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一人反省会を辞めたい

私はよく過去の記憶がフラッシュバックしてくる時がある。やらかした記憶やミスったときの記憶がふとした瞬間によみがえってきて、胸がウっとなる。そして、苦しむ。過ぎたことはどうしようもなく、多分みんな忘れているものだとわかっていても、後悔してしまう。そんなときは大抵、その場にいた人にどう思われたかというものを気にしている。おかしい奴だとか変な奴だとか思われたかな、と考えてぐるぐる悩む。 

私はこの現象に小さい時から苦しんでいる。何かあったときや、学校から帰った後、自分がやらかしたと思う出来事をすべて思い出そうとし、頭の中で復習。そして自分が間違ったと思う言動や行動に対し、反省する。これが苦しくて仕方がない。今ならわかるがそんなことをしたって仕方がない。だが、当時の私はそれが普通だと思っていた。みんなそうやって生きていると。現状は違う。気にしない人は気にしない。段々とそのことに気づき始めた。

私はなぜ苦しむのか。ずっと考えて来た。どうしたらこの癖を無くせるのか。学校に行ったり、誰かと話したり、そうした後は必ず反省会。よみがえってくる嫌な記憶との闘い、あの一言間違っていたんじゃないか、嫌みっぽかったんじゃないか、声のトーンがまずかったんじゃないか、そんなことばかり考えて、あーーっと叫びたくなる。とにかくこの現象が苦しい。どうしてこうなのか。考えたくないのに、思いだしたくないのに。みんな絶対、覚えているはずじゃないって心の中ではわかっているのに止まらない。

多分私は他人を傷つけること、そして、何よりも嫌われることが怖いんだと思う。他人の評価ばかり気にしているんだと思う。完璧を求めているから、一言一言気にして、会話で失敗しないように、一つのシーンを作り上げるように話している自分がいる。大体が減点方式で、会話や人との関わりにこうすべきだという自分の理想像を作り上げようとしている気がする。だから、すごく疲れるし、頭は痛くなるし、この苦しみから逃れたいと誰より思っている。

そんな私だが、最近気づいたことがある。人は大抵自分のことしか考えていないということだ。私が自分のやらかしたことに対していつまでも苦しんでいるように、大体自分のことで頭はいっぱいになっているものだ。そして他人のことなど対して覚えていない。私が気にしている言葉の言い方、声のトーン、そんな小さなこと誰も気にしてない。そんなことで傷つくほど、人は弱くない。私はいつも会話しているとき意識が自分の内面に向かっているのだと気付いた。どう思われたのかなとか心の中で考えて、自分のことばかり考えている。他人に意識を向ければ、苦しまなくなるのではないか。他人の様子を眺めるように見ていればよいのではないか。ここまで色々と気にして話している人間が他人を傷つけることなど、対してないんじゃないかとも最近思い始めて来た。

この過去の記憶がフラッシュバックしてきて苦しむことが無くなれば何よりもよい。だが、多分この癖はそう簡単には治らないだろうから、うまくやっていくしかない。ただ、昔よりはこの苦しみが和らいできたように思う。段々良くなってきている、うまく対処できるようになってきている。そう感じられるだけで少しは希望を持てる。他人はたいして自分が思っているほど自分に興味がない。このことを思いだしながら、この癖と生きていこうと思う。


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