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25歳の誕生日に、雨を

25歳になった
だんだんと年齢を重ねる日にはしゃぐこともなくなり、かと言って別に嫌なわけでもない
休まなかったから仕事だったし、ただ会社の人が慣習としてお祝いしてくれて、あとは少しの友達からのメッセージと母が手の込んだご飯を作ってくれた、ほんの少しだけ特別な1日

珍しく1日にわたってずっと雨が降っていて、都会ど真ん中のガラス張りのオフィスから「今日はずっと降るんだな」と思っていた
気圧なのかその薄暗さなのか、私の気分もずっと悲しくて寂しかった

メールだけを返しながらぼんやりと外を見ていると、雨のかたまりが作る霧がいつもは見通せる海を隠していて、頭の中の曖昧と重なった

何が悲しいかもわからない
何が寂しいのかもわからない
状況は何も変わらないのに、いつもはまあまあ孤独も合わせて満ちている今の私が、なぜか自分の今置かれている環境が、永遠に救いようのないほど悲しくて寂しく感じた
泣きそうにもならないくらい、空っぽだった

24歳は1人であることを強く感じることが多くて、
それはずっとそうなのに、
ただ見ないようにしていただけのことを無理やりにでも目の前に突きつけられて
何度も足が崩れる思いをした

人はどうせ1人、というけれど
本当に1人なのは私だけなのではないかと
思うことがあまりに多かった

具体的に思い出せる出来事が多くて、
だからその時の絶望と虚無をふいに都度、色鮮やかに思い出して
その度に1人で立ち尽くした

恋愛や結婚が全てではない
寂しいからそんなこと言ったって、結局この世のゴールのほとんどはそこにあって
私が大好きなはずの人たちもみんな私より性愛を伴うパートナーを1番においていく
頭でわかっているのと、実際に目の当たりにするのは全くの別物で
耐えられると思っていたのに、わたしはその現実に耐えきれなかった
帰り道に泣いた

友達だけじゃない
男の子(私の恋愛対象の性別)も、私に私じゃだめなことを突きつけた
大人として隠しているつもりなことも、それでも目や態度が違うことも、
直感で感じて苦しくなった
楽しくなくて悔しくて悲しくて怒ってて、自分の心が自分でわからなかった

性愛のベースに成り立つこの仕組みに
私はきっと乗ることができない
ほかの社会は周りをきょろきょろ見てなんとかできているはずなのに
そこだけができなくて
ただそれがここだと致命的で
私は自分に絶望する

大したギブもしてないくせに
大それたテイクを求めて
そこに見合わない結果に勝手に悲しんでる

今日ずっと続く私の灰色の悲しみに
理由なんかないって言っておいて
本当は人との繋がりに疲れてしまっているだけとわかっている
もちろんそれは自分のせい 

いつもいつも
私がなりたい自分と本当の私はちぐはぐで、
強いわたしは意地悪だから、弱い私を見ないふりして底の見えない穴に突き落とし、蓋をして閉じ込めている
どっちも私なんだから膝突き合わせてお茶飲んで語り合えばいいのに
甘ちゃんが嫌いな強いわたしはそれができない
弱い私はずっとずっとずっと穴の中で泣いていて、その声は聞こえないはずなのに、頭はずっともやの中

強いだけは弱いのに

今日が晴れなら、私は何も書かずに寝れたのかな

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