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”農の最高傑作を創る!” 第九話 退職を決断

第一話から第八話まで、僕がどんな流れで農業に出会い、興味を抱き、深掘りしていったかを書いてきました。
今度は、2015年、2016年を会社員の側面から書いてみます。
なぜなら2016年は、農業ビジネスをとことん考え研究した年であるとともに、僕が15年間お世話になった会社を退職しようと決断した、人生の転換点となる年だったからです。

【異動】

2001年10月、僕が27歳の時に15年半お世話になることになる会社に、中途入社しました。
第一話でも書いた通り、社会人としてまるっきり落伍者だった僕は、入社後約束されたかのように大きな苦難にぶつかったわけです。それを危機一髪ナンとかカンとか乗り越えまして、調子と波に乗っていくのです。

当時は、地元大崎市に拠点を置く営業所に配属になりました。広大な田園風景が広がる、田舎町での営業活動です。
多少は慣れ親しんだ土地、山あり谷ありデコボコしながらも、多くのお客さんから大いにお世話になりながら、順調に営業活動はできていました。まあ、僕の営業マンとしての実力からしたら、かなり上出来だったと言えますね。
あちこち地域担当が変わりながらも、気づけば12年間も同じ営業所に在籍していました。

さて、必死になって営業活動を展開する中、年に二度ある人事異動の季節を迎えていました。
実のところ、僕は部長から異動をほのめかされておりまして、どっか別の拠点に変わることもあるんだろうなって思っていました。
僕は、人事に関してはほとんど関心がありませんでした。そわそわし出す人も中にはいたんですが、職場が変わろうとも変わらなくとも、全力で働くことに変わりはないですからね。
社内での正式発表があり、僕は仙台への異動を命じられました。当時の心境としては、仙台という大都市での営業がどんなことになるのか、ワクワク半分不安半分といったところでした。

異動を命じられた頃というのは、このブログでいうところの第四話、経営道場の真っ最中に当たります。
何度となくパンチを浴びせられ、フラフラの状態にいるところに来ての人事異動だったんですが、あまり気にも留めずほとんど動揺することはなかった記憶があります。「あ、異動なんだ」って感じ。

【大都市仙台】

仙台での営業は新鮮でした。
僕は仙台の中心街、主に仙台駅前を任されることになりました。
驚いたのは人の数です。街を歩いている人がたくさんいるんです。田舎では歩いている人を見かけることはそこそこ珍しいんですね。
建物も違います。一軒家で土地を広くぜいたくに使う田舎とは違って、都市はギュウギュウにギリギリに、しかも上に向かって建てている感じです。しかも、建物の中には複数の企業がテナントとして入っています。
街路樹はあっても、森も林もありません。土もほとんど見ることはありません。街全体がとても人工的です。夏はお日様の照り返しが強くて、とても暑かったです。
田舎ではまず出会うことのない業種の企業もたくさんあります。
メディア関係などがそうです。仙台にはテレビ局がありました。それにかかわる企業もたくさんありました。
広告会社、コンサル会社、協会・組合関係の本部や支部がたくさんあるのも驚きましたね。
車を駐車するには、料金がかかります。田舎ではほとんどお目にかかれないシステムです。しかも狭いです。
そんな街ですから、移動手段は主に自転車です。
自転車も、街のそこら辺に無造作に置いとくと、撤去されます。駐輪場が満杯で、仕方なく丁寧に寄せて置いていても容赦なく撤去です。
撤去されると、郊外の自転車の留置所に収監され、保釈金として5,000円が請求されます。
撤去歴は1回、トラックに載せられた自転車を見つけ間一髪収監を免れたのが1回です。
12年間田舎営業に染まっていましたので、営業スタイルを大きく変える必要がありました。

【大都市を肌で感じ】

仙台での営業活動は、とても勉強になりました。
田舎者の僕がまず感じたことは、動いている物と情報、そしてお金の量が圧倒的に違うということでした。
人が密集し活動していますので、狭い空間で大量の情報が行き交い物流が生まれます。当然比例して大量のお金が動きます。
田舎では絶対に感じることのないダイナミズムです。
本格的に農業ビジネスを考え続けていた頃ですので、活気ある大きな経済圏を肌で感じることができたことは、少なからず僕のキャリアに影響を与えてくれました。

農村から都市を見た場合、都市は食の大消費地になります。
都市は前述したように、十分な土がありません。つまり、食べ物を作り出す能力は極端に劣ります。
でも、人間は食べないと活動がストップしてしまいますから、食は必須です。
農業経済の視点から見たら、農村と都市は相互に関係しあっています。農村の生産物は都市に支えられ、都市は農村の生産物に支えられています。どちらが上ということではなく、本来対等です。

【農業と経済】

理屈っぽい僕は考え込んでしまいます。
対等とは考えたいですが、お金を中心に考えた場合は、残念ですが都市が農村を圧倒します。
食がないと、すべての活動はストップしてしまいます。食は生命のベースです。その食を供給しているのは農村です。
お互い様ではあるはずなんですが、それにしても経済面での差はとても大きいですよね。
とても難しいお話です。農村が儲かるように農作物の値段を高くしてしまいますと、途端に飢える人たちが出てきてしまいます。できる限り安く供給できるように、市場は操作されなければなりません。
となると、農村のお百姓さんたちは割を食ってしまいます。ここで農作物の生産と収入を上手に調整するのが政治ってことになるんでしょうけど、現状うまくいっているんでしょうかね。僕は農業関係の補助金などをいただいたことはないのでわからないのですが、うまくいっていれば農業はもっと活気づいている気がします。もしかすると後継者も人数オーバーになるくらいフィールドにあふれているかもしれません。

それならばと、安い農産物を海外から持ってくるというのは、同じ国に生活するお百姓さんたちを無視しているようで寂しい気持ちになります。足りないから海の向こう側から持ってくるんだという言い分も、ずいぶん乱暴に聞こえます。
お互い様の経済をつくる意味でも、人のつながりをつくるという意味でも、人の体をつくるという意味でも、頑張って知恵絞ってみんなが喜ぶ仕組みをつくった方がいいですよね。
そもそも、食べればいいというエサじゃないんですから。

【決断】

そんなこんなを考えながら、農業の偉大さや尊さを感じるようになっていました。研究を重ねるほどに、更にどんどんのめり込んでいました。
2000年代前半から妄想農業を始めて、2014年からはより現実的に考えるようになって、いつの間にか深く探究するようになって、気づけばかなり本気で向き合っていました。

大都市仙台での営業職も慣れ、2016年の年末も見え始めてきた頃、担当営業エリアの軽い配置換えがありました。
僕にとってはあまり条件の良い変更ではなかったのですが、全力で取り組むことに変わりはありません。いつも通り、営業活動に励んでいました。
変更した直後というのは、一時的に業績は落ち込みます。僕のような実力のない営業マンでは、当然の現象です。
そして、営業成績低迷のまま、冬の長期休暇に突入したんです。

2016年12月30日夜、自宅書斎。机を照らす一点のダウンライトの中、ストーブも点けず寒い部屋で一人考え込んでいました。
営業成績が低迷しているなぁ・・・。でも、頑張ればまた復活はできるだろう!
でも、営業成績に振り回されながらずっと会社員をやっていくのか?
片手間で考え続けてきた農業は、いつの間にか僕の頭の中では大きなウエイトを占め始めている。
世界に二つとないレアな商品も思いついた、できるかどうかわかんないけど。
でもなぁ、43歳になるしなぁ。体力的に農業できるのかなぁ。しっかりとした稼ぎを生み出せるのかなぁ。

「でも」が繰り返される葛藤に次ぐ葛藤。

でもなぁ、農業やってみたいなぁ。
もっと情熱的に、狂おしいほどに働いてみたいなぁ。
ヒリつくような環境に、身を置いてみたいなぁ。
何度となく思い描いた、「熱狂」というものをつくってみたいなぁ。

「熱狂」かぁ・・・。
クソォ、なぜか泣けてくる・・・。

決めた。

後悔する人生は嫌だ。

会社、辞める。

第十話へ続く

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