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幸せの核に近づくための自分メモ #22

マインドフルネスというかスピリチュアリティというか、whatever you call it、そういったものを、本を読むだけじゃなくて一定期間しっかり学んでみたいかもしれないと、最近ぼんやり考えている(この時点でツッコミどころがあるのは認識している。それは学ぶ対象でなくあくまで実践するものなので。もっと言えば、行為でなく状態なので)。教育機関で学ぶのか、アシュラムに入るのか、あるいはJay Shettyのようなその道の大家に師事するのか分からないけれども、いずれもイメージがつかないなかで一番辛うじてイメージできるのが教育機関で学ぶこと。これだとマインドフルネスやスピリチュアリティを批判的な目でも見ることにもなりそうだけれども、それはそれで、捉えようによっては、日々瞑想している自分をメタ的に捉える営みになるわけで、面白いと思う。

で、たとえば大学院でマインドフルネスを研究対象とするとしよう。そういうものに興味・関心を持つ人は世の中にごまんといるわけで、ただ「マインドフルネスを学びたいんです」だけではその他大勢に埋もれてしまう(このようにエキセントリシティを追い求める姿勢がはたしてマインドフルネス/コンシャスなのかどうかは、ここでは不問とさせてほしい)。そうなると、やはり今まで積み上げてきたものとマインドフルネスを組み合わせるのが現実的だし、自分としてもやりがいを感じられそう。これもあくまでたとえばだけれども、「ケンドリック・ラマー『Mr. Morale & The Big Steppers』にみるジャッジメンタルネスと〈今〉への志向」みたいな論文を書くことになるんだろうか?

そんなことを考えながら“kendrick lamar mindfulness thesis”でGoogleしたら、こんな動画が出てきた。

このリック・ルービン(Rick Rubin)とケンドリックの対談は公開された当時に観たので、内容は既知だったのだけれども、長い対談の中からこの部分をピックするチャンネル主=ソースさんのセンスが面白いなと思った。それで他にどんな動画を上げているのか見てみると、自分が夢遊病の間にこのチャンネルを動かしているのではないかと思ってしまうくらい趣味が近そうで、思わず微笑んだ。

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「『ヒップホップが好き』というよりは『好きな音楽やアーティストの多くがたまたまヒップホップ』だと考えを改めた」と、Xでポストしたことがあるし、このシリーズでもそれに近いことを書いたことがあると思う。その時は本当に他意なくそう思ったからそう書いただけなのだけれども、ここ半年くらいは正直、ヒップホップ・コミュニティに辟易してしまうことが少なからずあった。B*D H*Pと某達麻のビーフしかり、某大麻のお医者さんが「20年前はヒップホップなんて誰も聴いていなかった」と軽口を叩いたら集中砲火を浴びた件しかり(たしかに彼のポストは軽率だったと思うけれども、実際に20年前は、自分の観測範囲にもヒップホップのリスナーはとても少なかったので、観測範囲がさらに少し違えば全然ありえる話だと思った)。直近でも(結果的に、ということみたいだけれども)自身の曲を無許可サンプリングしたアーティストを批判した某アーティストが、日本のヒップホップ・コミュニティから叩かれていたり(当該アーティストの言動に問題が無かったとは言わない)。いや、もっと前にもあったな。某実力派イケメンDJが「マツケンサンバ」をかけた若手DJをTwitterで公開処刑していたのも、見ていて気持ちのいいものではなかった。磯丸水産の件は言葉のチョイスが面白かったのでギリ許せる。国内のことばかり書いてしまったけれども、振り返ればテイクオフ(Takeoff)が亡くなったあたりから、ヒップホップ・コミュニティに対する違和感というか忌避感というか、そういうものが自分の中にうっすら積もり始めていたのだと思う。

ただ、ヒップホップが格闘技と並んで、自分の人生を変えた数少ないものの一つであることは確かだ。だから、コミュニティにいくら嫌気が差したとて、ヒップホップそのものに対する感謝と愛は間違いなくある。少なくとも自分ではそう認識している。じゃあ、俺が愛したヒップホップって何なんだろう? 何が俺を惹きつけたのだろう?—そんな思いから、先に挙げたソースさんのチャンネルの動画を2, 3観ているうちに「人生への態度」という言葉が浮かんできた。

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そう、人生への態度。社会への態度じゃなくて。もちろん、ラッパーたちの社会への態度に感銘を受けたこともある。僕が初めて恋に落ちた曲は2パック(2Pac)の「Life Goes On」だけれども、同曲はあくまでパック個人の経験に根ざしたものでありながら、少なからず米国のいわゆるゲトーに暮らす黒人たちを代弁していた。あるいは、単純に音の気持ちよさ。この例は分かりやすいからよく出すのだけれども、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)の「Ain’t No Fun (If The Homies Can’t Have None)」なんて、最低にして最高きわまりない曲だと思う。ビジュアルも大事。中3の頃、3年2組か3組の教室のテレビで、友人が持ってきた50セント(50 Cent)「Wanksta」のMVのメイキング映像を見せられて、そのファッションと雰囲気に魅せられた。その5年後にヒップホップと〈再会〉を果たすと、今度はT.I.がとんでもないイケメンだった。ダブル・アンタンドラやストーリーテリングの妙に魅せられたことだって数えきれないし(この点については例を挙げ出すとキリがないのでブログ『Genius & Cortez』やYouTubeチャンネル『#HIPHOPで学ぶ英語』を参照されたし)、ジェイ・Z(JAY-Z)やニプシー・ハッスル(Nipsey Hussle)が提示するハスラー的な成功哲学をかっこいいと思ったこともある。あとは、そもそも昔から漠然と海外というものが好きで、『世界ウルルン滞在記』なんかも大好きだったので、同番組と同じように自分の知らない世界を覗かせてくれる彼らの言葉や音にワクワクしてきた。

だけれども、何よりも僕の心を捉えて放さなかったのは、何人かのラッパーたちが曲中で示してくれた、人生への態度だった。その最初の体験をもたらしてくれた楽曲はケンドリックの「Real」だった。同曲を繰り返し聴いていた2012年の冬には、すでにヒップホップと親しみ始めて4年くらい経っていたけれども、それまではそれこそ『ウルルン』を観るように、外から自分と縁遠いものを眺めているような感覚があった。「これは俺の曲でもある」と初めて感じられたのが「Real」だった。すると「Real」をきっかけに『good kid, m.A.A.d city』全体が自分のことのように感じられた。感じられた、だけじゃなくて、実際にそういう要素があったのだと思う。その後もヒップホップは聴き続けたわけだけれども、次に僕を同じような気持ちにさせてくれたラッパーはJ・コール(J. Cole)だった。二人に共通するのは、どちらかといえば内向きで、考えすぎるところもあって、人生に対して必要以上に真面目で神経質で、でも悲観的すぎるわけでも楽観的すぎるわけでもなく、究極的には何か大きなものを信じている感じ。他にも「この人の人生への態度、いいな」と感じさせてくれるラッパーは何人かいるけれども、真っ先に思い浮かぶのがケンドリックとコール。ベタだけれども、心に正直に向き合うとその二人になってしまうのだから仕方ない。

音楽を聴いて、そのアーティストの人生への態度に触れる—まるでJay Shettyの『Think Like a Monk』でも読んでいるみたいだ。そう考えると、僕は10年以上前からスピリチュアル系自己啓発本に向き合うような態度で音楽に向き合ってきたことになる(当時はそういう分野にはまったく興味ないつもりだったけれども)。そして、これもあくまで自分の観測範囲でだけれども、日本の多くのラップ好きはそうしたトピックを好まないように思う。そう考えると、自分がヒップホップ好きで日本に住んでいながら、日本のヒップホップ・コミュニティにはなんかbelongしないな、と薄々感じていたことにも合点がいく。まぁ、音楽からアーティストの人生への態度を感じるのに、その音楽がヒップホップである必要はないわけなので、ラップのリスナーとして正しいのはどちらなんだという話だけれども。

だから、たとえば僕が『Mr. Morale & The Big Steppers』はAlbum of My Lifeだと言うとき、そこにヒップホップとしてどうかという視点は入っていない。ケンドリックがどの作品よりも同作において人生への態度をくっきりと描き出してくれて、それが自分にとってあまりにrelevantだったから、人生の一枚になった。それだけのこと。

そんな感じで、自分が何か作品について書くときに「ヒップホップとしてどうか」という価値基準で評価していると思われたくないのと、そもそも肩書きに自分を語らせたくないなと思って、じつは昨年5月から「音楽ライター」を名乗ることをやめている。音楽について書かない、というわけではない(実際に書いてるし)。肩書きに自分を語らせないという意味では、本当は「会某員」とも名乗りたくないくらいだけれども、それでは社会生活に支障をきたすので、諸々の手続では渋々「2. 会社員」とかに○をつけている。

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写真は先日出某時に山梨県で見たオリオン座(写真でもギリ分かるかな?)。星座には詳しくないけれども、オリオン座は小学生の時に父が教えてくれてすぐ覚えられた。冬になったら空を見上げてオリオン座を探すのも、自分としては大切にしたい人生における〈態度〉。

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