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"農の最高傑作を創る!” 第二話 なぜ農業?

初めて畑を借りたのは2016年。面積は4畝(約400㎡)ほど。2017年には1.4反(約1,400㎡)、2018年に1.6反(約1,600㎡)、2019年に1反(約1,000㎡)。途中足したり引いたりはありまして、現在は4圃場、合計で4反ちょっとの面積で畑作やっています。

2022年3月の四号地の様子

農薬は一切使いません。強いこだわりがあるのではなく、使い方がわからないだけです。
肥料も同じです。基本的には使いません。野菜たちに必要以上のぜいたくをさせるのではなく、必要な栄養素はできる限り自分たちの力で獲得してもらいます。ただし、野菜たちがノビノビ生きていけるように、環境は私が整えていきます。一所懸命生きようぜ!僕が手伝ううからさぁ!って感じ。
農法としては、最近テレビで取り上げられた協生農法とかいうのに似たやり方を実践しています。

ナスやトマトなどの果菜類、ダイコン、ニンジンなんかの根菜類など、20~30種類の少量多品目野菜を栽培、手鎌と鍬を主な武器として、とても原始的?で牧歌的な農業を展開しています。

詳しい内容は後に回すとして、僕が農業に興味を持つきっかけとなった出来事や、農業にのめりこんでいった経緯を綴っていきます。

早速ですが、2005年前後、正確な年月は覚えていませんが、年齢にして30代前半の頃のお話です。
毎年、地元での地区対抗の青年部ソフトボール大会が開催されます。当時は六地区、おそらく70~80名の参加者があり、応援する方々も含めると100名を超える、小さな農村の中ではとても活気のあるイベントでした。
順位を競い、優勝賞品なんかもありますので白熱はするんですが、よりヒートアップするのが試合後の慰労会です。流した汗の100倍も200倍もお酒を飲むようなイメージです。イメージですよ。

農業が盛んな町でしたから、農家の先輩や後輩が何名かいました。なんか変な表現なんですが、農業が盛んとは言いながらも、数十名参加の慰労会の中で専業農家は少数で、ほとんどはお勤め人、またはお勤めが主の兼業農家でした。高齢化が進んでいますので、若手農家が少ないってことなんですよね。
多数派としての非農家の僕としては、農業ってどんな仕事をしているのか興味本位で聞いてみたくなりました。
農村に暮らしながら、農業についてほとんど何も知らなかった僕は、トンチンカンなものも含めてたくさんの質問をしまくったと思います。

強烈に記憶しているのは、自分たちが作った農産物に対して、自分たちで値付けしていないってことでした。
農産物のほとんどは農協に納められていて、そっから先は農協が小売店舗などへ販売して、小売店が値を付けて販売するという流れです。この時、農協に納める農家の方々は、自分で価格を決めていません。決めるのは買い手側です。
鮮度が大事な野菜類については合理的でまあまあ優しいシステムだとも感じますが、その時のお話はそこそこ日持ちのする「米」が主題でしたので、僕の頭の中は少し混乱しました。つまり、自分たちで価格を決めて直接販売した方が利益は大きいのでは?という疑問が湧いたのです。販売価格が自動的に決められてしまうというシステムは、当時、販売を生業としていた営業職の僕にとっては、なんとも理解しがたいものでした。

さて、ここら辺から農業に興味を持ち始めます。
仕組みについての疑問も目を向けるきっかけにはなりましたが、一番は農業に携わる先輩や後輩がなんだかとってもカッコよく見えたんです。そん時は惹かれた理由は深くは考えませんでしたが、今思い返すといつも目にしている田んぼや畑の風景、キザな言い方をすればふるさとの風景は、先輩たちや後輩たちがつくっているんだなって、その偉大さをほとんど本能的に感じたんだと思います。
チャンスがあれば挑戦してみたいなぁ・・・と、まだ小さくはありましたが思い始めていました。

とはいっても、シャカリキになって研究し始めたということはなくて、会社員だったこともありやることといえば空想ばかり。僕だったらどう販売するかな、どんな農業にしたいかな、なんてことを自由に気ままに想像しては気持ち良くなっていました。

僕が農業を目指すとしたら・・・?一番初めに思い描いた絵は、”カッコいい農業”でした。
ユニフォームも道具もマシンも、見惚れるほどにスタイリッシュでカッコいい。人も田んぼや畑も倉庫も野菜たちさえも、キラキラしていて全部がカッコいいんです。汗だくでも泥だらけでも、とにかくカッコいいんです。プロ野球選手みたいに、サインください!って叫ばれるくらいカッコいいんです!
そして、カッコ悪く底辺を這いずり回っている現在ですが、今も変わらず僕はカッコいい農業を目指しています。

”カッコいい農業”という考えの柱がありましたから、空想はドンドン広がりました。
営業マンとして田舎道をカッ飛ばしながら田んぼや畑の風景を眺めていると、空想はさらに膨らんでいきましたね。スゲーな、農業。スゲーな、百姓って思いながら。

そんな頃でした。遊園地のアトラクションみたいに地面が激しく揺れたのは。
「東日本大震災」
信じられない出来事でした。ホント、信じられない事件でした。
電気も水道も止まってしまって、ありとあらゆる便利さが消えて、突然近代文明から離れた生活になるという状況です。
主なメディアが遮断されてしまいましたので、頼りはラジオの音声のみ。恐ろしい報道だけが流れてきて、映像がないから全然信じられませんでした。
その一方で、明かりのない真っ暗な夜を過ごしたとき、(江戸時代ってこんな感じだったのかなぁ)なんてのんきに思っていました。ここではまったく関係ない話ですが。

普段バラバラの家族が居間で寄り添いあいながらいると、流れていたラジオからまたしても信じられないニュースが伝えられました。
福島第一原子力発電所の原子炉の大爆発です。
次々と信じられないことが起きましたね。現実とは思えませんでした。
大量の放射能が飛び散りました。飛び散った放射能はなんと、150kmも離れた僕らの町までやってきました。

ふるさとでの空想農業は終わりだな・・・。

とても寂しかったけど、とても悔しかったけど、空想するのやめました。

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