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【じーじは見た!】 前編:カリスマ経営者に潜む危険性⁉

妻が私の蔵書を処分したがっているということで古いを本を持ち出してきて記事にした「複雑系のマネジメント」に沢山のスキをいただきました。

二匹目のドジョウを目指して、これも1998年初版の『カリスマ ~中内功とダイエーの「戦後」』(日経BP社 著者:佐野眞一)を書棚から取り出してきて記事にしたてました。

これも読み返してみてみると、日本経済の戦後復興と1985年のプラザ合意を頂点に30年以上に及ぶ経済停滞に見舞われている日本を考える上で重要な要素が隠れていると思いました。

✅本書「カリスマ」と佐野眞一さんについて


佐野真一さんは、人によって好き嫌いがあると思いますが、じーじは本書『カリスマ』や『だれが「本」を殺すのか』(2001年:プレジデント社)はテーマの先見性がすごくて、とても好きな作品です。

本書「カリスマ」は「日経ビジネス」の97年6月2日号から98年2月23日号まで35回に渡って連載された「カリスマ ー 中内功とダイエーの戦後」を著者が加筆訂正して、まるで書き下ろしに近い作品にしたそうです。

あとがきに書かれているのですが、この本が出版される前、日経ビジネス連載中の97年暮れに中内功とダイエーを原告として佐野さんは2億円の損害賠償を求める訴訟を起こされました。(後に訴訟は取り下げられています。)

中内さんにとっては腹の立つ内容が書かれていたからの訴訟なのでしょう。どこが気に入らなかったのか?じーじなりに見ていきますね。

本田宗一郎(ホンダ創業者)、松下幸之助(パナソニック創業者)、井深大(ソニー創業者)らのカリスマ経営者と同列で語られない中内功さんの失敗はどこに原因があったのでしょうか?

✅ダイエーの凄さを振り返ってみましょう⁉

1957年 ダイエー1号店(「主婦の店・ダイエー薬局」)
1958年 ダイエー2号店
1961年 年商50億円突破
1963年 ダイエー本部新設 「1000億円企業ビジョン」発表
    大卒1期生18名入社
1964年 松下電器(現:パナソニック)製品の安売り開始
    松下は製品の納入停止で対抗
1965年 花王石鹸(現:花王)がダイエーへの製品出荷停止
    ダイエーが公取委に独禁法違反で提訴
1967年 中内氏が初代日本チェーンストア協会会長に就任
    松下電器を公取委に独禁法違反で提訴

(ここまでがダイエー1号店創業から10年)

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1968年 首都圏進出
1969年 「わが安売り哲学」出版
1970年 フォルクス1号店を中津本部1階に開店
    5万円台の自社ブランドカラーテレビ「ブブ」発表
1971年 スーパー業界で初の株式上場(大証2部)
    「ブブ」の製造元※①クラウンと資本提携
1972年 東証1部上場
    売上3,000億円突破
    ハワイにダイエーUSA設立

1973年 北海道へ進出
1974年 J・Cペニーと提携
    ローソンミルク社と業務提携(コンビニストアのノウハウ導入)
1975年 ローソン1号店(ローソン桜塚店)
1977年 創業20周年記念として中内氏を団長とするアメリカ研修

※ダイエーがみんなに支持された中内さん全盛の10年

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1979年 日本初のボックスストア、※②ビッグエー1号店(宮原店)
1980年 小売業界として初の売上高1兆円突破
    長男 中内潤氏 ダイエー入社
1982年 ハワイオアフ島のアラモアナ・ショッピングセンターの経営権取得
1983年 クレジット会社の丸興と業務提携
    ※③プランタン銀座設立
1984年 ほっかほっか亭と業務提携
1985年 ※1)「V革作戦」(業績のV字回復)スタート
1986年 V革成果で黒字回復
1987年 リッカー再建支援(中内氏がリッカー管財人に就任)

※1)1983年からダイエーは3期連続の連結赤字に陥りました。
この状況の打破を託されたのが河島博氏(ヤマハを世界ブランドにした功労者)でした。

じーじは、この10年がダイエーが100年企業になれるかどうかの決め手になった10年だと思います。

結果が分かっていることに「たられば」を言っても仕方ありませんが「もしも中内さんが長男を社長にすることに固執せず、身を引いていたら」と思ってしまいます。

何故ならば、アラモアナショピングセンターの経営権を始めとしてダイエーが持っていた経営資源を今の時代に適応していたらどんな会社になっていたのかワクワクしてしまうからです。

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1988年 流通科学大学開校
    日本ドリーム観光に経営参画
1989年 福岡ツインドーム構想発表 
    潤氏主導のハイパーマートの導入
1990年 中内氏経団連副会長就任
1991年 マルエツ株式会社をTOB
1992年 忠実屋をTOB
    リクルートの株式33.9%を取得
1993年 日本ドリーム観光を合併
    中内氏勲一等瑞宝章を受章
1994年 30年ぶりに松下電器との正式取引再開
1995年 阪神大震災に際し、政府を上回る迅速な救援体制を展開
1996年 カンパニー制を導入 潤氏がCOOとして9カンパニー統括
1997年 2月期決算でダイエーの経営危機が表面化

①②③ プランラン銀座(P)クラウン(C)ビックエー(B)この3社の業績不振を当時ダイエーのPCB問題といったそうです。

更にこれにアラモアナショッピングセンターの投資負担で連結赤字に陥いりました。

しかしそれは全て85年から始まるV革で立て直せたのです。
もし、88年からの10年をプロ経営者に任せたままにしていれば、どれほどの価値を生んだのか?

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✅V革の悲劇とは何だったのか?


佐野さんは、V革後の中内さんの前線復帰をダイエーにとっての「悲劇」と書きました。

そんな書き方をしたら、日本の流通革命を先導してダイエーを日本一の小売り業に成長させたカリスマ経営者 中内功さんの逆鱗に触れるのは想像に難くありません。

少し長くなりましたので、つづきは明日の中編をお楽しみに。

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