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ユーラシア横断の旅② 〜ウルムチの吹雪編〜

朝になると車窓の風景が黄色に変わっていた。中国でも田舎の方にやってきた。
この辺は黄土というか、とにかく土の色から違い、川も家も黄色い。

しばらくするとまた風景が変わる。
雪が降っていた。
中国では降水量自体は少ないので日本の高山や新潟のように積もることはないが、元々の寒さで雪がいつまでも残っている。小学校の同級生で中国人の友人がおり、彼は寒い地方の田舎出身だと言っていたので、彼はこんな土地で生まれたのだろうかと考えた。ちなみに彼の家は地元で美味くて安い中華料理店を営んでいたが、儲かったのか名古屋に2号店を出してそちらに引っ越してしまった。

列車内に警察官が二人乗り込んできて、何が起こったのか女性が一人捕まった。運がいいのか悪いのか真後ろだったため、後手に手錠を掛ける所まで克明に見てしまう。工学青年が「見てみろよ」と手錠を指差すが只事じゃなかろう。あれよあれよと言う間に女性は降ろされ、平穏な(?)列車旅は再開する。

列車はどんどん北部に進み、車内の電光掲示板に表示される外気温もどんどん低くなった。4度や5度で寒いなぁと思っていたらみるみるうちに氷点下を下回る。その割に乗客は意外と薄着だ。途中でロシア人旅行者が二人乗り込んできたが彼らもまたやたら薄着だった。寒さに強過ぎだろう。


夜になると更に冷え込み、ドアの窓は凍りついていた。外はマイナス10度。その中を時速130キロで疾走するため、ドアの周りは霜だらけ。コンビニの冷凍庫みたいだ。


停車時間が長い駅に着いたのでキオスクで冷えたビールでも買おうとダウン一枚で車外に飛び出すと恐ろしく寒かった。冷蔵庫もないキオスクだったがビールはキンキンに冷えていて、席に戻った自分はガタガタ震えた。
隣の太った客のいびきで寝づらかったが、なんとか今日も眠る。

起きると車内が騒々しい。ウルムチで降りると言っていたロシア人も荷物の準備を始めている。工学青年に確認するとウルムチだと言う。まだ外は真っ暗じゃないか。もう8時だっていうのに。
ウルムチは想像通り寒かった。夜の様な闇の中、白い息を吐いて構内を進む。駅の外に出ると駅前にはホテルが立ち並び、呼び込みのおばちゃんがうるさい。

お腹も減ったので朝ご飯。カップラーメンにも書いてある通り中国のポピュラーな麺料理は「牛肉面」と表記するもののようで、麺なら安いだろうと頼んだ。一番ノーマルな牛肉面で300円ほど。まぁまぁ安い。しかも手伸ばし麺はコシがあってかなり美味い。

ホテルと書いてある建物を何件か回るが、泊めさせてもらえない。ホテルは中国語で酒店と書くのでそれはわかるのだが。避けていた呼び込みおばちゃんにも当たるが難しい。中国語で何とか国際酒店に行けと言う。遠くに見える高そうな高層ホテルのことだろうか。
その後も何件か回ると理由が分かった。中国では外国人が泊まることが出来る宿が決まっていて、国際と名のつく所でしか泊まれないようだ。仕方なく高そうなホテルに行くことにした。

歩き回っていると次第に街が白んでくる。
ようやく朝か。
後から知ったが中国ではすべての土地が同じ時計で動いているそうで、北京がもう朝でもこの土地ではまだ夜なのだ。

ホテルは4000円ほどとかなりの予算オーバーだったが、身体を休めたかったので泊まることにする。

しばらく休んだ後、ウルムチの街を散歩することにした。ホテル前の通りを渡ると市場があり、金物や乾物、布製品が並ぶ。

ウルムチではどこに行くにしても何かしらのゲートをくぐる必要があり、ただの市場でさえボディチェックがある。雪が少ない割に気温は寒いので雪というより氷が張り付いてるようだ。何度か転びそうになる。ウルムチはウイグル全体の要所となっており、市場には大量の荷物を積んだトラックが出入りしていた。


日本人が荷物も持たずに街を歩くと誰も自分が日本人で、さらに旅行者だなんて思わない。フードを目深に被り、ポケットに手を突っ込んで雪の降りだした街を歩くとスパイみたいだなと楽しくなった。

ウルムチはとにかく警察が多く、少し歩けば盾を持った警察が団子になっている。駅前は特に厳しく、装甲車の上から睨みを利かす公安が居たり、銃剣付きのライフルを携えた特殊部隊のような集団が固まっている。何とも歪である。
翌日ウルムチ時間の昼に切符を取りに行ったら、(切符を買うのに2時間並んだ)16時の切符は立ち席しか無いと言われる。そんな馬鹿なと思ったが、中国の列車は基本北京時間で動くようで、その時点で15時半を回っていたのだ。無いはずだ。仕方なく19時間立ち席の苦行を選んだ。
前の列車では立ち席の客が居たものの数人で、しかもそれなりのスペースがあったためそんなものだろうと思っていたら今回は1日1便の列車で人が多く、二階建ての列車の踊り場しかスペースがなかった。なんとか手に入れた場所はゴミ箱の横。野宿用に持ってきたマットが座布団として役に立った。
ウイグル人の若者に話しかけられ、日本人なんだと伝えるとどうやら気に入られたようで、事ある度に煙草をくれた。
中国人はみんなモバイルバッテリーを携帯しているものだが彼のバッテリーは底をついていて、煙草のお礼に貸してやる。いつものようにカップラーメンを食べ(今回のはあんまり辛くなかった)、ホテルから頂いたティーパックのお茶を飲んで過ごす。外扉の前の階段に座っていたが夜になるとやはり冷え込み、銀色の外扉が業務用冷凍庫みたいに思えてくる。
ウイグル人は基本悪い人では無いのだが、マットが勝手に使われていたり、まぁ遠慮がないというか人懐っこすぎるというか。


たまに停車時間の長い駅に着くので決まってその若者と煙草を吹かしに外に出た。こういう駅には大抵物売りの手押し車が止まっているので多くの乗客はそれを目当てに降りる。
ドア付近に居ると車掌にどけと言われるし寒いしゴミが臭いし最悪な場所だが、マットを座布団にして丸まると4時間くらいは眠ることができた。自分凄い。
この辺りはタクラマカン砂漠があるのだが、夜の暗闇で全く見えなかった。

起きるとやはり真っ暗で、ホテルからくすねたスティックコーヒーで温まった。上海からの列車と違い洗面所がウイグル女性で混んでいて、お湯を貰うのも大変だった。ウイグル人は漢民族よりおしゃれに気を使うのか。
だんだん外が白んできて、何もない平原が見えてくる。乾燥した大地と、遠くには山々。何もない駅に着いて、何故か大量の人が降りていく。そろそろカシュガルかもしれない。余談だがカシュガルだなんて誰も呼ばず、カーシューと言った方が通じる。漢字で書くと喀什。ウイグル語だとカシュガルなのかな。


例のウイグル人の若者がカシュガル駅でカッコつけて二本指を降り別れの挨拶をしてきたが、ホテルの場所を聞くために引き止めた。この辺は相乗りタクシーが主流なので、彼ともう2人の女性を乗せて市街地へ。どれだけ遠くへ行っても100元は越えないので4人で乗れば最高でも400円くらい。このタイミングで彼の名前を聞くと、漢字で書いて見せてくれる。「阿迪力(アーディル)」と言うらしい。代わりに自分の名前を「佳」と書き、ケイだと伝える。

中国でのLINEのようなものを聞いてくるが、残念ながら持っていない。彼もまたLINEも、Facebookも、使えない国に居る。
彼の携帯のおかげでホステルの場所が分かり、なんとかたどり着く。鞄を降ろし、お礼代わりにやや多めの割合でお金を払った。
後部座席のウィンドウを叩きアーディルに手を振り、とうとう別れの挨拶をした。

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