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『マチネの終わりに』第六章(62)

 元気そうだったが、祖母が庭で転倒して亡くなっただけに、母の独り暮らしも気懸かりだった。

 部屋は十分な数があるものの、蒔野とは、ここから車で二十分ほどの伊王島のリゾートホテルに宿泊する予定だった。予約したのは母だったが、どうせキャンセル料がかかるのだからと、一泊だけは親子で泊まりに行くことにした。

「もっとつきあってあげたいんだけど、わたしも忙しいのよ。日中は、予定が色々あって。」

 洋子の母は、毎年夏に、〈平和大使〉としてジュネーヴの国連欧州本部で演説をする高校生たちに、英語とフランス語の特訓をするボランティアを今年から始めたらしかった。丁度、八月の夏休みを利用して本番に臨み、数日前に帰国した彼らの夕食会に出席する予定らしく、気晴らしにあなたも来たらと洋子を誘った。

 あれほど長崎に――日本に――帰るのを拒み続けていた母のその心境の変化に、洋子は驚いた。

 

 午後は曇り空で、夕涼みがてら三十年ぶりにグラバー園を訪ね、大浦天主堂を見て、夕食会場の近くのホテルに向かった。洋子を入れても十名にも満たない、ささやかな会だった。

 洋子は、子供たちがすっかり母に懐いて、スイス土産の白ワインを手渡しながら、旅の思い出を語る様子に感慨を覚えた。洋子自身も、彼らが殊に印象に残ったらしいチーズ・フォンデュの話題に加わって、ジュネーヴ時代にテレビで見ていた日本の《アルプスの少女ハイジ》の話をしたが、ピンと来てないようだった。

「洋子、この子たち幾つだと思ってるの? 一九九一年生まれよ。」

 母にそう言われて、彼女は目を丸くした。

「じゃあ、まだ生まれてない頃の話ね。」

 そして、自然と笑顔になった。

 誰が言ったのか、子供たちが、母の英語やフランス語を「本格的な英語」、「本格的なフランス語」と何度となく評するのがおかしかった。


第六章・消失点/62=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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