ってた。一人だけじゃできないこと、自分じゃない誰かを大切に思ったり思われたりって、特有の嬉しさがあるじゃん」
「えーっと、けどAは結局みつ子だから、みつ子自身がちゃんとそう分かってたってことか」
「心のどっかでってやつね」

姉氏がフォークをこちらに向ける。通路を挟んで鋭利なものを向けない方がよいと思う。

「てかみつ子、彼女力は高いのよね。掃除の腰も軽い方だし、料理上手だし。まずそこに達してない喪女が多いんだっつーの。あとね、「天ぷら1人じゃ作りづらいからこっちが助かる」とか「敬語やめてよ、こっちが恥ずかしいよ」なんてモテセリフ、なかなか出てこないからね。あんなの気持ち次第でいつでも彼氏できるよ」
「確かに姉ちゃんよりだいぶいい女だった。そっか、まずみつ子目指したらいいんじゃん」
「お前もう金貸さねえからな」

騒ぐ姉弟を後目に、オムライスの中のチキンライスを堪能する。こちらは美味いが卵が微妙だ。卵とご飯、これらをいかに一つの料理としてまとめるか、それがオムライスの重要な点である。どちらも美味しく、かつ調和していなければならない。
そういう話だったのだと思う。
みつ子がいかにして彼氏がいる女の子になるかという話ではなかったのだ、そもそも。いや、パッと見はそうだけれど、本当に指しているのは、もっと根本的な所なんだ。みつ子とAが一人の人格として成り立つこと。

「結局は、どう折り合いをつけるかってことだったんだと思うよ」

二人が揃って俺を見た。

「一人が楽だって感じるみつ子と、誰かと幸せになりたいって願うAがさ、一人のみつ子になるって、そういうことだよな。誰かと暮らせるようになるために、不安なことに立ち向かって、努力し続けて、何かを諦めて、そうやって」

ああ、じゃあ、とてもいい映画だった。私をくいとめて。私が暴走して誰かを傷つけないように、本当の一人にならないように、どうかここでくいとめて。私はそれでも、誰かと幸せになれる私になりたい。

「それでも、みつ子がみつ子のままでいられるようにするための、ひとつの道のりだったってこと」

二人は各々考え込むような顔つきになって、ほとんど同じタイミングで「深いな…」「深いねえ…」と呟いた。本当に全部伝わっているのかは知らないが。

「それにさ、思ってる職には就けなくて燻ってたとか、それを愛ちゃんと共有してたとか、色々ああ〜もうそれな…って思うとこあったな」
「わかりみ深すぎって書いてたもんな。あのコピーはちょっとサムいけど。日帰り温泉で語ってたどろどろしたとこも何かリアリティあったよ。女だからってとこもあるし、でも女だけの話じゃねえかもなって思った」
「いつだって女だけの話じゃないよ。男も参画しな、男も!」

綺麗に食べ終えた姉氏がお冷を飲み干し、鮮やかな手つきでメニューを開いた。

「デザートも好きなの選んでいいよ!」
「いや、そこまでは……」
「そう? 私は食べるけど!」

どこまでも自由だ、姉氏は。でもそうでない瞬間ももちろんあるのだろうし、それはこれから増えていくのかもしれない。だから今はせめて楽しんでくれたらいいのだと思う。そう、今回に限り。
とは言え、どうせまた無理やり駆り出されることにもなるのだろうなとため息をついて、向かいで麻谷が開くメニュー表を覗き込んだ。

麻谷(あさや) 大学二年生。よく、ルームメイトの黎太と半分こしている家賃が払えなくなる。上の名前で呼ばれている。
黎太(れいた) 大学二年生。気むずかしそうに見えるが意外と寛容。下の名前で呼ばれている。
姉氏(あねし)26歳OL。麻谷の姉。Twitterのアカ名に大抵「@原稿」がついている。

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