マウンテンママ

「みかんの丘」を見た。素晴らしい映画であった。あまりにも見覚えのある風景が流れていき、ジョージアで出会った様々な人の顔が浮かんだ。彼らが死ぬのは見たくない。

ジョージアには二度行ったことがある。一度目はトルコから、二度目は首都トビリシから。コーカサス周辺国はあらゆる歴史、文化、そして戦争のがれきの上に成り立ち、土地を掘り返してみればワインとチャイと血が湧き出す。トビリシにはオペラハウスが建ち、バトゥミにはモスクが建っている。
日本に生まれ住む僕にはわからないことだが、一つの大陸に住む人々にとって遠く離れた地に同じ血が流れている人間が暮らしていることは珍しいことではなく、この映画の舞台であるアブハジアでもエストニア人が古くから住み、エストニアを祖国と呼ぶ。
旅先で出会ったトルコ人の学生が、ウイグル人について気を病んでいたことを不思議に思ったが、彼らにとっては上京した息子を心配しているようなものなのだろうか。

最近紛争が再勃発したナゴルノカラボフにほど近いゴリスに行ったときは丁度小さないざこざが起こったその三日間で、ゴリスに向かう戦車と兵士を見た。乗り合いタクシーの隣に座ったご婦人が戦車をにらみつけるのを見ながら、地図を広げてジョージアの歴史を話してくれた民宿の老夫婦を思いだした。彼らにとっての歴史は、先祖の歴史は、語らねばならないものなのだ。
トルコからジョージアに渡った時国境とは線ではなくグラデーションで変わっていくものなのだと理解したが実際は少し違う。国境は塗り重ねられた油絵であり、時折どこかが削られては全く別のモチーフが顔を覗かせ、よく思わないものによって血が流れる。

アルメニアから見えるアララト山。スヴァネティから見上げるコーカサス。エレバンからは「我らの山」は見られない。

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