映画「ちょっと思い出しただけ」を観たんですが

思ってしまった。私には、できない。
こんなに他人に自分さらけ出すことは、たぶん私にはできない。そうしてくれる人を受け止めることも、たぶん難しい。

私も思う。
愛って言葉、便利すぎない?って、私も思う。
それを理由にして、暗黙の了解の「当たり前」が横行していること、窮屈だなってずっと思っている。

見返りを求めるものじゃない。結局のところ逃げ道。
だから、そんなもんかって少し安心した。

大仰に愛だなんだと言われても、それどころじゃないってのが普段の本音だ。
世の人々が器用なのか、私がとんでもなく不器用なのか、まあどちらも事実だろう。

どこかに行きたいけど、どこに行ったらいいか分からないから、お客さんの行くところに行って、進んでいるように感じていたい。
すごくよく感じる感覚だ。
自由だけど自由じゃない水族館の魚みたい。
結局のところ逃げ道で、ひとときの宿木でしかなくて、そうドラマチックでもロマンチックでもない人生が続いていく。

それでいい、それがいい、と心から思うとき、たぶん人は満たされた気持ちになるのだろう。
そのあたりは各々の価値観があるだろうけど、まぁここでは一旦置いとかせてね。

「ちょっと思い出しただけ」で、そのあとはさらりと忘れられていく記憶がたくさん寄り集まって、人間ってできてるんだ。
よくわかんないけど、たぶんそうなんでしょう?
今抱えてる後悔とか悲しみとか、喜びすら何もかも、そうやって風化していくのが普通で、それで何も問題なくて、そうやって生きていくもんなんだね。

なんか、みんな生きてんだね、ってセリフがあった。
この映画を見て、おんなじことを思いました。

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