ヒット中の映画⚪︎⚪︎⚪︎−⚪︎の正直な感想

ある意味ではシン⚪︎⚪︎⚪︎を超えた、と思っていたこの映画、ですが、みてから時間が経過すると、違和感が増していった。すいません、やっぱりシン⚪︎⚪︎⚪︎超えませんわ。映画としては、そのリアリティラインの稚拙さに、シン⚪︎⚪︎⚪︎込められた祈りと比較してしまい、本当に申し訳ない、とすら思うようになった。
確かに、映画初心者にはオススメであり、楽しめる内容になっている。見せ場のタイミングもストーリーのわかりやすさも素晴らしいテクニックである。しかし、そこに問題もある。「テクニック」そのものの問題性も少なからず含まれているが、そのシンプルさに、ある種の危機感、や戦慄を感じた人も少なからずいることだろう。
この映画をみて思い出したのは、やはり作者の狙い通り「ジョーズ」であり、一人の男の精神的成長劇として描いたこと、「ジョーズ」のプロットを元にしたことは間違い無いだろう。しかし、これはこの作品の前半に過ぎない。後半からは、そこはかとない違和感が包み込む、のっぺらぼうなキャラクター、のっぺらぼうなセリフ、、だんだん怪しくなってくる群衆、一般市民たち、、、この独特の「つくりもの感」どこかで見聞きしたことがある、体が覚えている、僕が思い出したのは「オウム真理教」が展開した数々のメディアだった。「こんなものに騙される人なんて本当にいるのか」と当時思ったものだが、世の中に生きる人のリアリティラインは様々なものだと、思い知らされたものだ。そして、その「稚拙な作り物」が人を殺すまでにライズアップしてゆく、心の中で育っていく、と言ってもいいが、あの時感じた恐怖感を僕は、ここ十数年ほど、日々感じて過ごしている。
「ほら、見てみろよ、みんないい顔してるじゃねえか」というセリフが1番その危うさを示しているように思う。後半は、思わず吹き出しそうになる「くさいセリフ」が続く。「特攻」の反省は「生きて帰る攻撃」ではないような気がする、戦争という人類の犯罪行為が、またここにきて正当化されようとしている「恐怖の時代」を生きる現代人は、まともな人なら、この映画に違和感や嫌悪感を持つだろう。
この映画が大ヒットし、人々の心に残す「種」の危険性を我々は気をつけなければならない、とすら思っている。
これは大傑作の「一作目」とは全く違う価値観に基づく作品であり、オリジナルの見た後の独特の脱力感、絶望感こそが、この作品シリーズのもつ本質的コンセプトではないだろうか、、、一作目で、絶望感や無力感の中死んでいった準主人公こそが、何かを象徴しているのではないか、
もっとわかりやすく書こう
結果的にではあるが、人を殺し仲間を殺された悲しみ、と、人殺しの喜び、の違い、と少し乱暴に表現してみた。
みた後、スカッとする、たくさんの殺人を見せる映画というのは割と多くある。悪いが、アメリカの映画に多い。悲しみを多く表現しているのは、我が国日本も含まれるが、要するに戦争の弱い国々だ。ここに立場の違いや国民性があるのではないだろうか、、、
いわゆる現代の「新右翼的思想」の持ち主は、本音を言うと、暴力的に強いアメリカに自分達もなりたい、という願いの上に言論しているのではないだろうか、と疑うことがある。いわゆる「新保守」は絶対にアメリカの悪口は言わない。それは、切ないが弱きもののアメリカへの憧れ、ではないだろうか。
この作品には米兵が全く出てこない、GHQも出てこない。しかしそれは決して「反米」的な意味ではないだろう。アメリカに対する飽くなき憧れを、実態の不在によって、自己認識しないようにするための結果ではなかろうか、、、まあ、ここまでくると、かなり乱暴な推理ではある。
本来の戦争に対する怒り、死んでいった犠牲者たちの怨念として描かれた怪獣であるが、ここにきて、日本民族のナショナリズムへ加速する手助けとしての機能に利用されている。と感じるのは僕だけか、、、
ネットを見ていると、意外にもこの映画に不快感を感じている人がいることを知った。案外多くの人がこの意見である。
今、時代はまたしても転換点にあり、アンチ暴力、アンチ戦争、アンチ強行保守、アンチ民族主義、の振り返しがきている、と切に願いたい。
はっきり言うが、この映画は知能指数の低い人向けに作られていることは明白である。

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