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自分は無縁仏になっても構わない

最近自分は無縁仏になっても構わないなと思っていますね。家系が途絶えたらいずれはみんな無縁仏になると思うんですよね。

だったら遅かれ早かれ無縁仏になるのかなと思います。もうこれからは無縁仏になっていきそうな人は多いような気がしますね。

今までは普通に墓に入っていた人も管理する人がいなくなったら無縁仏になっていくような気がしますね。

墓っていうのがどうにも重荷になっているような気がしないでもないですね。いずれはお墓というのも簡略化されていく運命にあるのかもしれないですね。

お墓参りをするというのは大事なことではあるような気がしますが、現代の人はお金も時間にも余裕がなくなってきていてお墓を買うというのもなかなか難しいところもありそうな感じはありますね。

それに都心の方に住んでいるとなかなか地方へのお墓参りというのもしなくなっていきますからね。

古き良き文化みたいなものも廃れていきそうですね。故人を偲ぶ気持ちは大切ではありますが、昔のようにお金をかけて豪勢にとはいかなさそうですね。

供物を買うのも普通にお金かかりますからね。果物買ったりお花買ったりとか出費はまあ多いですよね。

もしも自分なら子孫に迷惑かけたくないとか思って無縁仏にしてもらって構わないですね。

お金は生きている人のために使われるべきだと思います。世の中には墓を買うために苦しい思いをして借金して買う人もいますからね。

お金は死んだ人のためではなく生きている人が豊かになれるように使うべきだと自分は考えてしまいますね。

死んでまで家族に迷惑もかけたくないですからね。この世の中は生きるのもお金がかかりますし死んでなお、お金がかかりますからね。

もう自分は自ら無縁仏になりにいきますよ。死んだ後のことなんててきとうにやってもらって構わないですね。

なんなら動物のエサになっても良いぐらいですよ。そしたら少しは生命の循環にも役に立ちそうですからね。

チベットだと鳥葬でハゲワシか何かに死者に肉を食べさせてましたよね。自分も正直それで良いかなと思いますね。

これで自分の命が自然のサイクルに戻されますからね。もちろん生きている間は普通に食われるのは嫌ですけどね。

あとは他の方法だと死んだら川にでも海にでも沈めてもらって構わないですよ。

もしも子孫がいた場合は自分のことなんて忘れてもらって子孫の幸せのためにお金を使って欲しいですよ。

ということで無縁仏になっても自分は構いませんという話でした。

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