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”農の最高傑作を創る!”第七話 農作業と販売の先の壁

頭の中を整理しながら、どんな農業を目指すかを考えていきました。
農業だけではなく、農業関係の分野も考えていきましたが、結論としてプレーヤーとしての百姓になることを目指すことにしました。やっぱりプレーヤーが一番カッコいいからです。
そして、いくつかある中から、”自然農”と呼ばれる農法を選択しました。

人世に最大限貢献するためには、どの分野でどんな風に働くのが効果的なのか、僕の理念に即しているのか、進んでは戻るを繰り返した理詰めの選択でした。

【考えるより動け】

頭の中はグチャグチャ。知識と情報のピースを整理しながら、どんな農業ビジネスができるのか考えていました。
考える上で弱点だったのは、知識や情報が貯まっているとはいっても、それは活字や動画などから得た知識・情報であって、肌で感じた経験でも手にした現物でもないってことでした。意味を帯びた単語や生々しいエピソードなんかはたくさん頭ん中に詰め込まれていましたが、さて自分に置き換えてみるとさっぱり想像が膨らまないんです。
当然です。知識や情報がいくらあってもそれはハリボテで、やっぱり自分の体を働かせて獲得した実経験でしかリアルは描けないんです。
野菜がどのくらいの時間を使ってどう成長してどう実をつけるのか、どのくらいの量が収穫できるのか、何が必要で何が大事なのか、どのくらいの予算があればいいのか、などなど・・・。
考えるほどにやるべきことや学ぶべきことが多すぎて、途方に暮れました。

挑戦するって、ここで進むか止まるかなんでしょうかね。40才という年齢を考えると、体力にしても経験にしても、できるかどうかわかんない無謀な挑戦に時間を使うよりも、効率的に安全に人生を進んでいった方が賢いでしょうし楽でしょうから。
でも、僕は進んだんですね。なぜでしょうね。自分でも測り切れていないところがあります。まあ、世間一般で言えばバカなんでしょうね。でも、自分が必死になって働いていたその時の仕事よりも、農業の方が魅力的に感じていました。もっと自信を持って一所懸命必死になって胸張って働けるような気がしていたんです。
だって、作っているのが食べ物ですから。パソコンやスマホと価値が違いますよね。残念ながらお金に換算すると圧倒的に負けてしまいますが。

もっとリアルに考えられるようになるには、実際にやってみるしかない。会社員をやりながらできるものなのか、そもそも僕にできるものなのか、なんの裏付けもなく、無謀な僕は畑を借りることを決めました。

【畑を借りる】

2016年3月、趣味程度に畑作をしていた父に、どっか好き放題できる畑はないかと相談しました。
そうしたら、あったんですね。父が数年前に借りた畑で、手が回らなくなって3年も4年も放っておいた、400平方メートルほどの草ボウボウの小さな畑でした。拍子抜けするほど、いとも簡単に畑は借りることができました。

嬉しくもあり、少し寂しくもあるお話ですね。あまりにも簡単に農地をお借りできるってことは、僕が憧れを強くしている”農業”という分野には関心が薄れているってことでもありますから。

少しだけ感傷的にもなりましたが、お借りできた嬉しさの方が何倍も勝っていましたので、僕はとても上機嫌でした。あんな農法でこんな野菜を育ててみよう、いっぱしの百姓を気取ってあんな道具を使ってみようなんて、希望に胸が膨らみました。

余談ですが、こちらの畑は今でも作付けを続けている、僕の栄えある一号地です。父に感謝です。

【スタート地点での悲劇?喜劇?】

僕はこの畑で、農薬や肥料を使わない、耕すことさえしないという”自然農”と呼ばれる農法に挑戦してみると決めていました。一応、自分なりにあれこれ考えて選び抜きました。詳しいお話は、後に書きます。

決めてはいたものの、何から始めたらいいのか、どう進めていけばいいのかはまったくわかっていませんでした。
「さてさて、どっから手をつけていけばいいのかなぁ」。
大きな期待と大きな不安を抱えながらも、ルンルン気分で脳ミソを回し始めたその瞬間、何の前触れもなく、何のかけ声もなく、トラクターのアクセルを派手に吹かしながら、父は突然畑を耕し始めました。
「あ~!?ちょ、ちょっと待って・・・」とは思ったものの、何から始めるか考え始めたその瞬間だったし、それが正しいスタートの切り方なのかとも思い、止められませんでした。
草だらけだった畑は、あっという間にさっぱりした様子に変わりました。
開いた口がふさがっていない唖然とする僕に、得意顔の父親は更に色々と教えてくれるような勢いでした。
とても腹が立ってきました。何もわからないながらも自分なりにやってみたかったのに、楽しみにしていた映画のあらすじを無神経にベラベラと説明されてしまったような、楽しみにとっておいたアイスクリームを悪びれもなく食べられたような・・・。
「へへ~ン、どうだっ!」って感じの得意顔を見たら、怒りは更に大きくなりまして。何をしてくれてんのよーっ!って感じ。
僕は父親を制して、あとは自分でやってみると帰したのでした。

無駄に字数を増やすだけの余談でした。失礼しました。

耕されてしまった後の一号地

【自然農】

いわゆる慣行農法(化学肥料と農薬の使用を前提とした農法)と呼ばれるやり方を実践していた父としては、大型機械で草をなぎ倒しながら同時に一気に土を耕すというやり方は、至極当然の進め方だったのでしょう。僕がやろうとしていた耕さない自然農とは、かなり違う考え方です。
では、なぜこの農法を選んだか?
理由は大きく二つありました。
まず、自然農を実践するお百姓さんは、圧倒的に少数派だったということです。おそらく、かなり少ないです。
後から競争に参戦する者としては、他のベテランのお百姓さんと同じように働いたのでは、ほとんど勝てそうにありません。別の戦い方で特徴を出していこうという戦略を取ったんです。

もう一つは、しっくりくる農法だったんです。
自然農との出会いについては、第五話の末に少しだけ書きました。ひそかにドクタースランプと呼ぶ近所の博士が、地味に展開していた農法です。
当時の僕は、自然農と言われてもよくわかっていなくて、肥料や農薬を使わない農法くらいの理解でした。

道具の使い方さえわからなかった初期

通常多くのお百姓さんがおこなう慣行農法では、農薬や化学肥料を使います。なぜ農薬や肥料を使わなくちゃならないのかさえほとんどわかっていない時分でしたが、農薬はできるなら使わない方がいいんだろうなって漠然と感じていました。
情報を集めている中で学んだことでもありましたし、体験として、父がブロッコリーに農薬を噴霧して、葉についた大量のアブラムシがボタボタと地面に落ちていく様子を見た時に、「大量虐殺だ」「本当にこの野菜は大丈夫なの?」って思ったんです。
以前にも書いた通り、融通が利かない僕の性格としては、後ろめたい気持ちで働きたくなかったんです。

後になってわかってきたことですが、健康な状態の野菜たちには、ほとんど虫がつきません。何かしらの影響でうまく生長できない株、または栄養過多になった株を虫は攻撃するようです。
きちんと育っている株は虫を寄せ付けませんので、農薬を使わなくても大丈夫そうです。
味はどうかというと、雑味がなくすっきりした味となるそうです。ここでは批判を恐れて、ぼかした書き方にしておきます。

耕さない、化学肥料も農薬も使わないという理由を説明すると、おそらく相当長い説明になってしまいますし、まだまだ情報量も経験も少ない僕が伝えると誤解を生みそうですのでここではこれ以上触れません。
いつか書いてみたいですがね。

元気よく育つ2016年の野菜たち

わからないながらも畝(ウネと読みます。畑でよく見る盛上げられた土の山です)を立ててみて、父から種イモや苗を譲ってもらって、ジャガイモやナスやトマトを植えました。
大きくなってくると支柱立てたり、ドンドン生えてくる草を手鎌で刈ったり、インターネットや本から情報を得ながら、または父のやり方を盗み見ながら栽培をしていきました。
作業時間はというと、出勤前の早朝や週末しかありませんでした。体はとても疲れていましたが、楽しかったし、本気で夢を追いかけているようでとても刺激的でしたね。

2016年ゴールデンウィーク


そうやって農作業を続けていたら、自分でもビックリするほどうまく育ちました。
今思い返すと、父の苗づくりが上手だったことと、長年放置されていた畑だったから地力が回復していたことが、うまく育った要因だったのでしょう。

収穫したナス

【野菜販売】

となると、収穫した野菜は販売したくなります。
どんな販売先や販売方法があるのか調べ始めました。まず手っ取り早くスタートできる方法は、当時働いていた仕事での取引先のお客さんに買ってもらうことでした。
早朝に畑で収穫してきた野菜をバッグにパンパンに詰め込んで、訪問した営業先で取り扱い商品と一緒に野菜もPRして買ってもらったりしてました。
イベント出店してみたりもしました。
他にも知人を紹介してもらって野菜販売を手伝わせてもらい、実際の現場を勉強させてもらったりもしました。

仙台でのイベント参加

挑戦して気づきました。野菜販売は簡単ではありません。
栽培するだけでも結構シンドいです。収穫した野菜はそこそこ目方がありまして、運搬も結構シンドいです。収穫してきた野菜は、選定しながらキレイに汚れを落とします。手早く進めても、そこそこ時間はかかります。次に目方を計りながら袋詰めしていきます。そして、販売先に持っていきます。
いくらで売るかはとても重要です。主な競合はスーパーですので、値段や量を見て回ったりしました。横文字にするとマーケティングリサーチです。
ナスやトマトは一袋の量はおおよそ○○グラムかぁ、価格は○○円くらいなんだな、○○産は安いな、○○産はなぜ高いんだ?などなど。
さていよいよ販売となると、今度は色んな質問が飛んできます。
「どうやって食べると美味しいの?」「ほかの種類と何が違うの?」「甘いの?酸っぱいの?」
あ、こんな質問が来るんだ、主婦の方々はこんな目線なんだと全部が勉強です。都度調べては、自分の血肉にしていきました。

こんな手順を踏んで頑張ってみて、収入は数千円です。
もちろんにわか販売員ですから、稼ぎが生まれただけでもありがたいことです。
でも、感じていました。八百屋でやっていけるのかって。
スーパーでナスが100円で売られていたとします。僕がお客さん先で「農薬も肥料も使っていないナスなんです!」と声高に叫んだところで、120円で販売することさえ難しいんです。毎日スーパーのプライスカードと真剣勝負を繰り返している主婦の方々にとっては、20円という価格差さえ高いハードルなんですね。

【販売方法を考えてみる】

悩みました。普通に野菜販売していたら、お金も体力も消耗してバテてしまうなって。
販売先を開拓しようとも考えました。例えば、こだわりの飲食店との直接販売だったりです。でも、そうしたお店は多くはないでしょうし、いくつか出会いがあったとしても点在になるでしょうから、物流コストがかかります。
そもそも、ド素人の僕がプロの調理人の方々とやり取りできるレベルの野菜を育て、知識と経験を語り営業できるまでにはとても長い時間がかかりそうです。
道の駅などへの出荷も考えました。でも、プロのお百姓さん方の野菜はとてもキレイな上に、安いんです。消耗は一層ひどくなりそうでした。とても太刀打ちできません。

そして、最大の悩みが・・・。
自然農で作った野菜は、一般的な農法の作物よりも収穫量が少ないんです。
薄利で多売したら、すぐに在庫はなくなりそうです。
たとえキメが細かくて雑味がなくて美味しいといっても、見た目は慣行栽培の野菜とほとんど一緒です。むしろ、不格好だったりします。高く販売するためには、とてもとても高い販売力が必要です。

もう一つの手段。これもできない理由がたくさん浮かんできた「加工品」という考え方です。
手を加えて付加価値をつければ、100円の野菜が300円や500円、もしかすると1,000円で売れるということになるかもしれない・・・。
加工品かぁ・・・。食べ物加工なんてやったことがないし、調理でさえ簡単な作業しかやったことないし、設備投資に大きなお金がかかりそうだしそんなお金ないし・・・。

やっぱり無理かなぁ、百姓。
体力と根性だけではニッチもサッチもいかない場面にぶつかりました。正解が書いてある本も記事も何もありません。かなり行き詰りました。

でも、ここが僕のバカなところなんですね。考え続けたんです。どうしたらいいのか。にわかに集めた知識と情報を何度となくガラガラとシャッフルさせて、しつこくしつこく粘り強く考え続けたんです。正解のない問いを。正解にたどり着ける保証もない課題を。

そうしたら出てきたんですね。まるで降ってきたかのようなアイディアが。
次回はいよいよベジベジパンの発想秘話を書いていきます。

第八話へ続く

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