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ユーラシア横断の旅④ 〜国境の荒野編〜

明日の国境越えが不安で眠れなかった。
なんとか眠ったが、それでも2時間程度。起きたのは朝8時(ウイグル時間では6時)で、スタッフの誰も起きていなかった。


時間がない上シャワールームはほぼ外で寒く、1日くらい良いだろうとシャワーは浴びなかった。昨日の分の宿泊費を渡していないのでスタッフが起きてくるまで待つことにする。このホステルには黒猫とまだら猫が半野良で居座っており、黒の方は人懐っこい。
リビングには石炭ストーブがあっていつもは暖かいが、まだ付いておらず寒いまま。コートを着て煙草を吹かすが誰も降りてこない。10時ぐらいになっても降りてこないので出発することにした。
翻訳アプリで中国語を調べ、「もう行くのでお金は置いておきます。ありがとう。」と書き置きを残して。

近くのバス停から20番のバスで20分ほど行くと聞いていた通りバスステーションがあった。他にバックパッカーが居れば幾分楽になるだろうと探すが、1月の寒い時期にこんな寒い地方に行く旅行者自体少ない。誰もいなかった。
仕方なくウチャ行きの乗り合いタクシーチケットを購入し、ウチャまで移動。近くかと思ったら意外と遠く、何もない高速道路をひたすら走る。
途中のパスポートチェックで何故か揉めて、かなりの時間を消費した。中国人はこういう場合パスポートの代わりにIDカードを提示する。
このIDカード、駅で切符を購入するだけでも要るし、ホテルの予約にも必要になる。PASMOみたいにタッチして使うのが普通で、公安はカードチェック用の機器を各自持っておりいつでも目を光らせている。酷い監視社会である。

ウチャに着くと自分以外の乗客が降りて行き、一人になってしまった。どうせなので銀行に寄ってもらい、その後国境まで乗せてもらうよう頼む。
ウチャは国境の街にしても寂しく、シムシティのビルを建てる前の様な、やけに立派な道路だけが続く。国境はそう遠くはなかったが、歩くのには確かに遠い距離だ。ウイグル人の運転手に追加の料金を払い、握手をして別れる。
間髪入れずにそばに居たおばちゃんが中国語で話しかけてくる。分からない顔をすると、次は英語。「キルギスに向かうの?車が来るから一緒に乗って行きなさい。」
彼女の言う通りバンがやってきて、手続きをする建物まで乗せて行ってくれた。数人のキルギス人も一緒だ。空港と違って陸の国境はガラガラで、荷物検査のコンベアも動いていない。
無事パスポートチェックを終えるとまた同じバンに乗ってキルギスを目指す。

彼女の名はアイシャン。中国にはビジネスで来ていたそうだ。
アイシャンの荷物は多かった。大量の中国産みかんとキウイと大きな鞄が二つ三つ。なんでこんなに?と聞くと土産だと言う。それにしても箱5つ分は多すぎる。案の定荷物検査のコンベアでひっくり返って拾う羽目になった。

国境と国境の間が非常に長く、6時間ほど”どの国でもない”地域を走ることになる。一応は中国になるのだろうか。周りに見えるのは赤い土の渓谷と、その向こうに雪を被ったさらに巨大な山。


あまりにも綺麗で、何故だか涙が溢れてくる。安心したのもあるのかもしれない。


昼休憩で最後の中国国境付近で止まると、アイシャンがどう見ても民家のような家に上がり込み、挨拶を始めた。こいつは日本人(ヤポーニャ)だと自分を紹介すると「おお、日本人か!」という反応。座れと言われて言われるがまま座る。炒飯のような物を出されるのでその後も出される物を食べ続けた。
この家は一応中国にあるのだが、彼らは恐らくキルギス人だ。その割に家の壁には中国共産党ポスターが貼られ、テレビでは旧日本軍が中国の女性を弾圧した、と言う様なドラマを放送している。
出されるお茶も紅茶、チャイで、ウイグルともまた違う。この家の隣にはウイグル料理の店があり、また分からなくなる。

さて、なかなか美味しい炒飯を頂いて出発だ。何故だかあの霧かかった中国の空は完全に消え、暑いくらいの太陽と青空である。最後の国境にはキルギス側にも関わらず、「祖国は心の中に」なんて下らない中国語が書かれている。馬鹿馬鹿しい。
バンを降り運転手に幾らかの元を払い、その後キルギスから中国へのバンが丁度到着したので乗り換えた。後部座席にAKを携えた軍人が乗っていてギョッとする。

アイシャンには18と14の娘さんが居て、上の子はヴァイオリンを、下の子は英語を勉強しているそうだ。写真をやっていると言うとヴァイオリンの演奏姿を動画に撮ってくれないかと頼まれ、訳分からず了承した。なんにせよ街に出なければいけないので彼女について行こう。
キルギスの国境はなんだか緩く、X線の荷物検査も無ければボディチェックも特にない。パスポートチェックではコニチワサムラーイ、サヨナラサムラーイと言われるし、荷物確認ではホンダケイスケなんて言われる。浸透しすぎだろう。

中国と違ってなぜかここらには雪が積もっている。警察もモコモコしたコートにムートンブーツ。顔立ちは確かに日本人に似ている。国境を無事越えるとまた別のバンに乗り込んでオシュを目指した。


国境越えの拠点、サリタシュの田舎街もトイレ休憩ぐらいでさっさとスルーし、この渓谷を抜けていく。サリタシュは国境越えする旅行者にとってのオアシスらしいが、実際はネパールのアンナプルナキャンプみたいな荒涼とした大地である。


恐ろしい景色だった。真っ白な雪の積もった一番上に道路があり、冷たい風が線になって川の様に流れていった。山と雪と一本の道路しか見えない。夏に来たらこの風景は見られなかっただろう。良いような悪いような。聞くと標高3700mだと言う。雪も積もるはずだ。

もう夕方だしオシュで一泊ぐらいするだろうと高を括っていたが、何時間もかけてオシュに着いたら彼女、ノンストップでビシュケク行きに乗ると言い出し、結局眠気を殺してワゴンに乗り込んだ。キルギスは日本車が多く、そのワゴンも暗いのと眠いので詳しく覚えていないが、カーナビが「ディスクが確認出来ません」と伝わらない日本語の訴えを叫び続けていたのは覚えている。後ろから2、3、2の7人乗りの筈が、一番狭い最後尾にアイシャンと自分とガタイの良いキルギス人が座るもんだから狭い。
キルギス歌謡が大音量で流れ続け、地獄の様な深夜の車内で「キルギス歌謡は70、80年代洋楽みたいだなァ」なんて状況に対して呑気すぎる感想を抱きながら一抹の不安をなんとか誤魔化そうと微睡みの中に落ちていったのだった

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