拝啓

すっかり暖かくなり、ときには暑さを感じるようになってきました。気温の変化が激しいこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
今回筆を取ったのはほかでもなく、わたしがあなたに守られるべき子供である期間が終わり、未熟ではあっても一人の大人として向かい合う立場になったという節目を迎え、伝えておきたいことがあったからです。

わたしは、あなたのことをいちばん長く、無邪気に素直に、父親として見ていたと思います。性格うんぬんの話ではなく、単純な時間の話です。
あなたが朝家を出るときに牛乳を飲んだ口でチューしたのを覚えています。
あなたがあるときでっかいファインディング・ニモのぬいぐるみを抱えて帰ってきたことを覚えています。(あれを捨てようとしたときに止めたのはわたしでした。結局捨てざるを得なくなりましたが。)
あなたが車で幼稚園まで送ってくれていたことを覚えています。
全然家にいないあなたに、お母さんのガラケーからメールを送っていたことを覚えています。
あなたがプールに連れて行ってくれて、泳いだあといつも買ってくれたぶどうゼリーのジュースを覚えています。そのあとときどきうどん屋さんに行ったことも。
みんなでどこかに泊まりに行って、車に忘れ物をしたか何かで車に戻らなきゃいけなくて、駐車場の底なしの暗闇にびびって、あなたにひっついていたことを覚えています。
夜遅くに帰ってきてご飯を食べるから、もう寝るところだというのにいつもお腹が減ってしまったことを覚えています。

何より、いろんなところに連れて行ってくれたことを、覚えています。
あなたが運転席に、お母さんが助手席にいて、わたしと妹たちは後部座席にいました。
高速道路の景色や、最寄りのインターや、渋滞を避けて走る夜の山道のことを、わたしはいろいろと覚えています。
あなたは覚えていないかもしれません。
でもわたしは覚えているし、その記憶のせいでおそらくいちばん長く、無邪気に素直に、あなたを父親として見ていました。

そのとき既に容認できないことをしていて、お母さんにとんでもない心労と実質的な苦労をかけていたことは知っています。許せることではありません。お母さんが必死に隠していたことを今の私は知っています。もう一度言いますが、とても許せるようなことではありません。わたしが大事にしまっている良い記憶だけをお見せしましたが、今思えば良くない面の片鱗を感じる記憶だっていくらでもあります。
ですが、あなたとお母さんがあらゆる場所に連れて行ってくれた経験が今の私に繋がっているということが、どう頭を捻ったとしても間違っていないことは確かです。今の私に繋がり、そしてこれからの人生にも繋がっていくことは、言い訳のしようもない事実です。

ところで、中学校を卒業するとき、あなたとお母さんに手紙を書きました。わざわざ別々に書きました。ということは、既に修復不可能なところまでいっていた時期だったのではないかと思います。そのあたりはよく覚えていません。
あの手紙をあなたが読んだのかどうか、わたしは知りません。でもあの時もまだ、少しばかりあなたのことを信じていたように思います。またどこかに行こうね、そしたら話を聞かせてね。そんなことを書いたはずですから。
それが叶えられたことはあれからありません。おそらくですが。わたしもその頃からあなたに関する記憶はぼやけています。単純に辛かったからです。あと、あなたのことを考えたくなかった。嫌いだからです。
今このときをもって、あの手紙は無効にします。二度とあなたと一緒にどこかへ行くことはないでしょう。あなたの話を聞くよりも、わたしが自分の力で足を運び学ぶことのほうが有効だと言い切れるくらい、長い時が経っています。

本当に長い時間が経っているんです。
何年経ったと思いますか。
具体的な数字は伏せますが、妹が、あの時何歳だったか覚えていますか。

わたしは、わたしよりも幼い年齢であなたを父親として見られなくなった妹たちの気持ちは想像するしかありません。たとえ見えないところで何をしていても、わたしにとってはそれなりに大事にしたい思い出のひとつやふたつ、まぁわりとそれ以上にたくさんあることはすでにお話ししたと思います。(重ねて念押ししますが、それがお母さんへの信じられない皺寄せの上に成り立っていた事実はきちんと認識すべきことです。)
だからこそ、どうして、あの子たちがせめてある程度自己を確立させるまで。せめて、わたしと同じように接してくれなかったのか、それだけは責める権利があると思っています。わたしに比べて、圧倒的に時間が足りませんでした。
何をしていても、あなたがしたことでお母さんから真っ当に責められても、それが判明してわたしたちから嫌われても、まだ幼い妹たちくらいには心をくだいてほしかった。何よりも彼女たちのために、そして、わたしのためにも。
そうしたら、わたしの記憶にあるあなたのことが、あなたがしてくれたことが、そこにあるあなたの心が、本当か嘘か曖昧になったりはしなかったような気がしてなりません。
今となってはわかりません。別にもうどうでもいい気もします。

あなたにいちばん近い思考を引き継いで生まれてしまったのはおそらくわたしなので、最初から嘘だったのかもしれないとも憶測しています。
心の底からわたしたちを愛していましたか。わからないんじゃないですか。どちらともつかぬまま、ただそうすることが社会的に合っている気がしたから、なんとなく愛しているふりをしていたんじゃないですか。
最初からどうでもよかったんじゃないですか。
違っていたらごめんなさい、でもそうなんじゃないかと思います。
時代が時代なら、あなたの在り方にはおそらく名前がつきますし、あなたも自分を見つめ直す機会が与えられたかもしれません。
ただ、結果としてあなたが自分を見つめ直すことはなく、もう起きてしまったことは取り返しがつきません。あなたが傷つけた家族は、一生傷を引きずります。そのことを忘れないでください。
あなたにいちばん近い思考を引き継いでしまった気がしているわたしは、あなたを反面教師にして生きていくつもりです。
育ててもらったと素直に言える存在ではありませんが、あなたとお母さんがさせてくれた経験がわたしのこれからを決めたこと、あなたのそういう面を知って反面教師にしようと思えたこと、そのあたりに感謝しておきたいと思います。

最後に。
あなたはたぶんこれを見つけることはないと思います。他でもない、あなたに宛てた手紙ですが、あなたに読まれることはないでしょう。それでいいです。
面と向かってあなたにしっかり伝えられない立場にわたしを置いたのはあなたです。
いつか死ぬ前にでも見つけたらいい。その頃にはわたしだってもううまいこと生きています。大嫌いで、でも楽しかったこともそれなりにあって、だけどその良い記憶を共有できる人もいない、そういうぐちゃぐちゃの感情はここで全部終わりです。
素直にありがとうなんて言いたくありません。
綺麗に昇華させるなんてたまったもんじゃありません。
直接伝えるのだって業腹です。
いつまでも、いつまででも、わたしがこんなことを思っていたと知らないままでいればいいのです。

敬具
2023.6.4

あなたのことをおそらくいちばん長く、無邪気に素直に、父親として見ていたあなたの長女より

わたしのこれからまで左右したくせに、こんなことを書かせて、面と向かって伝えられもしない立場に置いた、わたしから父と呼ばれる覚えのあるあなたへ

あとがき(?)
いろいろとわかりやすいことも書いたので、もし身近な方が見つけてしまったらわたしが誰かわかってしまうかもしれません。
見つけちゃってわたしが誰だかわかってしまう、万が一そういうことが起きればの注意書きですが、もし書いてることがまずそうだったらこっそり教えてください。特になければこのまま見なかったことにしてください。
誰もしないと思いますが、間違っても該当者に送ったりはしないでください。
伝えたくて書いているのではありません。自分なりに吐き出したくて書いたものですし、おそらく母や妹たちとは少し違う視点からわたしはあの人を恨んでいます。
わたしの恨みはわたしだけのものです。

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