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完璧主義さんの行く末

ある人の記事をフラっと見て、思ったことがあったので今日はそれについて書いてみたい。

鬱だったころ、徐々に完璧主義に変化していった。
へんな話かもしれないが、そこからより完璧に完璧にとなっていってしまったのです。


自分の中で〝もっとこうだといいのに″〝こうした方がいいよね″と微調整をしていたつもりだったのがいつの間にか〝まだ足りない″〝もっとこうだ″〝もっとこうしなくちゃ″そんな感じの思考で支配されていたように思う。


もっと言うと、自分がしっかりきっちりやることで事がスムーズに行ったり喜んでもらえた事があったので、その時の誰かさんの期待に応えているような気になっていた。

「 もっと 」

これは色んな意味であぶない言葉。

心に蓋をしているとストーーップ‼︎の声が聞こえない。


完璧主義というのは色々な場面で〝 それ "が出てくるんですけど
〝 それ ″というのはなんだと思いますか?

「それ = 我・頑固」です。 

完璧主義も度が過ぎてしまうと、頑固が変化していき「徹底的」となっていきます。

まるで一度倒された敵がみるみる大きく巨大化するラスボスのよう。

例えば、掃除に関しても終わりがありません。
言い方を変えると、本人にしてみればゾーンに入ってるって感じ。

一度拭きあげた場所も、確認した時にホコリが見えるとまたそこを拭きあげます。
またホコリのチェックも、わざわざ光の反射でホコリや指紋が見えるその角度で自らチェックが行われる。
誰も気づかないよねってところでも徹底的にチェックをしてしまう。


よおし、完璧だ。

それはラスボスに打ち勝ったという感覚に近いかもしれない。

窓拭きもそう。ガスコンロ、五徳、シンクも。
洗面所もトイレも隅々まで。
いつまでたっても終わりがない。

誰に頼まれているわけでもない、それが仕事でもない。
なのになぜか毎日掃除をしている状態でした、笑。

【徹底的】
余すところなくどこまでも十分にするさま。 最後まで一貫しているさま。
精選版 日本国語大辞典「徹底的」の解説

職場の片づけも引き出しの中や、棚の中を整理し始めます。
見えないところをやってくれるから助かります~。
なーんて言われちゃうと拍車がかかり、よりやることが細かくなっていく。

これだけ極端になっているのに本人はまったく気づかず。
なんなら、掃除のプロならもっと丁寧にピッカピカに完璧にしてくれると思っていて、私は素人だからまだまだなんて思っていたりもする。

心の底では、プロやその専門家と自分を比べたりしていたのです。

プロと比べながらやっているから技術力がどんどん高くなっていく。めちゃくちゃテキパキしてる


掃除って腰は痛くなるし、水仕事は指先がボロボロになります。何度もタオルを絞って腱鞘炎になった事も。けれど、そのボロボロさがやった感に変換されていったのです。
やった感というのは、達成感とはまた違った感覚です。

言ってみれば、ドーパミンが出すぎちゃってずっと興奮状態が続いている。適切な量でないため、コントロール不可となっている状態。
やめるにやめれないような感じ。

【ドーパミン - dopamine 】
ドーパミンは、中枢神経系に存在する神経伝達物質で、アドレナリン、ノルアドレナリンの前駆体でもある。運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わる。セロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミン、ドーパミンを総称してモノアミン神経伝達物質と呼ぶ。
Wikipedia



では、なぜそうなってしまったのか。

それは、自分いじめだったのかもしれないと
今だったらそう思うのです。

私は一体なにと闘っていたのでしょうね。


--完璧にやっている--

という物差しは自分しかもっていないもの。
言い方を変えると、自分がルールを作っているという事になります。
誰に言われたわけでもなく、頼まれたわけでもない。
完璧を求められていたわけでもありません。


徐々に理想が高くなっていった為、気づかなかったのです。
この〝徐々に″というところがポイントです。


今回はここまで。
読んでくださりありがとうございます^^

次回は、どうやってそこから抜け出したかを書いていきたいと思います。
是非フォローしていただき、またお付き合いくださると嬉しいです。

今でもたまに鬱で苦しかった時の事を思い出します。

あの地獄のような時から解放されて、今は10年くらいが経つのかなぁ。
なんだかずいぶん昔のような気もするし、まだ10年なのかという気もします。


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