昭和物産 千葉県の松根油
街なかにある松の木に、ハート型の傷がついているのを見たことありますか?
これ、松脂を集めてた跡です。
昭和20年終戦間近、不足した石油の代替品として松から作る「松根油」(しょうこんゆ)が全国各地で作られました。
「松根油」とは松の根を掘り出し、乾溜炉(内側が二重になってる140cmくらいのドラム缶みたいなやつ)に入れ加熱する。
熱分解を促す乾溜方法で得られる液体で、松根タールとも呼ばれる。
精製することにより、テレビン油、パインオイル等が得られる。
接触熱分解等により航空機燃料としての製造も試みられました。
松の根からだけでなく、松脂も集めてタールの精製などが行われてました。
なんでそんな事を始めたかというと、
昭和19年「ドイツでは松の木から得た航空ガソリンを使って戦闘機を飛ばしている」と確証はないまま日本海軍に伝わりました。
日本には松根油製造という技術が江戸時代後期から既にあったため、一大国家プロジェクト「松根油緊急増産運動」を発動。
昭和20年頃に戦況が厳しくなるにつれ
「松根油こそは、神風である」とスローガンがかかげられました。
ただの松根が「神風」とまで呼ばれ、日本全国で松から燃料を作り始めるほどの逼迫感。
これは、もう誰の目から見ても追い詰められているとしか言えない状態。
終戦まで「松根油緊急増産運動」は行われ続けました。
何故なら途中で止めてしまっては、国民に「敗戦するからもう燃料を集める必要はない」と伝わってしまうためです。
海軍発案で急遽国策として始まった「松根油緊急増産運動」。
同時期に陸軍も燃料不足問題を抱えていました。
陸軍は、海軍ばっかり松根油を確保するのは面白くありません。
海軍と陸軍の争いが発生し、全国を陸軍地区と海軍地区に分割しました。
ところが、日本各地から膨大な量の松根油を集めるにあたり、運搬方法が困難だったり、ドラム缶などの容器不足は深刻でした。
昭和19年の実用化テストの段階で、松根油から精製された「航空揮発油」(ガソリン)を使って飛んだ飛行機は一機もありませんでした。
戦時中の宣伝によると
「200本の松で航空機が1時間飛ぶことができる」
「掘って蒸して送れ」
「全村あげて松根赤たすき」
等のスローガンがありました。
これは数十年かけて育った松の木1本を消費して、わずか18秒分にしかなりません。
航空揮発油としてはコストが悪すぎますね。
導入目前で終戦を迎え、実用には至りませんでした。
千葉県市川市には「松根油」の為に傷つけられた松の木が何本か残っています。
本八幡 八幡宮参道
松脂が黒い筋で垂れてます。
他では、石川県の金沢 兼六園内にも、同じような松根油キズが残る松の木があるそうです。
八幡宮参道 別の木
日本の松の木が全滅しなくてよかったです。
こんなエピソードのある松の木が、意外と身近にあったりします。
機会があれば見つけてみて下さいね。
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