せめてひとりぼっちの星にいたい

自分のことを話すのが苦手だ。
たとえずっとずっと心のうちに秘めていて、もうこれは疑うべくもなく私の本心なのだと分かっていても、どうしても言えない。
他人はどこまでいっても他人なのだと思っていた。たぶん今も思っている。誰のことも心の奥深くのどこかでは信じ切れずにいる。
だからだれにも言えずにいる。

それは本当に寂しく、虚しい。

土門蘭『死ぬまで生きる日記』を読んだ

久しぶりの休みに、気になっていた本屋に足を運んで、手に取った本だった。
帯に「「楽しい」や「嬉しい」という感情は味わえるのに、どうして「死にたい」と思うんだろう?」と書いてあって、ああ、呼ばれた、と思った。

まだだれにも面と向かって言ったことはないけれど、ずっと死にたくてたまらない。
私という人間がこの先も生きていく想像が全くできないのだ。

やりたいことも、好きなことも、楽しいことも、それなりにあるつもりだ。
だけど、それは波みたいに引いていって、引ききったときに空っぽになる。
こんなに空っぽになるとわかっているなら、楽しいことなんてしたくないなと思うときすらある。
波が引く前に死んじゃいたいといつも思う。

夜眠る前におやすみと言える人がいないとき、おはようと言えないとき、ご飯を一人で食べるとき、電車に乗って仕事に向かうとき、休みの日に目が覚めたとき。
タイミングはバラバラだけど、ふっと死んじゃいたいと思う。
今なら死ねる。いまだ、今。いま。
それくらい切羽詰まる瞬間もある。

どうしてみんな、生きていられるんだろう。
生きていたいと心から思っているんだろうか?
死にたいと思わないの?

わからない。
普通の顔をして生きていくことができない。もしかしたらみんなそうで、隠すのが上手なだけなのかもな、とも考えたけど、そうじゃないと思う。

本では、地球人と火星人になぞらえて話が進む。
ほんとうにざっくりと言うなら、死にたいと思わない地球人と、死にたいと思う火星人だ。(これを言い換えてわかりやすく表していく過程がすごく大事な部分だと思う。本を手にとって読んでほしい。)

私は、火星人側だ。
どうしてみんなそんなに生きていくことに積極的なんだろう、とずっと思っていた。
わからなくて、わからなくて、どうしてもわからないのに、考え続ける気力もなくして死んだように過ごしている。(死にたいと思いながら…)
でも、考え続けられたひとたちは、自分一人しかいないひとりぼっちの星にいて、そこでものを書き続けているそうだ。
苦しみを無視した失礼な言い方かもしれないけれど、私もせめてそうありたい、と思った。
地球人にはなれない。
しばらく頑張ったけど、無理そうだと今は思う。
つまり今の私は地球人にもなれなければ私だけの星にも立てずに、ふわふわ宇宙を彷徨い続けているただの根無し草だ。
だからずっと息ができない。苦しくてしかたない。

ほんとうの私を置いておけるひとりぼっちの星に、せめて、そういうところに立てるようになりたいと思う。
そのひとときだけでも、息ができるようになりたい。
この本を読んで、今はただ、そういうことを考えている。

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