あるテレビドラマを見ての感想

先日、勧められて、とある地上波テレビドラマをみた。
それは、昭和の時代から、体育教師をやっているシングルファザーが現代にタイムスリップしてくる、という内容のものだった。
最初はなかなか面白かった、昭和世代の僕にとっては懐かしいものが勢揃いで、大変楽しく見ることができた。必ず一話の中にミュージカルになる部分もあって、手の込んだ、なかなかの作品です。
 しかし、三話くらいから、ちょっと見るのがしんどくなってきた。四話で、これはちょっと、もう見ないな、、、と決めてしまった。
なかなか深い考察を必要とする「問題作」である、この作品を手がけた作り手には、その大いなる勇気と手間に心から拍手を送りたいし、大変立派だと思うが、、、見ていて、途中から感じたこの「しんどさ」は一体なんだろう、、、
 基本的な枠組みは、「ギスギスした、面倒な、苦しみの多い、現代」と「おおらかで、パワーに満ちた、素晴らしい昭和」の対比、、、ということになろうと思う。たぶん、ここに無理があるんだろうな、、と感じてしまう。
確かに「昭和」は豊でパワーがあって、おおらかだった。
「今」は貧しく、揚げ足の取り合い、言論空間での傷つけ合い、そんな時代だ。特に「貧しさ」に向かっていく、高齢化社会、老年国家の痛々しさ、絶望の中に衰退していく痛み、こそが「現代」の本質だろう、そう思う。少子化や、大国に従属して生きていかざるを得ない、といった、誰もがもうどうにもならない、とわかった上で、誰が悪い、かれが悪い、と犯人探しに熱中する庶民たちと、それを利用する支配者層、、未来のことなど考えずに、目の前にある自らの欲望のままに生きた集団の成れの果てが、現代の日本の姿ではないだろうか。
「昭和」は、おおらかで、パワーがあって、だから経済的にも精神的にも、豊だった、、、というのは、明らかに順番が違うのである。
豊かだったがゆえに、無神経になり、未来のことなど考えずに、目の前の欲望に正直になり、満員電車に揺られ、会社内の熾烈に内部闘争に明け暮れた自分を「頑張ってしごとをした、生きる価値のある人間」と思い込んで、その結果としての現代の日本の姿があるのではないか。
「昭和」を肯定するドラマを見て、自分自身を肯定しようとする、悲しい現代の中年世代、それは多分僕自身なのだろう。
「昭和」を生きた五十代以上の世代の日本人は、やはり、深い反省と、真っ当な自己嫌悪の中に生きていくことが正しい道ではないだろうか。。。

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