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#短歌月九ネプリ 第二回『歌人韻々物語』 三首選

#短歌月九ネプリ  第二回の三首選です。
 方針等は第一回を参照願います。

 3/7(木)まで出力可能ですので、まだの方はぜひ。
  セブンイレブン:71031637
  その他コンビニ:EKU75YL3RR
  B4白黒一枚(20円)

 なお、第一回はですます調で書きましたが、今回はだである調で書きます。

たましい、をジェスチャーで言うそのときにわたしの腕が描いた楕円
 / 西村曜

 ああ。と思わず納得させられる歌。この世界の、正解、をひとつ教えてもらったようなよろこびがある。
「ジェスチャー」に正解はない。手話ならば「たましい」を示す"正解"の仕草はある。でも、ジェスチャーにはない。
 主体は「たましい」を楕円として捉えていた、ことに、いま、気付いた。この歌によって描かれる、この瞬間に。無意識下での認識が、正解のない「ジェスチャー」という行為によって表出したこと、の驚きとよろこびがある。別に、それ自体なにも嬉しいことじゃない、けれど、そこにそれが現れたこと、ひとつの正解がわかったように思えること、がよろこびになる。
 あくまで日常のワンシーンとして立ち現れたその瞬間のよろこびを、よろこびとしての言葉を用いずに表現しきった見事な歌。
(ちなみに「魂」を示す手話は、もちろん存在する。そしてそれは、楕円を描く仕草ではない。→参考:NHK手話CG

先輩の自分語りの折々に出てきたピーポくん 元気かな
 / 西村曜

 ややコミカルな歌、でありながら、そのコミカルさそのものが不穏さでもあるという構成が巧みな歌。
「元気かな」は、素直に考えるなら「先輩」へかかる想いだろう。しかし、うっかり「ピーポくん」へかかるものであるような気がしてしまうのは、語順の妙技。面白い。
 さて、気になるのは「先輩」の人物像、そしてその人物の抱えるストーリーだ。「自分語り」は一般に、あまりポジティブなイメージで使われる語ではない。それをされる側(つまり、この場合は歌の主体)にとっては興味もない生い立ちなりを聞かされ迷惑きわまりないものである、という場合に使われる。この語がここに斡旋されたことが、ひとつの読みの補助線になる。
 そして、もうひとつの補助線となるのが「ピーポくん」であるわけだが、これがまた良い。「ピーポくん」は、言わずと知れた警視庁のマスコットキャラクターである(参考:警視庁ホームページ)。彼が「自分語りの折々に出て」くるということから、警察の世話になるようなことをしてきた「先輩」の過去が伺える。たしかに聞きたくない、そんな話。歌への「ピーポくん」の登場はコミカルであり、同時に不穏でもある。
 先に「元気かな」は素直に考えれば「先輩」へかかる想いだろうと述べたが、ここへきて、いや、そうでもないんじゃないか、という気持ちが湧いてくる。そんな「先輩」のことを心配したりしないんじゃないか、むしろ、本当にその自分語りにあらわれた「ピーポくん」たちのことを想っているのではないか、と考えてしまう。真相は、読者には決してわからない。
 短歌の魅力が詰まった、妙技の一首。

まだ文字になれないままのさざ波を重ねるように書く筆記体
 / 近江瞬「英語の海に」

 英語の「筆記体」に焦点を合わせ、その様を見事に描きあげた歌。
「まだ文字になれないままのさざ波」とたっぷり文字数を使った比喩が詩的に響き、読者は歌に引き込まれる。「重ねるように」という表現にもまた魅力がある。
 日常に潜むものの中に詩を見出し、短歌が、それを伝える。ひとつの理想像を見せつけられた。


 というわけで、三首選でした。次選ちょっとだけ。

メロディのない弾き語りだよ、声が。振り付けのない踊りをおどる
 / 御殿山みなみ「quietdance」

 やや読み切れなかったのだが、要するに変なことをやっているんだと思う。変なことを、変な風に言っているのが一周してふつうにおもしろい。とても良い意味で、ふつうに。
 短歌って、変だよなあ。と改めて感じた。

変わっても俺はわかるよ その英語、お前、野田洋次郎だろう。 おいで
 / 平出奔「ていきってぃーじー」

 なんだこいつ。

 以上です。ありがとうございました。
 次号以降もよろしくお願いいたします。

平出奔

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