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消えた伝統と変わらない土地

ブルガリアの中央、大きな山脈に挟まれたバラの谷では、毎年5月にバラ祭りが催される。
中でも一帯の中心地、カザンラクでは日本で言う”ミスバラ”のような "バラの女王"を決めるコンテストが開催され、祭り当日には街の中心での盛大なパレードや、近隣の小さな村では民族衣装を来た子どもたちのダンスなどで谷は大いに盛り上がる。

バラ祭りを見に来た僕はカザンラク近くの小さな村のホテルに一週間ほど居座り、現地の生活を見ながら待つことにした。
そこで村に30年ほど住んでいるという写真家の日本人男性と出会い、村に居る間は毎日のように話していた。
村の古い家を自分で直しながら住んでいて、お世辞にも立派とは言えない建物だが、手入れされた庭と、立派なぶどうの樹がその生活が豊かなものだと教えてくれる。来年は生ったぶどうでワインを作ってみるそうだ。なんとも羨ましい生き方である。

彼がこの土地に住んでいた30年間で、ブルガリアは大きく変わったという。
要因はブルガリアのEU参加だ。
EUの中でもフランスやドイツの大国に比べ、ブルガリアは裕福とは言えない国で、EUに入った後電気代やガス代、物価などが大きく変わってしまったそうだ。
EU以前は各家庭で当然のように作られていたというヨーグルトも、物価の上昇、また、安い輸入品のせいであまり目にしなくなったという。
体感としてヨーグルトを多く目にしたのはブルガリアではなく隣国トルコの方が多かった。トルコではあらゆる料理にヨーグルトを入れ、デザートにもヨーグルト、中でも塩を混ぜたアイランと言う名ののむヨーグルトは街の雑貨屋から小さなケバブ屋までどこでも目にする。
ちなみにこのアイラン、自分は結構好きでトルコに居る間はしょっちゅう飲んでいたのだが、テレビのADをやっていた頃、ロケの乗り換えのイスタンブール空港でロケ隊全員に買っていった所全員から不評をもらった。なかなか癖の強い飲み物である。

バラ祭りの始まる前、ホテルのオーナーにバラの採集を見たいと言うと快く近所の畑まで連れて行ってくれた。
驚いたのはそこで働く人々である。バラの採集は少なくともそこの畑では全員がジプシーが行っていた。ジプシーたちは車で畑に乗り付け、大きなポリ袋に一杯の花弁を入れて重さを測ってもらう。その重さがそのまま収入になるのだ。
バラの谷、と検索して出てくるような民族衣装を来て華やかに花を摘むような光景は今は昔。バラの谷の経済の根底はジプシーが支えている。

それを目にした後、件のバラ祭りを見に行ったものだからどうにも楽しめなかった。若い女性たちが民族衣装を来て観光客たちと一緒に輪になって踊り、会場には蒸留器のような香油のろ過装置や民芸品の販売所。
彼女らはパフォーマンスのように花を摘み、大型バスで乗り付けた中国人観光客や欧米人観光客はそれを伝統として楽しむ。どうにも歪な場所に見えた。

そこで出会った日本人夫婦は自分が拠点としていた村に別荘を買い、この時期にだけやってくるそうだ。「この土地は本当に綺麗で好き」なんて言葉を本当に心の底から言っているように見えたが、その目に何が写っているのかは僕にはわからなかった。
村に住む写真家の男性もこの夫婦のことは知っているようだが、深く関わらないようにしていると言う。気持はよく分かる。
この村の子供達は学校の教育の一環か庭の手入れや掃除、ぶどうの木の剪定などを手伝ってくれるそうで、違う形でも伝統が残ってくれればいいと彼は言う。

物価が変わり、生活が変わり、伝統が変わってしまっても土地は変わらない。
結局この土地で食べたヨーグルトはお手製のものではなく、雑貨屋で売っていたダノンだけだった。
その事実がどうにも寂しいが、伝統のヨーグルトが、各家庭のレシピや記憶の中に残り続けていくことを切に願う。

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