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詩的なものと僕

 大阪のとある病院の一室で生を享けた僕は、物心つく頃には既に奈良へ移り住んでいた。その後も家族の仕事の都合上、週に一回、当時住んでいたはずのかの地を訪れていた。けれども小学校の三年以降、塾に通い始めるのと時を同じくして大阪へ行くことはなくなり、思い返すことも次第に少なくなっていった。
 その「第二の故郷」——故くした郷という字面に従うならば唯一の、と言うべきなのかもしれない——を再び訪れたのは昨年の二月のことだった。

 僕が知っているその場所は古臭い商店街だったかもしれないけれども、人々は商いのなかに社交を見出しており、活気を保っていた。利便性や快適さと引き換えの冷たさはそこになく、ある種のカオスが豊かに一帯を覆っていた。今思うと確かに、そこには詩が生きていた。
 久しぶりに訪れた「第二の故郷」は、そんな記憶とは似ても似つかない場所だった。商店街を犠牲に再開発され、街は多少綺麗になったものの、かつての熱気は失われているように見えた。現在と過去との間に引き裂かれながら、僕は月の裏側にたどり着いたような空白に襲われていた。朔太郎の次の一節が、この時の感覚を明瞭に表しているように思われる。

我れは何物をも喪失せず
また一切を失ひ尽せり

萩原朔太郎「乃木坂倶樂部」
詩集「氷島」より

 これは保田與重郎の影響のもと書かれた評論「日本への回帰」においても引用されている。日本の知識人たちが恋い焦がれた西洋という「蜃気楼」は消え去り、当時においても、ただただ空虚な「現実の故郷」だけがそこに残っていた。この「我が独り歌へるうた」は永遠の漂泊者の慟哭であり、新たな故郷を仮構してみせようという悲壮な決意の表明だったのである。
 故郷は確固としてそこにあるのではなく、時代のつど変転してゆく。しかし人は過去への郷愁なくして、今を到底生きてはゆけないだろう。こうして掲げられるイロニーは、虚構としての現実を踏まえた上で、新たなそれを仮構しようとする詩であり意志である。

 著書「詩の原理」において朔太郎は、芸術を主観主義的なものと客観主義的なものとに大別、前者の主たるものとして詩、後者の代表として美術を挙げている。主観主義は浪漫派やプラトン哲学、客観主義は自然派や写実派、アリストテレスの哲学がそれぞれ対応する。
 そして主観主義の芸術たる詩は「空想や聯想の自由を有して、主観の夢を呼び起す」。そして夢とは『「現在(ザイン)しないもの」へのあこがれ』である。

 また、朔太郎は「新版の序」において、本書を著した当時文壇に蔓延っていた自然主義文学を「詩を卑俗的デモクラシイに散文化」したと非難している。これはどういうことか。
 朔太郎は生田長江を介してニーチェの影響を受けていた。ニーチェのアフォリズムは、彼の文献学者としての側面があって初めて成立するスタイルだ。散文とはつまり知の民主化に他ならず、より多くの人間に開かれ、分かりやすい形式にはなるけれど、真理はえてして複雑極まるものであり、そこに正確さが生まれるとは言いがたい。僕が書くのは小説だが、アフォリズムを重視しているし、わかり易さを度外視した、詩に並ぶ貴族的な精神の発露であるべきだと考えている(小説は詩よりも客観主義に寄る分、また異なった貴族性が可能なのではなかろうか)。

 僕が詩的なものをより強く意識するようになったきっかけはBUMP OF CHICKENだった。その哲学的な詩世界に慰められると共に、理解が深まるにつれ、言葉によって世界のあり方、自身の理想の生き方を捉えたいという意欲が強くなっていった。時に歌詞の真似事ながら美しいと思える表現をできたと思えると、えもいえぬ快楽が僕の心を満たした。
 朔太郎が言うように、そもそも観照なくして詩は成り立たない。どんな詩にも客観主義的な要素は含まれているように、根っからの浪漫主義者である僕も、主観主義と客観主義の傾向が入り混じっている。フリードリヒ・シュレーゲルの文学理論が描くように、イロニーは僕をして、今日まで無数の言葉を紡がしめた。それは生き延びる理由の捏造であると同時に、世界のあり方を解釈をすることでもあった。存在論なしに為される主張は往々にして空虚だ。

 皮肉な現実は絶えず理想への飛翔を求め、その狭間に悲劇は生まれる。悲劇が誕生する為には絶えず、現実は悲惨でなければならない。朔太郎のいう「生活のための芸術」とはこういう事であり、ここにおける芸術は、願いが叶えられぬことに対する慰めに他ならない。
 しかし僕は、理想が実現して欲しいなどとは思っていないのだろう。問題の解決は新たな問題の誕生を意味する。恐らく世界はそうなっているのであろうし、異議を唱えても何も変わらない。見方によっては「終わりなき世のめでたさ」なのであろうが、それは福田和也が「日本の家郷」で論じた、「呆然と日の暮れる様を眺め、途方に暮れて止まるべき場所を探す焦りが、そのまま如何なる約束もないままこの世に在るかそけさと結びつく過程」でもある。

 日本文芸の古典主義的な爛熟は「古今集」と「源氏」が象徴している。祭政一致の至福の時代や王朝文学は、後の世に続く文人たちが創作を続ける為に仮構された「家郷」ではなかったか。保田與重郎が為した仕事は、それらに連なり生成されゆく「日本の文学史」を「系譜」として近代化しただけではなく、万葉集を論じることによって、長らく無視されてきた文芸の政治性を明らかにしたことである。こうして仮構された「系譜」はむろん現実などではなく、むしろそれを相対化する「何処でもない場所」だ。そもそも文芸でなくとも、人間にとっての現実は、暴力の独占によって支えられる虚構に他ならない。

 敗戦以来わが国において理想は、そして文芸は現実という「奇妙な廃墟」に敗北を重ね、その居場所を追われ続けてきた。かといって既存の小説家に反撃の狼煙は期待していない。僕は半ばテロリストのような心もちで、朔太郎の「氷島」のようにおぞましく空虚な「日本」を、先人に続いて掲げようと思うのだ。

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