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123: 日本語レッスンをはじめて4年と、湧き上がってきた気持ちと。

韓国旅行から帰った次の日、アメリカ人の友達から荷物が届きました。
カバー写真が中身の1部です。アメリカ南部に住んでいる、またはいったことがあるという人は、私の友達がどこに住んでいるかはすぐにわかると思います。

4年ぶりに友達から郵便で荷物が来ました。

4年前、ちょうどコロナ禍だった時、彼からの荷物がなんと航空便で3ヶ月かかりました。

シカゴで2−3ヶ月ほど日本へ行くのを待っていたようです。
こんなに時間がかかった理由の1つは、コロナ禍で便数が減っていたことと、友達がグリーンカレーの素や何やら税関で引っかかりそうなものを入れていたからだと考えられます。
しかも、中で瓶が割れていて、ぐちゃぐちゃでベタベタのまま届き、マグカップも割れていたり、送った本人はかなり落ち込んでいました。

そして、4年後の2024年。彼が送った荷物は無事に日本に届き、かかった日数は1週間くらい。

それをきっかけに4年前の4月はどうだったのか、あれこれ思い出してみました。

ちょうど4年前、私はオンラインで日本語を教え始めました。
きっかけはコロナでした。
日本語を教えたい!!!という気持ちよりも、

「コロナや引っ越しをきっかけに補修校に通えなくなったから、オンラインで私の子供たちに日本語レッスンをしてみませんか?」

と、声をかけてもらったことから始まりました。

当時、私は塾の先生でした。
塾の先生も、教えたいというより、声をかけられたことで始めました。

初めての日本語レッスンは、今考えるとものすごく自由で、ポケモンの絵描き歌をしながらレッスンをしました。
もちろん、その他にもレッスンプランがありましたが、ポケモン絵描き歌からスタートした、という印象が私の中で大きいです。

そして、生徒さん2人も庭にテントを立てての、テントの中からの参加でした。当時、アメリカの学校がオンラインだったので、少しでも外に出て光を浴びるように、だったと思います。

あの時、日本語を教えてみませんか?と言われなかったら、今頃何をしていたのだろう。
あの時、「日本語を教えてみませんか?」と言われた時に、「経験がないから無理です」と断っていたら、今頃何をしてるのだろう。

あれから、「言語と関わる」というボートが流れてきて、それに素直に乗って、そこから勉強もして、今に至ります。

日本語教師は、いろんな関わり方があると思います。

5年目に突入すると共に、私の場合は大人のための継承語に関わりたいという思いが沸々と湧いてきています。
もちろん、今やっているレッスンをメインにやって行きますが、それ以外にもう1つまずはスポットライトを当てたいのは、大人のための継承語です。

もうすでに、大人のための継承語(私が勝手に名前をつけました・・・!)の生徒さんは何人かいますが、その方達と話をしていたら、私が家庭内で身につけてきた日本語や日本の文化と、私が社会で身につけてきた日本語と日本の文化というのが違う、というのを感じます。

彼らの場合は、社会で身につける日本語や文化というのがわからないまま、だんだん日本語に自信がなくなってきているような気がするのです。

どんな関わり方があるのか、まだ見えていないことが多いのですが、ここで書くことで自分に対しての宣言や記録として残しておこうと思います^^






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