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ユーラシア横断の旅③ 〜カシュガルの観覧車編〜

カシュガルに着いて驚いた。
ここはまごうことなきイスラムではないか。
ホステルの前には月のモチーフの建物。見るからにモスクである。

イスラムらしく羊肉をよく食べ、街のあちこちで羊の串焼きを焼いていた。その台も金属細工で飾られていて、トルコで見た景色によく似ている。ウイグル人は彫りが深く、髪も東アジア人より黒い。ロシア帽の様な帽子を被り、中国語とは違うウイグル語を話す。
ここは、どう見ても中国ではない。
その割に看板や店のメニューにはウイグル語に混じって中国語で表記があり、街にはデカデカとウイグル地区併合ナントカ周年だなんて。少し歩くとビルが並ぶ市街地で、大きな公園には毛沢東の像。
ここは何処なんだ。

あれだけ困ったホテル探しも、ユースホステルのためかすんなり決まった。日本人が居たらラッキーだと期待したが、周りは全て中国人。
ホステルの近くには職人街があり、金属加工や木工の店が並ぶ。肉屋はウイグル人の地区であれば何処にでもあり、皮を剥いだ羊肉が街中にぶら下がっている。イスラム地域に必ずあるチャイ屋は見かけず、飲食店ではウーロン茶の様なものをヤカンで沸かして飲んでいる。

優しい管理人さんが食事に誘ってくれた。
近所のウイグル料理屋で羊のスープを奢ってもらう。これが美味いんだ。
ブリキの容器で煮たトロトロの羊肉と、よく出汁を吸った野菜。この土地でよく食べられるナンを浸して食べる。彼が日本語ができる知り合いが居るからと電話を渡してくるが、電話口からは「今台南に居て昔長野に住んでたよー!」と。どうしろと。
ウイグル料理は完全にイスラム料理だが、不思議なことに箸で食べる。変に混ざってるのは複雑な地域の歴史の結果であろう。

街を歩いてみると、意外にも街だった。観覧車なんかもある。夜になると街は鮮やかに照らされ、観覧車もイルミネーションに輝いていた。ウルムチよりいい街じゃないか。


しかし気になったのはこの中国的に"上書き"されたような街の景観である。ウイグル自治区は本来東トルキスタン、ウイグルスタンと呼ばれ、イスラムの文化が根強い土地なのだ。ちょうどトルコ人の友人に聞くとトルコ人とウイグル人はかなり近い人種だそうで、この茶色い土の美しい文化を持つ土地がアスファルトと電灯で覆い隠され、本来の香りを失っているようにしか思えない。街の景観が綺麗になったとして、それが本当に正しいのかと、どす黒い何かがアスファルトの下に埋まっているような気さえする。

ユースホステルらしくドミトリーだが同室にはもう一人しかいない。電気毛布を貸してくれたので多少は暖かいが、それでも寒いので寝袋を引いて寝た。

起きると外が騒々しい。ホステル前が人でごった返していた。モスクが混んでいるのだ。毎週金曜は礼拝の日らしく、モスク前には絨毯が敷かれている。トルコで見た風景だ。礼拝の日は出入り口に出店や屋台が軒を連ねる。これもトルコで見た風景だ。


試しに屋台の一つを食べてみた。雛豆のスープは中華の様な中東の様な不思議な味。たった60円ほどだった。宗教は食と共にあるのだ。「祈り、食べる。」ってのはどの地域にも存在し、勝手には変えられない。

ホステルの宿泊客に誘われ、グランドバザールに行くことになった。ホステル裏の川を渡ってすぐにあり、絨毯や布、日用品、スパイスに漢方、ドライフルーツなど、ありとあらゆるものが売っている。特に多いのはスパイスとドライフルーツだ。

漢方は遠くは白山の方(北朝鮮の北あたり)からも流れてきて、乾燥した蛇や蛙、冬虫夏草(日本よりかなり安いらしい)なんかが山の様になっている。一緒に向かった青年は土産なのか何なのか卸店で大量の干し葡萄や干し林檎を買っていた。干し林檎はそのまま食べても甘酸っぱくて美味いし、ウイグル料理では生姜と一緒に煮立るなどして調味料として使う。
干し杏は固く、唾液でふやかしながら食べる。

後日向かったのは職人街のそばのマーケットで、こっちはグランドバザールより一般客向けだ。色鮮やかな駄菓子、ボタン、ドレス、ヒジャブが天井から足元まで広がっている。この辺の駄菓子はやはり大味で、あまり美味しくはない。ドライフルーツの方が余程美味い。何個か貰ったが、多くは要らない味である。値札のある店はどこにもなく、交渉して買うのが普通らしい。旅行者には少し難しいかもしれない。

この辺で一番大きなモスク、エイティガールに向かうが、入り口付近で止められた。ウイグル人でないと入れないそうだ。モスクの周りはやはり栄えていて、記念撮影用の馬やラクダなんかが涎を垂らしながら待機している。モスクの周りには足洗い場があったりと、イスラムだなァと感慨深い。


あ、この辺は焼き芋を食べる様で、専用のメカニカルな焼き芋機がある。芋は日本のサツマイモより白っぽいが、味はそこまで変わらず甘くて美味しい。
モスクは教会と違って全体が丸いので、碁盤の目というより蜘蛛の巣のように街が形成されている。狭い路地裏では子供がサッカーなんかをしていて平和そのもの。それからどうでもいい情報だが何故かこの辺は歯医者が多い。

ホステルに帰るとスタッフさんが夕食に誘ってくれたのでご相伴に預かった。ウイグルとは程遠い完全な中華である。スタッフさんは大体漢民族で、東から来た人らしい。山椒と大量の唐辛子で煮た煮物はやたら辛かった。まぁ、文句は言うまい。しかし中国人はマナーに疎く、顕著に現れるのは食事マナーである。も、文句は言うまい。

翌日はホステルのスタッフさんが翻訳アプリで「今日私たちと遊ぶ」と見せてきたので付いて行くことにした。
ぎゅうぎゅうの路線バスに乗り、たどり着いたのは動物市場。以前訪れたルーマニアのペンションのおっさんがアニマルマーケットと言ってたのと同じだな。

動物市場はエリア分けされていて、取引する家畜によって場所が違う。入り口付近はすでに加工された食肉が並び、簡単な野外食堂でウイグル人が何か食べている。入り口から牛、羊、ラクダ、奥には馬とロバのエリア。
馬やラクダは食べないので数は少ないが、足として使うのだろう。一緒に馬具なども扱っている。



細かいことだがこの辺の鞍はヨーロッパの鞍のように広くなく、簡単な腰掛けみたいな見た目だ。遊牧民ぽさがこんなところにも現れる。ちなみに馬具というのは一生もので、馬を扱う民族は馬具は捨てずに馬を変えるらしい。革製の馬具は体に馴染んで形を変える為だとか。
ロバは乗る為というよりロバ車向けで、これは人を乗せる為ではなく荷物や牧草を運ぶ車だ。この辺の牧草はヨーロッパのそれより乾燥していて、少量ずつ袋に詰められ纏まっている。家畜の食べ物もまた違うのだろう。
馬車にはウイグルのやり方なのか鈴がたくさん付いた装飾を馬に着せていた。

人が多いのはやはり羊と牛で、大量の家畜の中で競りが行われていた。競りと言っても仲介役が居る日本の競りと違い、個人同士のやり取りである。この辺はマラムレシュと同じだな。
食肉市場ではそこら辺に羊の生首が落ちていてグロい。毛は毛で売れるのでそれは別の市場があるようだ。

その後またぎゅうぎゅうのバスに乗りホステルに戻ったのち、国際バスステーションに向かってみるが、やっている気配がない。移転したようである。一応聞いていた4番バスの終着駅というのが本当に当たっているかどうかも謎だ。
明日キルギスに向かう予定だが、バスが本当にあるかどうか怪しい。何にせよ朝の出発になりそうなので今日は早めに休むことにする。
まぁ無かったら無かったでまたホステルに泊まるが。

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